持たざる者たちのシンパシー(テーマ 同情)
1
中世ヨーロッパ「風」のどこかの世界。
私達が名も知らない王国の首都に、大きな貧民街があった。
貴族や市民階級が近寄らない、明日のことを考えられない貧民の街。
自警団はここには近寄らず、衛兵など輪をかけて近寄らない。
平穏や秩序を守るための手は届かないのか、そもそもないのか。
盗みや殺しがあっても放置される。そんな場所だ。
その貧民街に、一人の少年が生きている。
この街の多くの者が、気力もなく道端に座り込んだり、ボロボロな家に住んでいたりしたが、少年は街の端の場所に、一見簡素だが雨漏りをしない家に住んでいた。
少年は一人だ。親も兄弟もいない。
幼い頃、ここに少年を連れてきて、しばらく一緒に暮らしていた親代わりの男も、何年か前に殺されてしまった。
家はその男が建てたものだった。
男は頭が良かったのか、単に馴れ合いが嫌いだったのか。水場から遠く、街の端で森に近い場所に家を建てた。不便な場所に建てることでトラブルに遭いにくく、外見を良くしないことで家を奪われるリスクを減らした。
しかし、それは『実際に不便』ということで、少年は毎日遠くの水場から水を汲んでくることに時間を費やしており、少年は貧民街の中でも特に食べ物に困る人間のうち一人であった。
少年は日々、食べられるかわからないものを食べて、その日を生き延びていた。
2
貧民街の人間は、通常の街や街道に出ると、襤褸をまとっているため、すぐにそれとわかる。
旅人や街の庶民、めったに見ないが貴族などは、貧民を見ると視線だけ同情したり、あるいは忌避したりした。
その少年は、同情されるのが嫌いだった。
(奴らは悲しいふりをしているだけだ。実際に何をどうしようとも思っていない。できれば目に入らないでほしいとすら思っている。)
少年は気がつくと常に無表情で、自分にも他人にも無頓着になっていた。しかし、無頓着な一方で、奇妙な自尊心のようなものは持っていたため、同情というものを嫌悪していた。
それが、他の貧民と少年を分ける僅かな違いだったかもしれない。多くの貧民は同情の視線に慣れている一方で、『同情』というものを『する側』の気持ちはほとんど知らなかったから、嫌悪もしなかった。
同情されるのを嫌うのは、元々いた地位から転落してきた者だ。『自分はこんな目で見られる人間ではない』と思うから、同情されるのを嫌うのだ。
少年は、たとえその日、食べることができるかどうかわからなくても、着替える服がなくても、寝る場所が無くても、『どうせ一人で生きて、一人で死ぬのだ』と思っていた。
3
少年はある日、道端で倒れている少女を見つけた。
少女は貧民としてもかなり年季の入った襤褸、肌も汚く、髪もボサボサであった。
少年はどうか。
少年も襤褸を着ており、一見して貧民とわかる。しかし、水場から水を毎日瓶に長い時間を使って汲んできたり、体が痒くなると川まで行って水浴びをすることも多く、多少は見た目がマシであった。
少女は道端に倒れたまま、咳を繰り返している。病のようであった。
貧民街の道は狭い。横を通り過ぎようとしたが、少女に足を掴まれた。
「離せ。」
少年は、日課の水汲みの最中だった。遠い水場から水を桶に入れ、家まで持っていく。何度も繰り返さないと瓶には貯まらない。長い朝の労働だ。
蹴飛ばそうと思ったが、水の入った桶を抱えているのでやりにくい。
(こんなのがあるから、いい道は通りたくないんだ。次から遠回りするか。いや、これ以上水汲みに時間をかけたくない。)
「ゴホ、ゴホ。お願いです。み、水をください。」
少女は少年の足を両手で抱え込むようにつかんでいる。意外に力が強い。
「この水は俺が水場まで行って汲んできたものだ。俺がお前に水をやって、代わりにお前は俺に何をするんだ。」
言いながら、少年の心の何処かでチクリと刺すものがあった。
この少女は寝転んでいる。つまり立ち上がることも難しいのだ。
この少女だって、自分で水場に行けるなら行くだろう。
それができないから、こうして道端に倒れ、たまたま通った少年に懇願している。
(それでも、この調子で道行く奴らに欲しがるだけ水をやっていたら、俺は自分の水を永遠に家に持ち帰ることができない。)
