先輩は先輩で、僕は後輩だから、先輩の方が一足先に20歳になる。だけど、お酒を飲んでいる先輩も、煙草を吸っている先輩も、なんだかうまく思い描けない。先輩はシャンメリーの入ったグラスを回しながら、ココアシガレットを指先で弄んでいるのがよく似合うのだ。最大限カッコつけて、大人のふりをしている子供。だからこそ自由で、だからこそ美しい。
ひとりだけ先に大人になった先輩の隣に、子供の僕はいられるのだろうか。せめて、僕が大人になるまで、時間を止めて待っていてくれたらいいのに。
「先輩、1年くらいコールドスリープする気ないですか?」
「君も一緒に寝てくれるなら別にいいよ」
僕まで眠ってしまったら、その間に先輩に追いつく計画が台無しだ。「それだと意味ないんですよ」とぼやけば、先輩は残念そうな顔をした。
「夢の中でココアシガレットくわえながらジープ乗り回して、シャンメリータワーで乾杯したかったんだけど」
「……僕と一緒に?」
「君と一緒に」
単純な僕はそれだけで満足して、「いつか現実でやりましょうね」と約束を取り付ける。先輩は約束を破らないから、僕達は大人になっても馬鹿げた夢みたいなことで大真面目に遊び続けるのだ。
「お月さまって、なんでひとつしかないんだろう」
遠くを見つめて先輩は言った。その一言だけで、僕は宇宙を旅する猫みたいな気分になった。月って、ふたつ以上ほしいものだろうか。
月は北極星なんかと違って動くから、道しるべには向かないけれど、それでも、行き場のない暗闇を照らしてくれる光ではあるはずだ。縋れるものがいくつもあったら、どれを頼りにしていいかわからない。
そんな夜をこれっぽっちも知らない先輩は、言う。
「だってふたつあったら、三日月の夜は笑ってるみたいに見えるでしょ?」
屈託なく笑うその顔を見て、僕は知る。夜空が笑っていると、先輩は嬉しいのだ。それなら月がふたつあったっていい。満月の夜はぱっちりおめめだし、新月の日はどこに目があるのかすらわからないけど、空も笑う日があるというだけで、明るくなる心もきっとある。
「右の月には私が住むから、左の月は君にあげよう」
「当然のように所有権持ってますね、先輩」
「地球が滅んだら移住する予定なんだ」
目に住んでしまったら、笑っている夜空を自分では見られなくなる。そういう細かいことをきっと先輩は何も考えていない。先輩はいつも適当だ。
そして先輩はひどい人でもある。とてもひどい先輩は、僕と一緒の月には住んでくれないらしい。月と月の間を行き来するロケットが、その頃には出来上がっていてくれないと少し困る。
駄菓子のスティックゼリーが苦手だ。問題ないと分かっていても、食べ物が纏うには嫌に不健康すぎる色合いが恐ろしい。
でも、先輩は駄菓子屋で必ずそれを買う。今日は箱ごと買った。50本くらいあるだろう。そんなに食べたら体に色が移ってしまいそうだ。
「好きなんだよね、色がきれいで」
「味じゃないんですか」
「もちろん味も嫌いじゃないけど」
そう言いながら先輩は、無造作に何本かゼリーを取り出して空に掲げた。陽の光を浴びて、半透明のそれらはきらきらと輝く。
「こうやって並べると、なんだか虹みたいだから」
先輩は笑う。そしてオレンジ味のゼリーを束から引き抜いた。先輩の手の中の虹はあっけなく橙色を失ったことになる。6色の虹がどこか欠けていると感じるのは、僕達が虹の色を7色分知っているからだ。
「国によって虹の色は違うらしいですよ」
「一番上が黄色だったりするの?」
見たことのない虹を思い浮かべながら、僕は先輩に、色の見分け方の違いを説明する。「藍色を見分ける僕達の方が、世界から見れば変なんでしょうね」と僕が言うと、先輩は気の抜けたよくわからない返事をした。
「でも、黄色から始まる虹、見てみたくない?」
色の見分け方より、先輩の興味はそっちにあるようだった。
先輩の手元を見る。1色を失ったそれは、まだかろうじて虹に見えるけど、きっと先頭が黄色になってしまえばもはや虹ではないだろう。天変地異もかくやだ。誰もそんな虹は見たくない。
だけど、先輩だけはそれを見て喜ぶのだろう。僕は奇怪な虹よりもそっちの方がよほど見てみたい。
先輩の虹を黄色から始めるべく、僕は虹の中からいちご味をもらう。
「雪だ」
先輩が呟いた。その時点で、今日の僕達の活動は決まったも同然だった。
「雪だるまつくろう」
「その映画もう10年以上前のやつですよ」
「私は昨日初めて見たよ」
先輩はいい加減だから、本当に昨日初めて見たのか、10年前のことを昨日と呼んでいるのか、僕にはわからない。わからないけど、もし本当なら一番楽しい時期だろうなと思った。
ほんの少ししか積もっていない雪で、苦心しながら先輩は雪だるまを作る。正しく雪だるまと呼べるのかもわからないちっぽけで歪なそいつは、贅沢にも「カローレ2世」という名前を先輩から賜った。「イタリア語で熱という意味なんだ。情熱的な男になるよ」なんて先輩は言う。僕は無茶苦茶な期待を背負わされたカローレ2世に同情する。そもそもなんで2世なんだ、1世はどうした。
「私と一緒に、どこまでも生きようね」
手のひらに載せたカローレ2世に向かって、まるで神様のように無垢に先輩は微笑んだ。残酷な慈悲深さ。先輩のこういうところが僕は好きで、いつだって同じくらい憎らしい。
今日ははらはらと雪が降るくらいには寒い。でも、明日はそうでもないことを僕は知っている。たった一晩でさえ彼が乗り越えられるかはわからない。先輩はそれを知らないし、きっと興味もないだろう。
だから僕は何も言わずに、ただ彼がその身に宿した名前に押しつぶされず、できるだけ長くここに在れることを祈る。