『風に乗って』12/180
がらら、がら、がしゃん。
乱暴に積まれた桶が震えて音を立てる。
旦那、今日は売れなくて虫の居所が悪いみてえだ。
おれにゃあどうすることもできんが。
仕方ねえ、ここは一つ。
きいきい、からから。
今朝は油を差し忘れて自転車の車輪が音を立てる。
はんどるに桶の取っ手を挟み込み、漕いでいく。
全く、何だってんだ、今日は。
鼠が桶を齧りやがったせいで使い物にならなくなっちまった。わざわざ桶を買わなくちゃあならんとは。
旦那、飛ぶように売れて嬉しそうだ。
ちゅう、ちゅう。
『刹那』20/168
私たちの生きる時間を細かく斬り刻んでいくと、やがて前後の関係は消失し刹那が世界に点在するようになる。
このことは、写真に似ている。
写真は世界から刹那を切り取り半永久的に保存する。
その時写真の中のものは時間から離脱し生き続ける。
対して、動画は何百の写真を繋げたものだ。
それは何百の刹那を集めたもので、ご存知の通り動画は時間の流れとして自然に適っている。
刹那というもの自体には時間という概念は存在しない。
しかしそれを集め繋げると次第に時間が生まれてくる。
ゆえに世界とは刹那の集合体であり、私たちは刹那刹那を生きている。
『生きる意味』17/148
生きる意味、とは。
生物学的に言えば、子孫を残すためだろうか。
経済学的に言えば、社会を発展させるためだろうか。
心理学的に言えば、将来を楽しむためだろうか。
「生きる」という言葉に似た意味をもつ「不死」について考えてみよう。
不死、とは。
真っ先に思い浮かぶのはかぐや姫の物語、不死の薬だ。
かぐや姫が月に帰ってしまうのを悲しむ翁と嫗たちに、形見として不死の薬を贈る。しかし彼らはかぐや姫がいない世界に留まり続ける意味はないと薬を焼き捨ててしまう、という話だ。
このように、不死とは世界に不変の価値をもつものが存在しないと全く意味のない状態となる。
生きる、とは刻々と変化する物事の価値を探し求め、それを見失うまいともがき続ける連続した行為である。
その行為の意味は、自分が自分である事を認めるため。
自分と物事を価値で結びつけ世界に留まり続けるため。
そしてその方法を探すことが、私たちが生きる意味だ。
『善悪』
私たちが悪に走ることは簡単で、
また悪事は千里走るのも容易だという。
私たちが善でいようとすることは難しく、
また善行は往々にして人に知られない。
善悪は、水と油のような関係であると同時に、
それぞれで相反する長短が存在する。
だからこそ善悪とは不安定で表裏一体であり、
人間は善と悪を切り分けることができない。
倫理を選ぶならば善であるべきで、
利益を選ぶならば悪であるべきだ。
善であるならば、豊かな生活は保証できないが、
良く生きることはできる。
悪であるならば、良い生き方とはいえないが、
生活は豊かになる。
あなたは、どちらを選ぶ。
『流れ星に願いを』22/131
星が見えない私に代わって、お願い⸺
今日はふたご座流星群が見える日らしい。
ニュース番組やSNSでは専らその話題で持ち切りで、
星が良く見える穴場スポットなども紹介されている。
「天望山キャンプ場」「天野川河川敷」「月読神社」…
よく聞いた場所だ。リモコンに手を伸ばす。
その時、スマホが鳴る。聞き慣れないeメールの通知音。
この現代でメールを使うような奴は…
From:星見 優
To:彗
件名:集合
…やはりか。ただ、目を引いたのは件名の二文字。
本文が白一色の空メールにため息をついて立ち上がる。
厚めの上着を羽織り懐中電灯が入った小さな鞄を持つ。
そして、あの場所を目指して歩き出した。
着いた頃には既に日は沈み黒い森が僕を出迎えた。
懐中電灯を取り出し山道を進む。
中腹辺りまで達したところで、ふと横を見ると、
不自然にも木の棒が天を見上げて突き刺さっていた。
そちらに逸れ少しばかり歩くと、そこにあった。
ずいぶんと朽ちてボロボロになってしまったが、
まさに「秘密基地」とでも呼べるような小屋がそこに。
入口に立ち、ノックを3回。コン、コンコン。
「天を望むこの山に。」
「あのね…僕だって分かってるでしょ。」