「な、なんでも。ゴホ。このままでは、死ぬだけ、なので。」
咳をしながら少女はこちらを見た。
顔は体と同じく垢だらけで臭いもひどかったが、瞳は青く大きかった。
(意外に目が綺麗だ。)
いくつかやり取りをして、結局少年は少女に水をやり、空になった桶と少女を背負って家に帰った。
特に利益を見い出せたわけではない。
やり取りが面倒になったのと、自分が幼い頃、同じように助けてもらったことを思い出してしまったからだ。
4
少年の家で少女が暮らすようになった。
(といっても、主に寝ているだけだ。こいつ、水汲みとかしないし。)
少女はそもそも家から出て街の方へ行きたがらなかった。
しかし、毎日瓶の水を飲み、まずいながらも食べ物を食べ、体を拭くようにしたからか、しばらく経つと、体調は大分マシになり、立ち上がれるようになった。
少女は街には行きたがらなかったが、森には行っていたようで、よくわからない草などを持ってきて、少年の持ってきたこれまたよくわからない生き物や実を使って料理をした。
最初はまともな味がしないものや、二人とも食あたりを起こしたりもしたが、繰り返すうちに食べられるものと美味しいものがわかるようになったのか、『食べられるもの』になった。
(ゴミのようなものと雑草くらいしかないはずの貧民街で、まともな料理が食べられる。それだけでも拾ってよかった。)
一般的な料理と比べてどうかなど、少年にはわからなかったが、少女の料理は美味しいと思っていた。
少年と少女は、助け合うことができるようになり、二人とも、一人でいるときよりも生活が楽になった。
5
それからしばらく暮らしていたが、そのうち、少女の咳が止まらなくなった。
少年は気遣いを見せるが、少女から「自分が気遣われたときは同情で、自分が気遣った時は優しさ、なんて言わないわよね。」と言われた。
( つれない。)
少女はそもそも、料理を作るようになってから自分の意志というものをよく見せるようになっていた。
(そうだ。そもそも俺は同情が嫌いだった。)
少年は、少女からそう言われることで、かつての自分を思い出した。
6
そして、少女の症状が軽くなった頃、今度は少年が咳をするようになった。
少女から病が感染したのか、それとも、良くないものばかり口にして、身体がおかしくなったのかはわからない。
少年は咳をし始めてから、しばらく寝込み、逆に少女の看病を受けた。
嫌がっていた水汲みも、その日は少女がやった。
「ゴホ。俺は同情が嫌いだ。面倒なら放っておいてもいい。」
少女はボロ布を水につけて少年の額に乗せた。
「私はあなたに共感し、情をかける。あなたも私に共感し、情をかける。こうしていれば、私達は一人で生きるより強く生きていける。」
「単に、それだけのことよ。他人の同情を嫌い続けても、良いことなんてない。」
少年は、寝床でしばらく考えていた。
7
やがて、少年も少女も体調が回復した。
少年は、少女と助け合うことで、人の厚意を跳ね除けることはしなくなった。
(断っても損するだけだ。黙って受け取れる間は有り難く受け取る。それで恩着せがましく何か言ってくるなら、受け取らないまで。)
少年は少し、大人になった。
残業後対話篇 死さえも命の一部なのだから(テーマ 枯葉)
これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。ひどく狭い範囲の話。
*
社屋が新しくなってから、通勤ルートは会社からの帰り道には枯葉一つ落ちていない「街の道」になった。
以前の社屋は山際にあったため、道を選べば完全に山道を通ることもあり、枯れ葉だらけ、土だらけの道を歩くこともあったのだから、大変な変化である。
この短い話の主人公の彼は、今日も残業をした後、暗い中を帰宅途中であった。
*
彼には、自問自答する際に自分の中に別の人格を作り、その人格と対話する奇妙な癖があった。学生の時に生まれたその人格を、彼はイマジナリーフレンドと心のなかで呼んでいた。
別に二重人格というわけではない。全部、彼が自分で想像して自問自答しているだけだ。
