「センパイは今、何をしてますか?」
かれこれ1時間、自分の部屋に閉じこもって、真っ暗なスマホの画面に向かって呟いている。
5月の体育祭で、1学年上のセンパイに一目惚れをした。
高校生にとっての1学年差は、とてつもなく大きい。
だからこそ猪突猛進して、猛アプローチを重ね、なんと、数週間前から付き合えることになった。
毎日のメッセージは欠かさず、一緒に帰れるときは家まで送ってもらえて、これが付き合うってことなんだなぁと少し浮かれていた。
ふと冷静になって、ここまでの状況を整理してみたら、
年下のヤツに毎日追いかけられて、
そうこうしていたら今度は毎日メッセージが届くようになった、
という状況であることに今更ながらに気がついた。
急に恥ずかしくなってきた。
「センパイは今、忙しいですよね、たぶんきっと」
そんなことを考え始めたら、昨日まで気軽に送っていたメッセージが書けなくなってしまった。
ちょっと外の空気でも浴びてこよう。
じっとしていたら、余計にわけがわからなくなる。
体勢を変えて、立ち上ろうとした瞬間、スマホの画面が明るくなり、電話の着信を知らせてくれた。
「もしもし、センパイ?」
声より先に騒がしい音が飛んできた。
「外ですか、今?」
「うん、散歩中。なんか横を、チャリンコ軍団が追い抜いていった」
さっきよりクリアに声が聞こえる。
「なんか、毎日メッセージをくれる子から連絡がこなくて、体調でも悪いのかと心配になっ……」
「心配してくれたんですか⁉︎」
思わず大きな声を出してしまった。
「アハハ、なんだ、元気じゃん」
心配してくれていた。どうしよう、嬉しい。
窓の外から、近所に住む小学生たちだろうか、賑やかな声が多重奏になって響いている。
今の私はどんな音も祝福してくれているみたいに感じられる……
ん?多重奏?
同じ音がスマホからも聞こえてくる。
「センパイは今、どこにいるんですか⁈」
慌てて窓を開けると、2階の私の部屋を見上げているセンパイの姿を見つけた。
「考え事してたら、ここまで歩いてきちゃったよ」
バッチリと目が合う。そして反射的に窓から身を乗り出していた。
「散歩にお付き合いしてもいいですか?」
スマホを持つ手とは反対側の手でOKの合図をくれた。
すぐさま、階段を駆け下りる。
嬉しさのあまり、豪快な音を立てながら。
繋がったままのスマホからは笑い声が聞こえる。
いとしい君は今、すぐそこにいる。
【君は今】
今日の天気は、どんよりとした曇り空。
「これが噂のメランコリックな空、ってやつね。
メランコリックって言葉の響きは可愛いのに、
物憂げという意味は全然可愛くないっ」
空は心を映す鏡と誰かが言っていたけれど、
晴天でも快晴でもない曇り空が私の目には映っている。
1週間前、彼氏と大ゲンカをした。
お互いが社会人1年目、覚えなきゃいけないことが山積み同士。
仕事はもちろんのこと、最低限のビジネスマナーに、忖度のさじ加減という、何だかよくわからない難題にも追われ、全く心に余裕がない。
あまりの忙しさに、彼氏と次に会う約束はリスケ続き、連絡することさえも次第に少なくなっていた。
無理をしてようやく会えた日。
せっかく会えたのに、頑張っているのは同じなのに、
どこかで掛け違えたままの気持ちは軋轢を大きくしただけだった。
「キライになったわけじゃないんだけどなあ」
今は、晴天でも快晴でもなく、
どしゃ降りでも雷雨でもない。
少しだけ雲が厚い、きっとそんな曇り空。
あの雲を取り払えば、その下には晴れ渡る青空が広がっているはず。
もしも、私の気持ちに寄り添ってくれるのなら、
まだ一緒にいられる。
何を見ても、何をしていても、
