「海月ちゃんって天気で表したら絶対晴れだよね!」
そう言われたことがある。
自分から明るく人と接することを心がけているし、
どちらかと言うと笑い上戸だから
間違ってはいないのだけれど。
でもなんとなく、悲しさもある。
この人はまだ私のことをよく知らないんだって。
だって中身を知ったら、
到底そんな風には思ってもらえないだろうから。
空気が読めすぎるからなんとか取り繕ってるだけ、
ツボは浅いけど愛想笑いはお手の物、
1人になれば後ろ向き反省会。
こんな私を見て、
まだ晴れみたいだねって言う人はきっと居ない。
ずっと雨が降っている感じではなくて、
どちらかと言うとゲリラ豪雨。
けれどゲリラ豪雨みたいな私なんて見られたくない。
だから今日も今日とて仮面を被って、
信頼できる人の前ではちょっとだけ仮面を外す。
例えるならそう、ところにより雨。
昨夜、夢を見た。
12月、3限目、理科、テスト返し。
その時のテスト範囲はちょうど物理で、
計算が苦手な私にとっては地獄だった。
もともと根っからの文系で、興味のあった化学や生物、地学はなんとか点数が取れていたものの、
物理だけはどうしてもできなくて。
毎回学年20位までには入っていたのだけれど、
その時ばかりは平均点ギリギリだった。
先生のことが好きになってからは、先生に「私」という
存在を知ってもらおうと必死で勉強した。
ああ、やっぱりダメだったか。
そう落ち込んで窓の外へ目を向けた時だった。
まるで私がそちらを向くのを分かっていたように、
先生が目の前に立っていた。
「今回振るわんかったね、難しかった?分からんとこ俺が教えちゃるばい」
夢かと思った。
いやまあ今私は夢でこの情景を思い出しているから、
あながち間違ってはいないのだけれど。
とにかく、
先生に個別に話しかけられたのなんて初めてで。
ひどくあがり症の私はぐるぐる頭を働かせたけれど、
その時なんて言ったか鮮明には思い出せない。
とにかく、計算が苦手で何回やっても毎回答えが変わるんですよね、みたいなことは言ったような気がする。
「ありゃりゃ、そら大変やったね笑 放課後時間あるなら俺んとこおいで。計算の特訓するばい」
その時の優しい先生の顔は今でも忘れられない。
40人もいる教室の中で、先生だけが輝いて見えた。
それまで他の生徒にそんな事を言っているのは
聞いたことがなかったし、
クラス1先生に質問する生徒会長も授業の余った時間に教えてもらうだけで、個別に先生に教えてもらったことは無いと言っていた。
ほんのちょっとだけ、
先生にとっての特別な存在になれていたのかな。
残念ながら今年は先生が教科担当ではなかったから、
分からないままだけれど。
「この問題はね、まずこのグラフから…」
2人きりの教室で、先生との特別授業。
春休みに入って、部活生以外は誰もいない校舎。
ふと窓の外へ視線をやると、
やわらかな絹で覆ったような夕焼けが広がっていた。
多少雲はあるものの、にごりのない色をしている。
春の空はどれも水彩画のような色だ。
水張りした水彩紙に絵の具を置いたときの、
じわりとひろがっていくのとよく似た空。
やはり春はどこか儚さを含んでいるよなあ、
なんて考えていた。
「ねえちょっと、聞いてる?」
話が上の空だったのがバレたのか、
先生が手に持ったペンで私の頬をつつく。
「えー聞いてましたよ、半分くらい。」
そう答えたとき、嗅いだことのある匂いがした。
ほこりと雨の混じった、ぺトリコールだ。
どうでもいいのだけれど、私はこの匂いが結構好きだ。
いいにおい、とは言えないけれど、けして嫌ではない、
癖になるにおい。
先生今雨の匂いしませんでした?と問うよりも先に、
ぱらぱらと雨が降り出す。
あんまり沢山ふらないといいな、なんて考えている
少しの間で雨はしとしとと降るようになっている。
ただでさえ今日は部活生がいなくて静かなのに、
雨でほとんどの音は消えてしまっていて。
気づくと先生はこちらを真っ直ぐと見つめていた。
やけに先生の視線が両の眼の奥へと突き刺さった。
1、2分そうしていたが、ついに耐えられなくなって
私はテキストへと視線をやった。
「なんだか世界に俺たち二人ぼっちみたいだね。
こういうのも悪くないかも。」
朝、窓を開けて空気を入れ替える。
新しい空気はまだ少し冷たくて、それが心地よい。
鼻腔いっぱいのみずみずしい香り。
庭のムスカリが風になびくしゃらしゃらという音。
遠くの線路沿いに見える鮮やかな菜の花。
そういう、今だけしか味わえないものが好きだ。
まだ先生は夢の中にいるようで、
差し込んだ陽光が
その頬にまだらの模様をつくっている。
その寝顔は私より干支一回り以上も
年上の人のものだと思えないほどに幼い。
なんて幸せそうに眠るのだろう、このいとしい人は。
そう思ったところで、すとんと気づいてしまう。
これはただの願望で、現実ではないことに。
ああでもそうだ、この間やっと美大を卒業して、
先生のいるこのまちに帰ってきて。
ついに昨日、先生と久しぶりにご飯に行ったんだっけ。
こんな幸せな夢、覚めないでよ。
でももし、
こんなふうな未来が待っているとしたら。
全然悪くない。
むしろ楽しみで仕方ない。
気づくとそこは寝室で、
時計は午前7時すぎをさしていた。
おもむろに伸びをし、おおきく深呼吸をする。
窓はまだ開けていないのに
鼻腔に春の香りが満ちて、
ほんのちょっとだけ、若葉の苦い香りがした。
いつもと同じ時間、
スマホのアラームが鳴る。
まだはっきりしないままの頭で音を止めた。
ふたたびやってくる海の底のような静寂。
もうちょっとだけ、と二度寝しかけて
何かが引っかかっていることに気づいた。
画面の上の方に、なにやら見慣れないポップアップ。
「今日、暇だったりする?」
送り元を確認すると 先生 の二文字。
一気に目が覚めた。
「卒業したら会いに行くよ。」
あの言葉は嘘じゃなかったんだ。
頬が紅潮するのがわかる。
鼓動がうるさい。
細胞一つ一つが小躍りしているみたいに嬉しくて、
気づけば声に出していた。
「はい!!暇です!!!」