『 街の道だね。葉っぱ1つ落ちていない。アスファルトが古びたら張り直す、ゴミを掃除する、多くの手間をかけて維持されている金持ちの道だね。』
生意気な事を言っているように見えるが、彼が言わせている疑似人格だ。
(歩きやすくて良い。)
『山道、デコボコだし、坂道だらけだし、滑りやすいし、まあいいとこ無いからね。』
山道はそもそも車が走る公道と比較すべきものではない。
比較対象にするなら、途上国で使われる、土のうと土でできた道だろうか。
見栄えは良くないが、特殊な材料がほとんどいらないため、自分たちだけで維持できるメリットがある。
「あ。茸だ。」
道端の土の部分に、小さな茸が生えていた。
「先輩、拾って食べるとか、まさかしませんよね?」
珍しく、彼には今日の帰り道に同行者がいた。
職場の後輩だ。
イマジナリーフレンドに心の中でしか返答しないのは、人がそばにいるからだった。
( 人と一緒に歩いているのに、まともに会話しないのも、褒められたことじゃないか。)
「拾い食いなんてしない。ましてや茸。腹を壊す。」
「いやー、黙って歩いているかと思えば、道端を見て『 茸だ』ですもん。心配になりますって。」
「生えているのが仮にマツタケでも食べないぞ。」
「先輩、マツタケがそこら辺に生えてるわけないじゃないっすか。」
マツタケは、現代の日本では高級茸として取り扱われている。
『むかしは松茸、そこら辺の山で簡単に取れたって聞いたことあるけどね。』
そう。誰に聞いたのだったか。
松茸は日当たりがいい場所にでき、枯葉や枯れ枝がない方が発生しやすい。
電気・ガスなどが各家で利用されるようになる前、囲炉裏などで火を利用していた時代には、「燃料」として山の枯葉・枯れ木の枝は近くの人に回収されていた。
そのため、松茸は珍しいきのこではなかった。
しかし、電気が引かれ、ガスが入り、手軽に火を扱えるようになったら山に入って枝葉を拾ってくる人はいなくなり、山は枯葉・枯れ枝だらけになった。
当然の帰結として、松茸も激減した。というわけだ。
「マツタケも、昔はその辺に生えてるキノコだったの。」
「マジですか?」
「山が枯葉や枯れ枝だらけで放置されるようになってから激減したけどね。電気やガスがない時代の話だ。」
昔は椎茸のほうが高かったのだ。
「電気ガスなしはちょっと………。マツタケ食い放題でも、そんな不便と引き換えはできないッスね。」
「枯葉が増えて減るものもあるんスね。栄養があってマツタケも増えそうなものですけど。」
「山に住んでいるのはマツタケだけじゃないから。マツタケは陽の光もいるし、枯葉で増えた生き物に生存競争で負けた感じだ。」
「食物連鎖ッスね。」
枯葉は地面に落ち、微生物によって分解され、植物の栄養になる。
その栄養で育った植物を動物が食べる。
もう何の役にも立たないと思われるものも、この世を構成している立派な一部なのだ。
『まあ、そもそもマツタケはありがたがらない国も多いし。アレを連想させるとかで。』
イマジナリーフレンドが下品なことを言い出した。
「 下品だ」
「 え!?食物連鎖が!?」
彼はしまったと口をつぐんだ。人と喋るときに変なことはすべきではない。
*
後輩と別れた帰路、イマジナリーフレンドは話を続けた。
『キノコはともかく、そもそも人間は死骸をよく使うよね。肉を食べるだけでなく、皮を使って服や靴を作るし、そもそも木も植物の死骸だ。』
「 だから?」
『 その割に、自分の周辺に『それ』と分かるものを置くのを嫌う。枯れ葉も虫や動物の死骸も。』
「 そりゃ、そうだろ。虫が湧くし、病気になるかもしれない。清潔さを求めた結果だろ。」
彼は、周囲に人が居なくなったので喋りたい放題だ。
怪しい人に見える。まあ、最近はイヤホンで電話する人もいるし、言い訳はかろうじてできる。
『でも、死んだ後も終わりではない。山道なんて、虫の死骸はいくらでも転がっている。それが死骸のままなら、山は死骸だらけになってしまう。』
そう。街の道で猫が死んでいたら、市民の通報によって役所の道路管理の人が回収していく。これが街の動きだ。
それが家の庭なら持ち主が処理する。
しかし、自然はそんなことはしない。
