冬眠

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2/25/2024, 12:54:03 AM

「小さな命」

 生き物係になったのは自分の意思ではなかった。図書係も給食係もやりたくなかったから手を上げずにいると、一番最後の余りものになっただけだ。生き物は嫌いではないけれど、好きでもない。だから拒否はしなかったし、さぼることもなかった。
 金網で覆われたうさぎ小屋へと踏み入れる。まだ僕に慣れていないうさぎは、物音に驚くと小屋の中を駆け回った後に隠れてしまった。
 空になったエサ箱。みんなから集めたにんじんの皮やキャベツを小さくちぎって置いておくと、いつの間にか無くなっている。
 家で飼っているモルモットも野菜が好きだ。このまま持って帰ってしまえば、うさぎは腹を空かせたまま死んでしまうのだろうか。鳴くこともできず、小屋から出ることもできないうさぎの命を、僕が握っている。

2/22/2024, 10:19:24 AM

「太陽のような」

 ただっ広い草原の中心に咲く花は、誰に見られるまでもなく、静かに揺れている。そこを訪れる人はおらず、動物の姿さえも見られない。肉や草を食らいながら生きる生物には、この環境は酷なのだ。
 だから、花が一輪咲いている。誰に見られるでもなく、自分の意思もなく、ゆらゆらと。一体何処からやって来たのかは分からない。神の悪戯で落とされたように、絵画のような視界。
 誰にも見られずとも、枯れて朽ちる時を待つ花は、太陽のように悠々としていた。

11/14/2023, 11:21:46 AM

秋風

 ぐっと冷えた風に体が縮こまる。反射的に組んだ腕を抱えるように体に密着させて、早足で車に向かう。仕事で疲れた体を早急に休めたかった、家に帰って、入浴剤をいれた温かい風呂に入りたい。その前に立ちはだかるのは、予想以上に冷たい空気だ。
 日中ずっと室内にいると、余計に寒さが体に堪える。山の向こうに沈む薄紫色の空は、秋の深まりを感じさせる。夏の日没の空は、日中の青い空がどんどんと色濃くなっていった。秋の日没は、空の色が変わる。青が橙に、橙が紫に、紫が藍に。空らしくない色を纏いながら夜へと落ちていくのが、幻想的で見とれてしまう。空の彩りは、秋風が連れてきているのかもしれない。だとしたら、秋は食いしん坊なのだろう。橙も紫も、食欲の秋に相応しい色をしているから。

11/13/2023, 12:05:21 PM

また会いましょう

 光を反射する切っ先が視界を埋める。瞳孔から脳まで突き刺すような鋭さは、少しでも動けば命を終わらせてしまいそうだ。
 刃を伝って視線を上げれば、こちらを見下ろす男と目が合った。氷のように冷たい眼光に、より体が硬直する。動く術を忘れてしまったように、体が動かない。
 彼と戦うために何年待っただろうか。幻の剣士として名前だけが残された彼が生きていると知ったのは、十年以上前のことだ。最強の剣士になりたいという夢を抱いた子供の夢は、今になってもずっと胸に残り続けている。憧れの夢はいつしか、密かな夢となる。剣士と認められる試験には年齢制限があるのだ。その年齢を過ぎてしまうと、剣士になる資格を奪われてしまう。だからこれは、大声で言えなくなってしまった夢だ。資格を失っても、鍛練を怠ることはなかった。全ては憧れの彼に会うため、そして、彼に打ち勝つために。
「お前の心意気は買おう、しかし、夢を追いかけるあまり現実が見えていない」
 抑揚のない声が降りかかる。憧れの声は無慈悲で冷たい。
 彼のことを知った日、街の広場を訪れていたときに聞いた彼の声は太く、逞しく、覇気に満ちていた。遠くの街まで届いてしまいそうな声は、男の胸に強く突き刺さった。どれだけ抜こうとしても、勇者の剣のように固く突き刺さったままだ。
 それは憧れ。そして、誰もが一度は抱く夢だった。
 男はそれを抜くことができなかった、ただそれだけだった。
 たったそれだけなのに、代償に男が失うものはあまりにも大きい。
「自身を見つめることも強さだ。現実が見えない男は、強くなれない」
 眼前に向けられた剣先がきらめく。青い空に上げられたそれは、誰よりも強い剣士によって振り下ろされた。