キラキラと輝いていたあの頃の想いは残っているから。
だけど……
今の私は、どうしたいのだろう。
目の前の空に手を伸ばし、その手をすっーと右に動かしてみる。
どんよりと曇った、物憂げな空のままだ。
「物憂げってやっぱり可愛くない」
私はスマホを取り出し、彼に電話をかけ始めた。
【物憂げな空】
大学生の息子が久しぶりに帰ってきた。
「オレでも作れるレシピ教えて。あと、道具を一緒に探してよ」
最近、自炊を始めたらしい。
レシピなんてスマホで簡単に探せるだろうに、母を気にかけて、わざわざ来てくれたということだろうか。
目的地までお互いの近況報告を話しながら、さりげなく車道側を歩く息子。
すっかり、いいオトコ予備軍になったものだ。
ふと、手にしている鞄が目に入る。
使いやすそうなオリーブ色の鞄に、小さな赤いマークが付いている。
気になって、思わず鞄に顔を近づけてしまい、「ん?どうした?」と上のほうから息子の声が飛んでくる。
「ごめんごめん、見えなかったもんだから、つい」という答えにも全く気にしない様子で、鞄が見やすくなるように、大袈裟に身体ごとこちらに向けて見せてくれた。
「あっ、テントウムシ。テントウムシのバッジなんだね」
オリーブ色の帆布の鞄に赤いワンポイントが効いている。
「このトートバッグ、カーキね。オリーブ色じゃなくて」
褒めたら何故かトートバッグの色を訂正された。
「うるさいなあ、一丁前にオシャレ気取っちゃってさ」とわざと拗ねたフリをしてみたら、「いい歳の大人が何してんの」なんて、笑いながら軽くいなされた。
「最初はさ、コンビニ弁当でいいやと思ってたんだけど、食費がヤバくて。で、作ってみたら、案外楽しくてさ」
そう話す息子は、やはりどこか顔つきが変わってきた。
今日は息子のリクエストで、カレーライスを作ってあげることになった。
残ったカレーを持ち帰る気満々の息子は、2人分にしては多めの食材を買うついでに、鍋とおたまをしっかりと購入していた。
家に帰る道すがら、他愛もない母のお喋りに相槌をしていた息子がテントウムシの話をし始めた。
「オレのラッキーモチーフはテントウムシなんだよね」
母の知らない息子の一面が急に出てきた。
「初めてテントウムシに触ったたき、幼稚園くらいだったかな。自分より小さな命にどう触れればいいのか分からなくて、母さんから見たらたぶん、潰してしまいそうな感じだったと思うんだよね。そしたらさ……」
そう話して、自分の左手を指をそっと伸ばして、優しい視線を私に向ける。
「『テントウムシさんはね、幸せを運んでくれるムシさんなんだよ』って教えてくれたんだよね。覚えてる?」
……思い出した。
息子の指に止まったテントウムシを私の指にそっと乗せて、二人で見守っていたら、小さな羽をぱぁっと広げて、空高く飛んでいった。
「あのときから、テントウムシを見ると、なんか幸せな気分になるんだよね」
ゴソゴソとポケットから小さな袋を取り出した。
「さっき、似たようなバッチを見つけたから」
差し出された袋の中から、小さな赤いテントウムシが顔を出した。
【小さな命】
「なんで、結婚記念日の当日に飲み会?」
美味しいものでも食べようと前々から約束していたのに、あろうことか夫はドタキャンした。
「お世話になってる上司が結婚するって聞いて、お祝いだったんだよ」
「結婚はめでたいけど、私たちの結婚記念日のほうが先約でしょ。しかもその人、結婚するの2回目じゃんっ!」
前にも、仕事のトラブルとか言って、クリスマスデートの約束を破られたことがあった。
そのときは、トラブルだったこともあり、用意してくれていたプレゼントに免じて許してあげた。