山で死んだ動物や虫はそのままだ。
小動物や虫や微生物が死骸を食べる、発酵する。分解される。
そして土に還る。
生き物は本来、皆そうだ。
「街はアスファルトで固めちゃったからね。そして、死骸が分解されて土になるまで待てないのが人間だ。」
*
樹上の若葉はやがて枯れ、枯れ葉となって枝を離れ、地面に落ちる。
落ちた枯れ葉は葉としては用をなさない。しかし、微生物に分解された葉は、地面に肥料として利用され、次の植物の命を育む土壌となる。
この世界は、死すら次の命のための土台になる。
人も同じ。
死んでしまって、考えることができなくなっても、火葬されて骨だけになったとしても、その体を構成していた原子は、消えて無くなるわけではない。
姿を変えて、水と空気と灰と、骨になり、我々が住んでいる世界を構成する一部となって循環する。
循環するが、同じように構成されて同じ人が再現されることはない。もうバラバラにされて世の中に放たれてしまったのだから。
灰になった木の枝を、煙と水分と熱を加えても元の枝に戻らないのと同じだ。それが死なのだ。
我々は多くの死の上で生活しており、今度は自分の番になるだけなのだ。
「薤上の露、何ぞ晞き易き。露、晞けれども晞くも明朝、更に復た落つ。人、死して一たび去らば何れの時にか帰らん。」
昔、一時詩吟を習っていた時期があったので、口ずさむ。
薤の葉の上の露は乾いて消えやすい。露は乾いても、翌朝またある。だが、当然、その露は昨日の露ではない。
昨日の露は乾いてしまったのだ。もう二度と同じ露ではないのだ。
人の死も同じ。一度去ってしまえば、同じ生き物としては二度と還ることはない。
『それは枯れ葉じゃなくて葉の上の露だけどね。』
イマジナリーフレンドは突っ込んで締めた。
( 先輩……。独り言に歌まで。やっぱり働き過ぎでアタマイカれちゃった?)
そして、影で後輩が戦慄していた。
明日の月日はないものを(テーマ 今日にさよなら)
*ほぼ独白だけの小説です。
1
歳のせいで足元が覚束なくなって、もう何年も経つ。
私はもう90歳を過ぎた。
娘夫婦が心配して一緒に住むようになったが、呆けた頭と不自由な体で、迷惑ばかりかけている。
最初は親切にしてくれていた娘も、今は大きな声を日に何度も張り上げるようになった。
(そんなに大きな声を上げなくても聞こえているのにね。)
薬を飲むのを忘れたのを怒り、歩行器を使わずに杖で歩いたのを怒り、日課の血圧を測り忘れたのを怒る。
体がうまく動かない。
立ち上がるだけでもひどい痛みがある。
足元がふらつく。
調子が悪いときだと、歩くだけでも一輪車にでも乗っているような気分になる。
頭もそうだ。
モヤがかかったようで、娘の言っていることはほとんどわからない。
ただ、きっと、この動かない体や、すぐ忘れてしまう頭のことを怒っているのだろうと思う。
いったん老化した体は、また若返ることはない。
(つまり、もう私は、娘に毎日毎日ヒステリックに怒鳴られ続けるしかないってことだ。)
今日は、何日だったか。
カレンダーを見て、日曜日だと知る。
ただ、すぐ忘れてしまうのだ。
(昔を思い出すことは、できるのにね。)
少し、昔を思い出した。
2
夫が病院で息を引き取った後、一人暮らしをしていた頃は、そこまで衰えてはいなかった。
キチンと自分のことは自分でできた。
料理も洗濯も。
ただ、一人暮らしが長くなるにつれ、段々と足が不自由になり、手は重いものを持ち上げられなくなり、今何を考えていたのか、思い出せなくなることが増えた。
夫が生きていた時は、さらにしっかりしていた。
病院に入ってからは洗濯した下着と寝巻きを持って行き、毎日病院で顔を見ていた。
夫はろくに喋れなくなってからも、長く生きていてくれた。
心の支えだったと思う。
夫は頭もはっきりしなくなっていたのだろう、孫が顔を見せに来てくれた時はロクに反応しなかったのに、帰ってからさっきのが孫だったと気づいて涙することも多かった。
『夫の分、私がしっかりしないと』と、何度も思ったのを覚えている。
そういえば、その前、まだ夫が元気な頃は、病院を抜け出して家に帰ってきたこともあった。
