冬眠

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8/22/2024, 3:07:15 PM

「裏返し」

「表か裏か当ててみてよ」
 まっすぐに握り拳を差し出す幼馴染みは、ぐっと唇を噛み締めて僕を見つめる。先ほど通った自動販売機の下に落ちていた五百円玉を握っているらしい、新五百円玉。きらきらしてる、と弾んだ声がつい先ほど聞こえていたはずなのに、振り返った時には拳が向けられていた。一瞬殴られるのかとおもったけれど、それ以上近づいてこない拳に安堵した。良く見ればクリームパンみたいだ。
 表か裏かを当てられるのは二分の一。長考しても答えが導き出せるものではない。おそらく彼女でさえ表か裏か知らない気がしている。だって拳を握るだけだから、いちいち表裏を選んで握ることはないだろう。
「じゃあ、表」
 そう答えると彼女はくるっと拳を返し、指を開いた。五百円の文字が見える、表だ。
「やった、僕の勝ち」
「ううん、裏だよ」
 どうみたって表だよ、そう言った僕を差す彼女の指の先は僕の体に向けられている。なんだと視線を下ろせば、横腹辺りで服のタグが揺れていた。あれ、一体いつから? 下校中のことだった。

8/16/2024, 10:45:28 AM

「誇らしさ」

 卒業文集を作るときの質問の一つだった。自分の中で一番誇れるもの。真っ先に浮かんだのは、自分は埃を被っている、なんていう自虐もしくは大喜利にも似たものだったけれど、それを書くことはしなかった。足が早いこと、字が綺麗に書けること、絵が描けること、ポジティブなところ。誰もが明るいことを書いているなかで、埃という言葉は汚れとして目立ってしまう。埃という漢字が書けること、にでもしようか。でもそれなら薔薇の方がいい。憂鬱だって難しい。でもどうせなら薔薇の方が綺麗だ。少しでもみんなの中で浮かないものがいい、目立たないものがいい。僕が選んだのは、「  」。なにも書かないことだった。

2/25/2024, 12:54:03 AM

「小さな命」

 生き物係になったのは自分の意思ではなかった。図書係も給食係もやりたくなかったから手を上げずにいると、一番最後の余りものになっただけだ。生き物は嫌いではないけれど、好きでもない。だから拒否はしなかったし、さぼることもなかった。
 金網で覆われたうさぎ小屋へと踏み入れる。まだ僕に慣れていないうさぎは、物音に驚くと小屋の中を駆け回った後に隠れてしまった。
 空になったエサ箱。みんなから集めたにんじんの皮やキャベツを小さくちぎって置いておくと、いつの間にか無くなっている。
 家で飼っているモルモットも野菜が好きだ。このまま持って帰ってしまえば、うさぎは腹を空かせたまま死んでしまうのだろうか。鳴くこともできず、小屋から出ることもできないうさぎの命を、僕が握っている。

2/22/2024, 10:19:24 AM

「太陽のような」

 ただっ広い草原の中心に咲く花は、誰に見られるまでもなく、静かに揺れている。そこを訪れる人はおらず、動物の姿さえも見られない。肉や草を食らいながら生きる生物には、この環境は酷なのだ。
 だから、花が一輪咲いている。誰に見られるでもなく、自分の意思もなく、ゆらゆらと。一体何処からやって来たのかは分からない。神の悪戯で落とされたように、絵画のような視界。
 誰にも見られずとも、枯れて朽ちる時を待つ花は、太陽のように悠々としていた。

11/14/2023, 11:21:46 AM

秋風

 ぐっと冷えた風に体が縮こまる。反射的に組んだ腕を抱えるように体に密着させて、早足で車に向かう。仕事で疲れた体を早急に休めたかった、家に帰って、入浴剤をいれた温かい風呂に入りたい。その前に立ちはだかるのは、予想以上に冷たい空気だ。
 日中ずっと室内にいると、余計に寒さが体に堪える。山の向こうに沈む薄紫色の空は、秋の深まりを感じさせる。夏の日没の空は、日中の青い空がどんどんと色濃くなっていった。秋の日没は、空の色が変わる。青が橙に、橙が紫に、紫が藍に。空らしくない色を纏いながら夜へと落ちていくのが、幻想的で見とれてしまう。空の彩りは、秋風が連れてきているのかもしれない。だとしたら、秋は食いしん坊なのだろう。橙も紫も、食欲の秋に相応しい色をしているから。

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