揺れる羽根
我が家の山椒にアゲハがきた
1回は葉を落とし、やっと少し生えてきたところ
必死で卵を産もうとする
洗濯物を干しながら、山椒を守りたい私。
軽く手で払ってみるがまったく怯まない。
羽根を揺らせながら、一つ一つの葉に丁寧に卵を産みつける。
美しいアゲハの生き様をまざまざと見せつけられた気がした。
子供1人に1枚の葉っぱ。
産まれたら食べ物にこまりませんように。
彼女の願いがきこえるようだった。
しばらくして、一つ一つの葉っぱから子供達が出てきた。
最初は小さいが日に日に大きくなり、葉っぱは全てなくなってしまった。
そして、ある日子供たちは忽然といなくなった。
アゲハのお母さん、ごめんなさい。
お子さんをお腹いっぱいするほど、うちの山椒は大きくなかったよ。
ねがわくば、来年美しい蝶になる子がいますように。
これは少し前の話。
今、つるつるだった山椒はまた少し葉っぱをつけ始めている。
アゲハはもう来ない。
秘密の箱
私の秘密の箱には何が入ってるんだろ
子供の時、ためてたものを最近引っ張り出そうと必死だ。
好きなことはなんだった?やりたいことはなんだった?どんな人生を望んでいた?
聞かれてもぱっとは答えられない。
大人になるにつれて経験が増えて、いらない情報や諦めが増えて忘れてしまったものが何なのかも忘れてしまった。
でも、まだ間に合うんじゃないか?
そのことに気づいた今だから。
ずっと隅っこに追いやられてた、秘密の箱をひっくり返そう。
そこには本当の私がいるはずだから。
秋風
秋の風というには冷たすぎる朝だった。
吐く息は白く、一気に冬がきたようだった。
窓を開けていると、カラカラと落ち葉が転がる音がする。
うん、大丈夫。まだ秋だ。
キンモクセイは落ちていないし、ちゃんと部屋を満たしてくれる。
秋風にのってゆれるススキを思い浮かべながら、仕事をした午後。
光と雲の狭間で
聖書の光。
雲の隙間から光が放射状にさす空を見ると、いつもその言葉が頭に浮かぶ。
なぜそう思うようになったかは覚えていないが、昔読んだ聖書にそんなページがあったのかもしれない。
「天使の階段」ともいわれるらしい。
なんにせよ、あの空は聖書の時代から変わらないだろう。そこにも同じ光を見た人がいて、人には作りえない何かを感じていたのだろう。
私はクリスチャンではないが、あの空を見る時だけは頭の中に教会のオルガンや聖歌が流れてくる。
今日は分厚い曇空。
光がさすことはなさそうだ。
愛ー恋=?
愛ー恋=?
例えばこのスマホにも愛、鍋にも愛、空気にも愛。
溢れているのが愛。
探せば転がっているのが愛。
見えてない愛もたくさんある。
恋は誰かにするもの?
スマホに恋はしないし、鍋に恋はしないし、空気に恋はしない。
でもわからない。
する人もいるのかもしれないし。
愛から恋を引くなんてどっちもわからない私にはできません。