日々の生活には小さな勇気がいることがたくさんだ。すぐになくなってしまう。
君が何かに感嘆する姿を見ているのが好きだ。君の物事の捉え方は独特て独創的。僕の世界を広げていってくれるから。
終わらない物語を始めよう。それなら、君のいのちはぐるぐると円環のように循環する。いつまででも君はすぐそこに。君は永遠のいのちを得て、ぼくの傍に立つ。
真夜中を過ぎた頃、アルアは遠くで聞こえる怒声で目を覚ました。
どうせ目覚めるのならば、小鳥のさえずりの方がよかった。がっかりした気分で、彼女はカーテンを少し開けると、隙間から外を覗いた。
家の周りに人影はなかった。怒声はもう少し遠いところのようだ。
(……よかった。まだ家が見つかってないみたいで)
アルアは内心胸を撫で下ろす、今度はどんな物音にもわずらわされないように、きちんと耳栓をして二度寝の体勢に入った。
瞼を閉じると、まなうらには満天の星空が見える。アルアにとって物心ついてからの原初の記憶だ。ちかちかと瞬く星を数えているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
しばらくして水平線から太陽が顔を出した。街に人々のざわめきが溢れ出してくる。
太陽が真上にやってきた頃、ようやくアルアは目を覚ました。
今日は任務も何もない。簡単に身支度したアルアは、小腹が空いていたので、何かつまもうと階下に向かった。
もう時刻は正午を回っている。街中は人々で賑わっている頃合いだろう。路地裏の突き当たりにある、家々に囲まれたこの場所には、その賑わいは届かない。いつだって静謐だ。
リビングに足を踏み入れた彼女は、ソファでぐっすりと眠るアルフレッドを見つけて、溜息をついた。
また夜明け前にでも帰ってきたのだろう。いつだってそうだ。彼の寝室もアルアと同じく二階にあるが、足音や物音で眠りの浅い彼女を起こさないようにという気づかいに違いない。
(……別にいいって言ってるのに)
それよりも、どうせ気づかってくれるのならば、賭博で荒稼ぎする癖をやめてほしいものだ。
彼が知っているのか否かは知らないが、彼と勝負して大金を巻き上げられた強面の人たちが、彼のねぐらを突き止めようとあちこちうろついているのだ。実際に突き止められて、襲撃されたことは何度もある。そのたびに引っ越すはめになるのだ。
頻繁に引っ越す理由を、アルフレッドに問われたことがあるが、そのときは到底真相を口にすることはできなかった。彼がとても不安定な時期だったからだ。
アルアはパンを焼き始めた。いい匂いが辺りに漂い始めた頃、床が軋む音がして、アルアは音の方へと振り返った。
「おはようございます」
パンの匂いに釣られたらしいアルフレッドが、寝ぼけ眼をこすりながら顔を覗かせている。
「もうお昼だって過ぎてるわ」
アルアはそう言うと、口元を少し緩めた。
黄昏に覆われていた空が、雲が晴れるように徐々に青色に変わっていく。
その様子を見ていたルヴィリアは、災厄の元凶を斃すのだと旅立ったニェナが、ついにその目的を果たしたのだと悟った。
それは別にルヴィリアだけでない。まるで世紀末のような様相を呈す空模様に怯えていた人々も一緒だった。空の色が元に戻ったことで、誰が何をしたのかはわからずとも、この災厄の終結を理解した。
各地の人々は歓喜に湧き、ソーンバルケの街の人々も同様だった。
喜びを伝えに領主の館へと来る者たちを温かく迎え入れながらも、ルヴィリアは今後のことについて算段していた。せざるを得なかったというのが正しい。
此度の災厄も、この終わらぬ黄昏の空も、まるで生まれたときから既にあり、幾星霜もこのままだったような気がする。しかし、災厄が始まったのは三年前、空を黄昏が覆い始めたのだってまだ三か月しか経っていない。
そんな長いとも言えない期間の出来事だったのに、ソーンバルケを含めたあちこちの国が壊滅的な状況にある。堅固な防壁に囲まれた領主直轄の街であったから、ソーンバルケはまだましな方であったが、領地のあちこちにある村落は魔物の襲撃などで被害を受けてしまった。
「――ニェナさんがとうとうやり遂げられたんですね」
ルヴィリアの傍らでアベラルドが口を開いた。彼はルヴィリアと同じように空を仰いでいた。
「ああ。そのようだ」
頷いたものの、ルヴィリアは溜息をついた。
先の内乱で命を落とした父親の跡を継いで、領主となったルヴィリアにはやるべきことが山積みだった。この街の、己が領地の復興が、自分に務まるのだろうか。不安は尽きない。
彼女の溜息に気づいたアベラルドは、ルヴィリアの方を見やった。
「どうかされましたか?」
いや、と彼女は首を横に振った。
「これからが始まりなのだと思ってな」
瞳を閉じれば、今でも美しかった街の姿を思い出せる。歩みは遅くとも、いつかその姿を取り戻してみせる。