(あの時は、すぐに病院に知らせてしまったけれど、今思えば、お茶の一杯でも飲んでから帰らせればよかった。)
3
更に前、夫は元気で、定年退職後の悠々自適な生活だった。
日中は囲碁に、ゴルフ。車で何処かに行くこともあった。
ただ、誰かの世話を焼いている時が、一番イキイキしているようでもあった。
娘夫婦は毎週のように孫を連れて顔を見せに来てくれて、よく喋っていた。
孫に習字や一輪車をさせるのをも楽しみにしていた。
4
更に前。
まだ定年退職もしていなかった頃だ。
私も夫もバリバリ働き、夜や週末にはお酒を飲んで、陽気に笑っていた。
長く住んでいた家を娘夫婦に上げて、私たち夫婦は別の場所に住んだ。
寂しかったけれど、裕福ではない時代だ。上げられる家があるだけ、私達はまだ幸せだった。
5
もっと前。
娘達を育てている頃。
あの頃は時間がなく、よく親戚に預けたり、近所の人に預かってもらったりして、なんとか生活していた。
私も夫も早く帰ることができなかったので、そうして預かってもらうことも多かった。
電車も今ほど多くなく、歩いて行く範囲はとても広かった。
1山越えるのなんて当り前。
田舎なんてそんなものだ。
ただ、体も元気で健康だったから、日々を生きられた。
6
もっともっと前。
私がまだ学生で、子どもだった頃。
私も何処かに預けられることは多かった。
そもそも戦争中だ。
日本中が貧しかった。
私が15歳の時、戦争が終わり、やはり貧しい戦後が始まったのだ。
気力と体力が溢れていたし、生き残っていた家族も親戚もいたから、助け合うことができた。
明日がいくらでもあった、あの頃。
7
現代に、戻る。
身体はすっかり不自由になり、この前は家の中で転んで肋骨を折ってしまった。
もう二度と歩けなくなるかと思ったが、何とか無事、退院し、家に戻ることができた。
娘夫婦と暮らしていると、孫もよく顔を出してくれる。
というか、娘夫婦が外出している間、孫が面倒を見に来てくれるのだ。
ありがたい話だが、孫たちももういい歳だ。
一番下の孫も30代のはずだが、誰も結婚しない。
(みんな忙しそうにしているけれど、親戚や家族で助け合って子育てとか、しないのかね?)
子育てなんて、結婚なんて、日々の生活でとてもできないから、やらない。
それは、私からすると呑気な暮らしに見えた。
それはそれで、幸せなことかもしれないけれど。
ただ、そうなると、私くらいの年齢になったとき、1人で寂しくなるんじゃないだろうか。
それは、寂しいことのように思えた。
私は、体が動かなくなっても、娘夫婦や孫が見てくれている。
娘夫婦も、孫が見るのだろう。
だが、孫は、誰が見るのだ。
8
今日は、孫がお昼ご飯を用意してくれる日だ。
娘夫婦は朝から外出で、しばらく静かな日でもある。
「何だか、迷惑をかけているようで、申し訳ないね。」
孫は、優しく笑っているだけだ。
今日は、比較的体の調子がいい。喋ることができた。
「誰か、いい人はいないのかい?」
「忙しいばかりだからね。それに、もし結婚して子どもを産んでも、何だか迷惑をかけるばかりだから。奥さんにも、子どもにも、さ。」
『迷惑』は、さっきの私のセリフだ。
しかし、中身はだいぶ違うように思った。
私の言葉は謝罪というより、感謝だ。
孫の言葉は、『謝罪するようなことをするくらいなら、しない』という意味だ。
(まるで、結婚や子育てが「悪いこと」みたいだ。沢山の人に迷惑をかけるから。)
「あなた達が、幸せならいいんだけれど。明日は、いつまでも来るわけじゃないのよ?」
違う。こういうことを言いたいのではない。
これでは単なるよくある説教だ。
結婚や子育ては悪いことではなく、ましてや誰かと助け合って支え合っていくことが悪いことなわけがない。
それなのに、なぜ孫たちは「迷惑をかけるから、結婚しない」というのか。
助け合うということは、迷惑をかけあうということでもあるのに。
(一体、社会はどうなってしまったのか。)
今日は体の調子はいいが、それは何でもできるということではない。
私は、もう複雑な言葉を喋れなくなってから長い。
思いを伝えることは、できそうになかった。
9
「じゃあ、次は水曜日に来るね。」
