怖い夢を見て目を覚ましたら、黒猫の「おこげ」が窓際で丸くなっていた。わたしが手を伸ばして真っ黒な背中に触れると、ぐるぐる鳴った。猫の喉音は格別だ。
呼吸で上下するおこげを数回優しく叩き、背に指を滑らせた。
とくん、とくん、おこげの脈が伝わる。
お日さまの光をたくさん浴びたおこげは温かかった。
風邪のせいなのか、心細さのせいなのか、いつもは知らんぷりしてるおこげがそばにいてくれるせいかわからないけれど、わたしはずびずびと鼻を啜った。
「おこげ」
三角の耳がこっちを向いている。
振り返らなくても、聞いてくれているんだ。
「ありがとね」
くぁ、とあくびしたおこげの牙が見える。
背を低くして丸まったおこげを撫でながら顔を向けた時計は、9時を示していた。
もう一回寝よう。
大丈夫、おこげと一緒だもの。
お題:世界の終わりに君と
キッチンの奥でチン、とトースターが鳴った。
間も無く軽い足音が横切っていく気配がして、甘ったるい「できたよぉ」という声とともに、彼女が現れた。
少し焦げついた食パンとバゲットがカゴに並んでいる。
その中でひときわよく焼けたやつを手に取り、僕は皿に乗せた。あっ、と彼女が抗議する。
「それ、私が食べるつもりだったのに」
まあまあ、と宥めながら、僕はバターといちごジャムをトースターに塗りたくって、彼女の皿に乗せた。
ほぼふやけてしまっているせいでよれていて、あまり四角くない。
それでも寄せていた眉がぱっと離れ、目が輝いた。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
「へへ、いつもよりジャムもバターもいっぱいだ」
ふんふん、と鼻歌が聞こえてくる。
口の端いっぱいにジャムとバターをつけて彼女がパンを頬張る。それだけで僕はおなかいっぱいだ。
「ねえねえ」
視線を向けるより先に、彼女の顔があった。
大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、彼女は言う。
「またいつか会った時、また一緒にいてくれる?」
口の中が甘酸っぱくて、生ぬるい。
最期に見る光景が彼女でよかったと、心底思った。
「ありがとう」
屈んだまま、北斗が言った。理由が分からず黙っていたら、少しだけ身を起こした彼は
「これ、くれて」
と、手にしているネイルの小瓶を見せて笑った。
私はぎこちなく笑って、彼の頬に貼られたままの湿布を盗み見た。まだ、『元カレ』に叩かれた頬は腫れている。
「あとは乾かすだけだよ」
「おー。似合うじゃん」
「ね、夜鷹も塗ってあげる」
「いい、いい、似合わないって」
そんなこと言わずにさ、と骨ばった北斗の手が私の足首を掴む。
女の子って細いんだね、なんて笑いながら丁寧に私の爪を塗り潰していく。濃紺にラメが散りばめられたネイルは、夜空みたいだ。
少しだけ震えている手が、爪からはみ出て親指を引っ掻いた。
「俺も女の子だったら良かったのかな」
北斗の頭を軽く叩いた。鼻を啜った北斗は私を見て、泣きながら笑った。
黒い瞳が輝いて、星が溢れるようだった。