私の視線の先にはぐっすりと母が寝ている。
その近くにはやけに小さくなった気がする扇風機や棚、リモコン、スマートフォン、充電コード、私の机、布団、ゴミ箱、ぬいぐるみ、クッション。
色々なもので私の視線の先は彩られている。
これを絵に表すとどのようになるのだろうか。きっと書き手によって変わるだろう。
だが、気になるのだ。生活感のある絵?リアルな絵?アニメのような絵?日常を書いたような絵?もしかしたら非現実的な絵にもなるかもしれない。
そんなくだらなく、意味もないことを考えて時間は過ぎていくのだ。
「常識」
皆は、常識がない人を見てどう思うだろうか。
私の場合はそういう人を見ると距離を置きたくなる。
といっても、常識といわれてすぐにイメージできる人は少ないだろう。
ここで題材にする常識は、お礼が言えない。口を開けながら食べる。敬語が使えない。など、意識をするだけで簡単に出来てしまうような最低限のマナーだ。
そんな常識は、すっかり社会に溶け込んでおり出来ないと人間関係の構築や面接などの合格が難しくなり、生きていくことすら厳しくなる。
だから義務教育期間の色々なことに染まりやすい時期に、そういった最低限を学校で勉強と兼ねて教えていく事が必要だ。
だが、今の世の中は少子高齢化が進み、教員の人手が少ない。
ならば教員の数は勿論減るし、その分やれないことや省かれるものが出てくる。その省かれるものに「常識」は段々と、少しづつ入ってしまっているのではないかと私は思う。
だが、これはあってはならないのだろうか。
常識は人間性に直結するのではないか。ならば常識が欠ければ人間性も悪くなっていくのではないか。将来それで社会は成り立つのだろうか。
否、成り立つ可能性は極めて低い。あまりにも低すぎる。
だから将来の社会のためにも、少子高齢化をストップさせ人手不足を解消しなければならないのだろう。
私は1人部屋で、常識について考えた。
【転校前のプール】
友達Rが転校する前の思い出作りとして、私M、友達Y、友達Tと共にRと一緒に市民プールに行って遊ぼうと計画を立てた。
当日、それはものすごい晴天であり猛暑だった。
私は2時間前からずっとソワソワしながら準備しており、気持ちがかなり昂っていた。そうしているうちにあれを忘れたこれを忘れたと気付き忘れたものをバッグに詰めて居たらいつの間にか時計は約束の1時になろうとしていた。
すぐに家を出て集合場所まで自転車を走らせて、少し汗をかきながらも到着したが、写真として思い出を残すためのスマホを忘れてしまった。もう既に到着していた2人に断りを入れて取りに帰り、戻って来る時にはもう1人も着いていた。
4人揃ったところで急いで市民プールに行き、男子のRとTと別れ更衣室でYと着替えて外に出てプールに着くと、まだRとTは居なかった。
暑くてたまらなかったため先にシャワーを浴びてプールに入る事にした。そして五分くらいしたあとRとTがやっと来て、4人で遊び始めた。
私が「遅かったね。どこで道草食ってたの?」と不満を少し込めて聞くと、Rが「いや〜更衣室にクラスメイトのHが居てさ。少し話してからトイレに行ってこっちに来たって訳よ。」と多分嘘は混じっていないであろう話をした。隣でTは水中から頷いている。何やってんねん。
私は自分から聞いたが興味が冷め、そうなんだと適当に相槌を打ち、Rに水をかけた。Tには水中チョップ。
なんだかんだの出だしだったが、遊び始めると不満は消え去り全力で楽しんだ。やることは鬼ごっこや変な特技の見せ合いや泳ぎの練習や新技の発明など、様々なことをして楽しんだ。
1時半から遊び始め、2時半に出る予定だったが気付いたら3時半になっており、やっぱ遊び足りないと4時半まで遊んだ。
プールを出てからさっさと着替え、髪を乾かし、外に出た。するとRとTとYが既に靴を履きホールで喋っており、私も急いで靴を履いて行った。
そしてアイスとジュースを買い、たくさん話して、写真を撮り、2つの約束をし、帰路に着いた。途中まで一緒のルートなので、人通りの少ない一本道では自転車で競争したりしながら帰った。
夕焼けチャイムが鳴った頃合でそれぞれの家路につき、家に帰った。
私は家に帰り、約束通り今日のことを日記に書いた。
いつ、もう片方の約束が果たされるだろうか。楽しみで仕方が無い__