娘夫婦が帰ってきてから、入れ替わりに孫は帰っていった。
「お母さん!また、歩行器無しで歩いている!お医者さんから言われたでしょう!歩行器無しで歩いたら転んでまた怪我をするって!」
娘の怒鳴り声は絶好調だ。
「また色んな人に「迷惑」をかけることになるのよ!」
(ああ、そうか。)
娘のセリフで納得する。
孫たちは、この娘の教育で育ったのだ。
ある意味、自然であったのだ。
(とはいえ、ねえ。)
それでは、誰も結婚なんてできない理屈だ。
(何とか、孫たちに「人に迷惑をかけてもいいの」と伝えられればいいんだけれど。)
しかし、この体は、寝て、明日起きたら今日思ったことを忘れているだろう。
それどころか、いつもは5分前のことを忘れることすら、しょっちゅうなのだ。
(今日の私には、寝たらさようなら。明日の私、明後日の私。どうか孫が来たときに、「迷惑をかけてもいい」って伝えて。)
歳を取ると、こんなことすら確実ではない。
また調子の良い日が来ることを祈ることしかできない。
しかし、さらにふと気がつく。
(そういえば、私が今まさに迷惑をかけている姿で、伝わらないかしら。)
今の私を見て、『迷惑だ』以外の感情を持ってくれていれば、孫たちは自然に悟るのではないか。
迷惑をかけることが、相手にとって全て「嫌なこと」ではない、と。
(私たち夫婦は、家を娘夫婦に上げたけれど、だからといって、娘たちを産まなければよかったなんて、思っていない。)
と、足元がふらついてきた。
調子がいいのもここまでのようだった。
(今日の私に、さようなら。)
明日の私、頑張れ。
できることは本当に少ないけれど。
きっと、迷惑をかけている私が、迷惑をかけられている孫や娘夫婦に世話になっているこの姿が、彼らに何かを伝えているはずだから。
また娘夫婦に怒鳴られるだろうけど、頑張れ、私。
( 向こうに行ったときに、夫に、『 やるべきことはやった』と伝えられるように。)
心とつながっているもの ( テーマ お気に入り)
1
『あんたが昔、ずっと持っていた人形だよ。あれが掃除してたら出てきてね。』
スマホの向こうから聞こえる母の話は、しばらく終わりそうになかった。
家を出て東京で働き始めて5年。
母は事あるごとに電話をかけてきては、長々と日々のことを話すのだ。
(仕事で疲れてもう寝たいんだけど・・・。)
これも親孝行だと思いつつ、話に相槌を打つ。
(そうだ。実家から勤務することになった弟よりマシなんだ。)
電話の向こうの実家には、3つ年下の弟がいるはずで、こちらはギリギリ通える範囲の会社から内定をもらったので、実家の両親の面倒を見ながら働きに出ている。
「それで、その人形どうするって?」
人形についてのエピソードを思いつく限り並べ始めた母の話を遮った。
(◯INEの無料通話はこういう時は困る。)
私の部屋と実家は、両方ともインターネットのWi-Fi環境を整備しており、つまり、昔は使えた『電話代が勿体ないから、切るね』が使えないのだ。
『これなら、いくら話しても定額だよ。』と聞いたときの母の顔は、嬉しそうな、箍が外れたような、中々表現しがたいところがあった。
東京に行った娘が実質帰ってきたようなものだ、とでも思ったに違いなかった。
『どうしようかって話。あんたがそっちに持っていかないなら、』
「いかないなら?」
『捨てる。……のはちょっとね。あんなにずっと持っていのに。あんた覚えてる?学校の遠足に持っていくって言ってたのよ?』
「……いかないなら?」
話に乗ってはならない。また終わらなくなるのだ。
『人形供養とか?知らなかったんだけど、近所の〇〇さんが言うには、町内の〇〇寺で昔、人形供養やってたらしいのよ。この前自治会の会合でそういう話になって……』
(それはほとんど捨てるのと一緒だ。 )
つまりアレだ。
私の頭の中に情景が浮かぶ。
「この人形の命が惜しければ、今度の休みに実家に帰ってきて顔を見せるのだ」というやつだ。
「どうでもいい」とも思ったが、確かにあの人形は、幼い頃、私の一部であった。
家の中はもちろん、学校にも持って行きたがった。
というか、何度かランドセルに入れていったこともあったはずだ。
(捨てられるくらいなら、こっちに持っていくか。)
仕事は多忙で、部屋にはインテリアなど殆どない。人形の居場所はあるように思った。
私はとりあえず、帰省のお金を両親から搾り取るにはどうしたら良いか考え始めた。
(肝心なのは話の持って行き方だ。)
2
次の土曜日に、朝から新幹線に飛び乗り、昼前に実家に着いた。
東京から相当離れているが、席に座ることさえできれば寝ているだけなので、そこまで遠いとも思わない。
久しぶりの実家は、大規模な模様替えをしている最中のようだった。
(そりゃそうか。小学生の時の人形が出てくるくらいだもの。)
一部屋(ほかでもない、かつての私の部屋だ)を物置にして家中の使わないものを集め、その間にリビングなどを見直しているようだった。
「はい、これ。昔のお気に入り。懐かしいでしょ?」
母が渡してきた人形は、記憶より少し古びていたが、間違いなく、幼い頃肌身離さず持っていた、いや連れていた人形だった。
青い目と金髪の少女を模した、小さな西洋人形だ。
受け取り、抱きしめてみる。
小さい。
こんなに小さな人形だったろうか。
夕飯とお風呂を終えると、母が言った。
「あんたの部屋、見ての通り物だらけになっちゃって寝られないから、今日はあっちの部屋で寝てね。布団は干しといたから。」
客間へ行く。
そこには、私のカバンとさっきの人形がお客用の布団の横においてあった。
私はその日、仕事での気疲れが抜けなかったからか、幼児退行でもしたのか、人形を布団の中に引きずり込んで、抱いて寝てしまった。
3
その人形は、どうして買ってもらったのか。誕生日プレゼントだったか、クリスマスプレゼントだったか。
きっかけは覚えていない。
ただ、物心ついたときには、すでにその人形と手を繋いでいた。
成長してから聞くと、小学校に上る前、5歳くらいの時に買ってもらったらしい。
共働きだった両親は、私を保育所に預けていたが、どうも保育所ではうまく馴染めていなかったようで、あまり仲良しの子もいなかったらしい。自分としても、やはりそういう子がいたような記憶はない。
忙しい両親から放置されがちで、仲の良い子もいない私の成長に不安を覚えたのか、情操教育の一環として買ってくれたらしい。
というか、思い返してみれば、確かにあまり両親にかまってもらった記憶がない。
そして、弟が生まれてからは、タダでさえ忙しい両親の時間は弟中心となり、私は放置され、その代わり人形を与えられた、というわけだ。
人形には名前はつけていない。
そういうこともする、ということすら知らなかった。
(余談だが、私は小学校の卒業アルバムの白紙のページが何をするページか知らなかった。チクショウメ!ようは、全般的に物を知らない子だったのだ。)
ただ、両親が弟の世話で忙しくして、私が一人でいる時、私はこの人形の手を握っていたり、人形を抱いていたり、じっと人形の目を見ていたりした。
大人になった今では、あの頃、相手をしてくれない大人に代わり、この人形が私の孤独と不満を吸い取ってくれていたようにも思う。
だから、小学校に上がっても、家にいる間はかなり長い時間、この人形と一緒にいた。
あまり喋らず、あまり人と仲良くならず。
気持ちがグシャグシャになったときには人形を抱えて部屋にいた。
4
小学5年生くらいだったと思うが、私は図書委員になった。図書室で貸出などをしていたが、正直あまり本を読む方ではなかった。
見かねたのか、学校司書の先生が、本をいくつか紹介してくれた。
絵本に毛が生えたようなものから、ほぼ、文字ばかりのものまで。
(私の本を読むレベルを測って、合ったものを紹介してくれたのかもしれない。)
ひとりぼっちだった主人公が、友達を見つける話。家族と一緒に世界を巡る話。別の世界に行って猫を探す話。
読む本はだんだんと文字が多くて難しい漢字も増えていたが、私は貪るように読んだ。漢字がわからなくても、一つ一つ辞書で引いたりしなかった。そんなことをしていたら読み終わることなんてできなかっただろう。構わず読んだ。ページが進むと、なんとなく分かるようになった。
というよりも、漢字よりも大事なものを得られていたのだ。
人とどんなふうに話をするのか。
