寂しくて
誰と一緒にいても寂しくて、一人になるのが怖くて自分も周りもたくさん傷つけた。
置いていかないで、もっと一緒にいて。
一緒にいたって不安は消えないのに、なぜあんなに怯えていたんだろう。
地球の核まで穴を掘って埋めたいくらいのドロドロの感情でずっと生きていた。
学校で哲学や心理学、禅を教えてもらっていたら、
または、もっと早くその教えを知っていたら人生はどうなっていただろうか。
今、私は寂しくない。
たまに襲ってくることはあるけど、ふっと手放してあげることができるから。
どんなに誰かに期待しても、私を動かしているのはこの足、この心臓、この体。
誰でもない。
そのことに気づいてから寂しさは減っていった。
逆に今まで気づかずごめん。
毎日健気に休みなく働いてくれていた、私の体。
たくさん傷つけてごめん。寂しかったのはあなたの方だったろうに、それでもずっと寄り添ってくれていた。
これからは大事にしていくからね。
最後まで私もあなたも一緒だから、寂しくないね。
これからもよろしくお願いします!
心の境界線
子供のとき、たまに不安になった。
この世界は実は全部嘘で、友達や親、周りの人達は実は宇宙人なんじゃないかと。
明日目が覚めたらなんにもなくて、真っ白の世界にいるんじゃないかと。
世界というものもなくて、完全にただひとりぼっちででどこか漂ってるんじゃないかと。
現実は違った。
朝起きたら普通に朝ごはんを食べて、学校に行くのだけど。
大人になってもその感覚が、ふと戻ってくる。
でも、当たり前だとも思う。
私は私でしかなく、他の人や生き物の気持ちになることはできないのだから。
心に境界線があるなら、それは私と私でない全て。
私が特別だとかそんなんではない。
誰も他の人になれないし、うさぎにも、蜂にも、蟻にもなれないのだ。
うさぎ、蜂、蟻の気持ちだってそれぞれ違うだろう。
一人一人、1匹、一頭。一羽、一体。
勝手に人がつけたくくりで呼ばれているが、彼らにしてみればそれも違う。
この世界はいびつだ。そしてそれでできている。
キンモクセイ
今年もキンモクセイの時期が終わった。
咲き始めたばかりの頃は、空気にうっすら香りが混ざる。それに気づくと、今年も咲き始めた!となんとも言えない嬉しさがこみ上げてくる。
どの子が咲いているかはわからないので、道を歩くたび香りを探す。
満開の時期。金色の小さな花がびっしりと満開になる。どこの庭先も満開だ。
町中がキンモクセイの香りに包まれる。
どこを歩いてもキンモクセイ。
常に外を歩いていたい時期。
部屋の窓も全開にして、家中に香りを入れる。
そして、終わりの時期。
小さな花たちがポロポロ落ちて、金色の絨毯が幹のまわりに広がる。
雨が降るとあっという間だ。
そのころはぐっと気温も下がっている。
今年もありがとうと心から感謝する。
毎年この時期になると思うこと。
今年も変わらず満喫したよ。
ありがとう!
消えない焔
まだ、あったんだ。
自分の中の消えてない焔。
ぐだぐだな人生を送ってきたけど、まだ希望をもとうとしている。
よりよいこれからを願っている。
もうすっかりなくなったと思っていた。
きづけてよかったよ。
大丈夫だね。
燃やし続けている限り、というか、わたしの知らないところで燃えている限りかな。
まだ、笑って生きていける気がする。
揺れる羽根
我が家の山椒にアゲハがきた
1回は葉を落とし、やっと少し生えてきたところ
必死で卵を産もうとする
洗濯物を干しながら、山椒を守りたい私。
軽く手で払ってみるがまったく怯まない。
羽根を揺らせながら、一つ一つの葉に丁寧に卵を産みつける。
美しいアゲハの生き様をまざまざと見せつけられた気がした。
子供1人に1枚の葉っぱ。
産まれたら食べ物にこまりませんように。
彼女の願いがきこえるようだった。
しばらくして、一つ一つの葉っぱから子供達が出てきた。
最初は小さいが日に日に大きくなり、葉っぱは全てなくなってしまった。
そして、ある日子供たちは忽然といなくなった。
アゲハのお母さん、ごめんなさい。
お子さんをお腹いっぱいするほど、うちの山椒は大きくなかったよ。
ねがわくば、来年美しい蝶になる子がいますように。
これは少し前の話。
今、つるつるだった山椒はまた少し葉っぱをつけ始めている。
アゲハはもう来ない。