「………」
「…今夜は星が降ってくる。」
戸が甲高い音を出しながら開いた。
「合言葉、覚えてたんだ。あんなに昔のことなのに」
「まあ…ね。どれだけやったと思ってるのこの流れ…」
「それもそっか。あはは」
手を後ろにニコリと笑う彼女こそが、
僕が小さかった頃の友達の優…星見優だ。
見ない間に身長も高くなり外見も大きく変わっていた。
しかし…
「…眼、やっぱり治らないのか」
「…うん、もう視力が戻ることはないって」
「………」
「そんな暗い顔しないでよ、もう何年も前の話だし」
そう言いながら優は髪を指に絡めて遊んでいる。
「………」
小学生の時の話だ。いつものように秘密基地に行った僕は中にいるはずの優を見て、
言葉を失った。彼女は戸の前に倒れていた。
赤黒い何かが僕の眼に飛び込んできて、離れなかった。
顔には三本の掻き傷。誰がどう見たって熊の仕業だ。
でも僕はその時、理解ができなかった。
ただただ、尋常ではない様子の優に、オロオロしているしかなかった。
パキッ。
僕が知らず枝を踏み折った音で我に返る。
そして、目を開けない優を抱えて、森を駆けた。
そこからの記憶は定かではない。気が付いたら僕たちは麓の猟師さんの家の布団の上で、夜は既に明けていた。
優はまだ起きてはいなかっただろう。
僕は…僕は、何と声を掛ければいいか分からなかった。
それから優は長い入院生活に入って、僕は毎日お見舞いに行った。けれど、僕は優の顔を見られなかった。
勿論、初めは包帯でぐるぐる巻きにされていたから、というのもある。でも、ある日それが取れていて、痛々しい傷痕が見えて…僕は俯くことしかできなかった。
優はそんな僕を知ってか知らずか、いつものように明るく話をしていた。髪をクルクルと絡めて遊びながら。
「…その癖」
「えっ?」
「髪の毛をクルクル絡めるやつ。変わってない。
不安なときにやってるでしょ」
「あはは…ばれちゃったかあ。ほんとに…よく覚えてるね、もう数年も会ってないのに」
「……ね、じゃあ、あの時のお願いも、覚えてる?」
「…お願い?」
「やっぱり覚えてないかあ、あの時は彗くんすごく頑張ってくれてたし、無理もないか」
お願い?あの日、あの時に?優が、僕に?
「うーん…もう一回言うのは少し恥ずかしいなあ…
頑張って思い出してくれないかな?なんて、あはは」
「えー…全然覚えてないよ、ヒントとかないの?」
「ヒントかー、そうだなあ…あ」
「彗くん、空見てみてよ」
「空?…って」
見上げると、思わず息を呑んだ。
何もかもを吸い込んでしまいそうな夜空に、光の筋が現れた。一つ、二つ、黒板に白いチョークで文字を書くように、星が空を滑る。その数は次第に増えていって、僕に何かを教えようとするかのようにいつまでも流れる。
そう、何かを…僕は何かを忘れている…
夜空…流星…お願い…見上げて…声が…
…声?あれは…優の声?
あの時、優は息も絶え絶えに、僕に何かを…お願い…
「…あ」
「お、ついに思い出した?」
「…うん」
「良かった、そんな事今になって言えないでしょ?」
「まあ…確かにね、だから今日も『集合』だったんだ」
「そう、あの日みたいにね」
「…さて、折角思い出してくれたことだし、あの時の続きを、お願い、しようかな」
「…本当に、いいの?」
「嫌だったらそもそも誘ってないよ」
「…わかった」
星に願いを託すには、今日しかないよね。
そう言って笑っていたあの日の君の笑顔が浮かぶ。
幾年を越えて、あの日と同じ星々へ。
星が見えない君に代わって、お願いします、どうか⸺
「終わった?」
「うん、願い終わったよ」
「何をお願いしたのかな?言ってごらん?」
「分かってるくせに…」
「あはは」
「さ、帰るよ」
「えー、まだ秘密基地の気分ー」
「もう子どもじゃないんだから…風邪ひくよ」
「この上着ちょうだいよー」
「そしたら僕はどうしたらいいんだよ」
「あはは、たしかに」
「ほら、足元危ないから」
「………」
「…はあ、ほんとあの時どおりだな」
「ゆっくりでいいよ?」
「ゆっくりとしか歩けないよこれじゃ」
「あはは、言葉には気をつけなさい」
流れる星に乗って、願いは既に叶えられた。