『紅茶の香り』
日曜日の昼下がり。一番大きな窓の側には、小洒落たテーブルがひとつ、一人掛けのソファがふたつ。
その一つに腰掛けて、あなたが来るのを待つ。数分もしないうちに、片手には白いポット、もう片方には焼き立てのスコーンを乗せた、これまた白いお皿を手にしたあなたが、キッチンから優しい笑顔で歩いてくる。
テーブルセットを終えたなら、紅茶もちょうど飲み頃になる。真白なポットで蒸らしたそれを、あなたは慣れた手つきでティーカップに注ぐ。大きくて骨張ったあなたの手が華奢なカップを持ち上げるのが、どこかアンバランスで少し可笑しい。透き通った琥珀色がティーカップを染めると、ふわりと鼻腔をくすぐるのはどこか高貴で優雅な香り。二人顔を見合わせて、期待に溢れた互いの表情に、声を揃えて笑った。
………
……
…
「……ああ…、またこの夢、ね…。」
私の日曜日の朝は、この夢から始まる。ほんの数年前は現実にあった、幸せな時間の夢。彼と過ごしたとっておきのティータイムは、週末のちょっとした贅沢だった。
あの優しい時間が現実に再び訪れることは、もう二度とない。あなたが私に遺したのは、悲しいくらいに白く美しい二人分のティーセットと、幸せの残滓みたいなこの夢。もう戻らない愛おしい人の記憶に、私はみっともなく縋り続けているのだ。いい加減前を向けと自分で思う。もう三年、まだ三年。私にはまだ短すぎるみたいだ。
紅茶の香りは、未だに恋しい。
『行かないで』
「行かないで」と小さく呟いた声は、狭い部屋、反響もせずにとけていった。
『明日も』
きっと明日も、今日と変わらない日が来ると信じていた。平凡だけれど幸せな、かけがえのない日々が続くと、心の底から信じていたんだ。
『静寂』
静かだった。自分の息遣いすら、うるさく思えるほど。音の無い空間特有の冷たさが肌を刺す。寂寞としたその空間に、君の温もりはもう少しだって残っていなかった。
くたびれたソファに腰を下ろす。スプリングが間抜けな音を立てて軋んだ。暖房の効いているはずの部屋はいやに寒々としていて、一人腰掛けるには広すぎる座面を誤魔化すように寝転んだ。背もたれにかけっぱなしのブランケットを引っ張る。瞼越しにも寝るには少し明るすぎる照明に背を向けるように、少し毛足の長いそれに包まって目を閉じた。
ふたりがひとりになった、ただそれだけで、この部屋はこんなにも寒くて広い。おしゃべりな君がいない部屋からは明るい音が消えて、代わりに重苦しい無言のカーテンがかけられた。それが取り払われることは、もうしばらくとないだろう。
身に迫る静寂はゆっくりと背に染み込むようで、僕はブランケットを握る手に力を込めた。
『鏡』
貴方の愛さえ得られれば、姿も見えない誰かからの承認なんていらなかったのに。
___鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだあれ?