梨
私が果物の中で一番好きなのは梨だ。
高いので自分で何回も買うことはできないけど、スーパーに並ぶとウキウキする。
まだ私が小さい時は20世紀という梨が主流だった。
シャキシャキの食感。
少し酸味があって甘すぎずさっぱりしている。
梨は運動会のデザートの定番だった。
重箱のお弁当をみんなでつつき合ったあと、クーラーボックスから冷たい梨が出てくる。
シャクっと食べると、甘くて冷たい果汁が口いっぱいに広がってとても幸せな気分になった。
運動会🟰梨が食べれる!と言っても過言ではないくらい毎年の楽しみだった。
ある年の運動会でいつも通り梨にかじりついた時、ん?何か違う。と違和感を覚えた。
20世紀特有の酸味はなく、少し柔らかめの食感。
甘味と果汁は20世紀以上だ。
「豊水」の登場は鮮烈だった!
そこからは20世紀より豊水の方が主流になり、我が家の定番となった。
確かに豊水もおいしい。でも、懐かしいあの20世紀をまた食べてみたいと思う。
近所のスーパーでは豊水と幸水?なる梨が並んでいる。もし、20世紀を見かけたら少し値段が高くても買うだろう。
ちなみに幸水はまだ未経験。
試しに買ってみようかな。
LALALA Goodbye
昨日のお題を描き損ねて、さっき投稿してもう1回開いたらお題が変わっていた。
さっきまでの私の思考は終わり。
今度はこのお題について考えている。
ほんの5分前の私、G oodbye。
5分前と変わらない場所で、変わらない事をしていても時間は常に動いている。
時間は待ってくれないね。やろうと思ったらその時やらなきゃね。
LALALA G oodbye、1秒前の私。
投稿ボタンを今から押すのは未来、押した後は過去。
だから今の私にさようならを。
もうその時の自分には2度と会えないのだから
どこまでも
どこまでも続いていくと思っていた。
あれが好き、これが好きって気持ち。
子供の時は全てが思い通りになると信じていた。
なりたいものにはなんでもなれると思っていた。
いつからだろう、あれは無理、これは無理と思うようになったのは。
でも不思議だ。
最近はまたああなりたい、こうなりたいと思う気持ちが戻ってきている。
人生の時間が短くなればなるほど、あれもやってみたいこれもやってみたいと思うようになるのかな。
無理と決めつけていた時間はもったいないとは思うけど、それもそれで今の自分ができている。
どこまでも続くようで必ず終わりの来るこの時間を、ここからは無駄のないように使っていきたい
愛する、それ故に
愛する、それ故にあなたのためと言う。
本当にそう?
自分に自問自答してみる。
その愛は本当?
例えば、ベランダの野菜や花たち。
少しでも元気がないと気づく。あれ?水が足りない?
暑すぎたかな。寒くなってきたから少し日がさす方へ移そうか。
ここには、無条件の愛がある気がする。
愛する、それ故に日々気にかける。
かけすぎても足りないほどだ。
これが、対人になるとどうなるのか。
子供たちにちゃんとした大人になってほしい。
親なら誰でも思うこと。
身近な人たちに対して、そうでない人に対しても人には期待してしまうのはなぜだろう?
愛を掲げてあなたのためにと、どれだけ自分のエゴを押し付けているのか。
ベランダの子たちの未来など見ていない。
期待?はしていないな。
彼らに対しては今を見ている。ただ、彼らが明日も元気に過ごせるようにと。
おいおい、ろくでもない私という人間よ。
あなたはそんなえらいのかい?
ベランダの子達と人の違いは?
そんな事もわからずに、愛を押し付けてはいけないよ。
なぜだか自制になってしまった。
愛って難しい。
静寂の中心で
まっすぐ歩く。
右左と唱えながら。
だんだんと心が落ち着いていく。
自分の声が遠くから聞こえて、足音と重なる。
気がつくと唱えるのをやめていて、なんにも考えてないということに気づく。
気づいたらまた唱え始める。
この合間は静寂。
体だけが、ざっざっと動いている。
静寂の中心は気づかないこと。なんじゃないかなぁ。