しかし今回はブチキレた。プレゼントくらいじゃ許さない。
表に出てくる愛情が足りてないってことを思い知らせてやる。
翌朝、仕事へと向かう夫に「いってらっしゃい」と投げキッスをしてみた。
突然の事態にうまく反応ができなかったようで、ぎょっとした顔を浮かべ、「ぃってきます」の言葉を残して、逃げるように出かけていった。
別の日には、アイドルの子みたいに、両手や指で作ったハートを付けて「いってらっしゃい」と言ってみたが、「あ、うん、いってきます」と受け取るだけにとどまった。
想っているだけじゃ伝わらないんだぞ!とは思うが、夫は不器用で典型的な照れ屋だ。
それならば、簡単でライトなサインにしてみよう。
右手の親指と人差し指で「L」の文字を作り、「いってらっしゃい〜、Love you〜」と手を振る仕草を添えて送り出した。
「…いってきます……」
ドアの外に踏み出しかけた足を止めて、伏し目がちに振り向いた。
そしてもう一度「いってきますっ」と声に出して、夫は一歩踏み出していった。
ドアが閉じようとするその隙間から、「L」の文字を作る右手がちらりと見えた。
【Love you】
祖母は太陽のような人だ。
いつも目を細めてニッコリと微笑んでいる。
両親が共働きで、学校から真っ先に帰る場所は、
近所に住む祖母の家だった。
小学生のころは、今日の出来事を一つ残らず話したくて、
祖母のところへ走って帰っていた。
どんな話にもニコニコと聞いてくれるのがうれしかった。
中学は運動部に所属したせいで、いつも腹ペコ状態。
よく食べる祖母と二人して、たくさんの焼肉を平らげた。
高校生になると、同級生との関わり方や勉強のストレスから
祖母と会話する余裕のない日が増えていた。
ある日、学校の友達とケンカしてイライラのまま帰宅した。
家に着いた瞬間、祖母の家に立ち寄ると約束していたことを思い出し、
忘れていた自分に苛立ちながら、祖母に会いに行ってしまった。
いつものようにニッコリと微笑み、迎え入れてくれただけなのに、何故かどうしても素直に受け取れずに
「そういうの、大キライ」と言葉にしていた。
放たれた自分の言葉に自分で驚き、その場から逃げ出していた。
次の日の朝、食べることが大好きな祖母のために、
ホットケーキミックスを使ってレモンケーキを作った。
「昨日はごめんなさい。ケーキ作ったから一緒に食べよう」
いつものようにニッコリと微笑んで迎え入れてくれた。
そして、最近の祖母は、レザークラフトに興味があって、
図書館の本で調べているという初耳な話を聞きながら、
一緒にレモンケーキを食べた。
大学生になった今、祖母の話が聞きたくて、なるべく会いに行くようにしている。
たぶん私が少しだけ大人になり、ちゃんと話を聞くことができるようになったのかなと思う。
「喜怒哀楽は、多ければ多いほど心を豊かにしてくれるの。
毎日何かを発見できる喜び、
おじいさんと喧嘩したときの怒り、
好きな人に嫌いと言われたときの哀しみ、
美味しいものを一緒に食べる楽しさ……
喜怒哀楽がなかったら、平坦すぎて面白くないわ」
そう話しながら私の手を握ってポンポンポンと撫でる。
「それにね、喜怒哀楽はね、皺になって刻まれていくの。
あなたのこの手も顔も、たくさんの皺が増えていくわよ。
だけどそれは日々が豊かであるということなの。
嫌なことも皺になるだけよ」
目を細めて、いつも以上に小さな皺を目尻に集めて、
ニッコリと微笑む。
私は祖母の柔らかな手をそっと包み、ちょっと言い返す。
「嫌なことはイヤだなあ。それに、もう少しツヤツヤな手のままでいさせてよ」
二人で顔をクシャクシャにしながら、笑い合った。
【太陽のような】