ぬるい絶望のなかで生きてる。
泣くほどでもないような。まるで、38℃のお風呂みたい。
時々、泣きたくなる時がある。
それは、ぬるい絶望のなかで見つけた、あまりにもちっぽけな悲しみ。
涙が込み上げそうで胸が詰まる。
詰まるだけ。
絶望に浸って泣くには強くなりすぎた。
強くなりすぎちゃったな。
【柔らかい雨】
新調したイチョウ色のカーテンを開けて、淡い日差しを浴びる。
ベランダに繋がる掃き出し窓を開ければ、麻で出来たレースカーテンが大きく膨らみ、ひんやりとした肌寒い風が入り込む。
たちまち部屋が秋でいっぱいになった。
頂きもののカモミールハニーティーが蒸れるのをゆっくりと待つこの時間が、私は好きだ。
秋のこんなに爽やかな日は、お気に入りのブランケットに包まれながら、秋いっぱいの部屋で本を読むに限る。
【秋晴れ】
五感の中で、最も強く記憶に残るものは『臭覚』です。
そう誰かが言っていた。
私はそれを信じて疑わない。
思わず口から溢れた「好き」に、目を丸くして、それから困ったように笑っていた。
ふんわり香る甘くて爽やかな香り。私の初恋。
【忘れたくても忘れられない】
夏の昼下がり。
昨日の夜から降り出した雨はまだ止まず、ぱらぱらと軽やかな音で雨をはじく窓からは、うす暗い光がさしこんでいる。
キャミソール1枚で過ごすには少し肌寒い気温だ。
くしゅん、と小さくクシャミをすると、ユキは読んでいた本を開いたまま伏せて、おいで、と穏やかな声で言いながら私に向かって手を伸ばす。
私は素直にベッドとブランケットの間に潜り込み、ユキの体温を感じるように彼の腰に腕を回して寝転んだ。
ユキは満足そうに微笑み、右手で私の髪を優しくなでながら、左手に本をとり、物語のなかに戻っていく。
ユキはとても活動的な人間で、友達も多いし、趣味も多い。
休日はだいたい外出してしまう。もちろん、私も連れ立って外に出かけることもあるのだが。
でも、雨の日の休日は違う。
日がな一日、私たちはベッドの上で大半を過ごすことになる。
雨が降り続くかぎり、ずっとユキの体温を感じることができる距離にいることができる。
愛しいという気持ちが溢れてきた私は、好きよ、とユキを見つめて呟いた。
ぼくも好きだよ、ユキはそう言いながら、同じように右手で私の頭を撫でた。
【いつまでも降り止まない、雨】
マコトくん。
それが私の知っている、彼の名前だった。
マコトくんは、私より11歳年上の、夜に出勤する仕事をしているお兄さんだ。
もっとも、それも本当かどうかは分からないけれど、少なくとも仕事については、今からいってくるよ、だとか、今は休憩中だから裏でタバコを吸っている、だとか、夜中に律儀に報告をしてくれていたから、多分本当だと思っている。
今日はお店のイベントでネコ耳のカチューシャをつけないといけないから嫌だ、と嘆いていたこともあった。
病気がちで入退院を繰り返していた母親が亡くなって、わたしの心にぽかんと空いた大きな穴を埋めるため、誰かと話がしたくて何となく始めた掲示板。
私たちは、その掲示板のマコトくんの立てていたスレッドで知り合った。
マコトくんのスレッドには、たくさんの女の人たちが話をしにやってきていた。
“みんなのマコトくん”を一時的に独占するために二人だけで話をする予約を入れていた人や、“みんなのマコトくん”では満足出来ない、と告白をしている人もたくさんいた。
マコトくんの全て包み込むような穏やかな雰囲気にみんな癒されていたし、何ものにも染まらない、どこか浮世離れしているマコトくんに私が惹かれていくのに、そう時間はかからなかった。
【透明な水】