どんなときに人は怒ったり悲しんだりするのか。
そして、人から愛されるとどんな気持ちになるのか。
私は読書をすることで、心を急速に成長させた。
中学校に入っても読書の虫は変わらなかったが、人と普通に話すようになった。
むしろ、クラスであまり話しかけにくかった転校生などにも積極的に話をして、仲良くなった。
転校生には申し訳ないけれど、『物語の主人公ならほっとかないハズ』と当時の私は本気で思っていた。
物語の主人公たちが、私の兄や姉であった。
そうしているうちに、人形のことは忘れてしまっていた。
5
話は現代に戻る。
日曜日、実家の客間で目覚めた朝だ。
布団から出した古びた人形を見て、手を握ってみる。
かつて、私が満足に意思の疎通もできなかった幼い頃の、私の分身。
世界が私一人で、私の中身が何もなかったときの、たった一人の『もう一人の私』。
お気に入りといえばお気に入りだが、その表現では不足していた。
そう。この人形は、かつて「自分」の枠に入っていたものだ。
本を読み始めてから、真綿が水を吸い取るように『物語』を自分の経験として吸収し、急速に『中身』が入った私だが、この人形はその前の『中身がなかった頃の私』の一部なのだ。
手を握ることで、ふと、それを思い出してしまった。
6
私は、その人形を東京の自分のアパートに持ち帰った。
(少し洗って、キレイにしたら、棚に飾ろう。)
棚に飾って、たまに見るのだ。
そうすれば、何者でもなかったときの『私』を、私は思い出すことができる。
自分の出発点。
様々なことを身に着けた。外見を飾ることも、言葉遣いも、礼儀も、人との交流も。
でも、身につけすぎて『自分が何者であったか』を忘れてしまっていた。
この人形と触れることで、私は『私』を思い出すことができる。
だから、この人形は、今でも私の『お気に入り』だ。
二人はきっと、末永く幸せに暮らしました( テーマ 誰よりも)
*
幼い頃、その少女はお姫様と王子様の物語が好きだった。
お姫様は辛い目に遭うが、最後には王子様が助けてくれるのだ。
そして、「二人は末永く幸せに暮らしました」で、話は終わる。
少女は成長するにつれ、自分はお姫様ではなく、王子様も現実にはいないとわかってきていたが、同時に漫画などで、『 私にとっての王子様』がいるのではないかと、現実に近い形に夢は変化した。
そして、それは半分だけ実現する。
すなわち、だれかに恋をするのである。
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特にきっかけはなかった。
それどころか、ろくにどういう人が知りもしない。
クラスで一緒になった男子に一目惚れ。
初めての心の変調に戸惑いつつも、彼女は、そうか、これが恋なのだ、王子様とお姫様のあれなのだ、と思った。
寝ても覚めてもその男子のことが頭を離れず、少女は悩むようになった。
*
仲の良い女子のグループがあれば、様々な話題に花が咲く。
美味しいスイーツの店、腕の良い美容院、どの先生が素敵か。
そして、王道は気になる人の有無である。
「 え!?好きな人できたの!?あんた前に初恋まだって言ってなかった?」
「 うそ、初恋!?」
本人としては、この心をどうしたら良いのか、相談のつもりで話をしたが、彼女らはどうやってその男子とくっつけるかという話に即座に移行してしまった。
その男子が、グループの誰の好きな人とも被っていなかったことも、重要な点であったろう。
共通の友達を幾人か介して、皆で映画に行こうということになった。
少女は、小遣い制の厳しい財布事情の中、映画と、その後のスイーツ店までのお金をやりくりした。
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映画は面白かった。
むしろ面白すぎたことが問題だったのかもしれない。
仲良しグループから縁をたどる過程で10人まで膨れ上がった映画ツアー隊は、そのままスイーツ店での大映画感想会となってしまった。
意中の男子は、一緒に来た別の男子と感想を熱く語っていたが、少女とはそもそも近くの席にもならなかった。
その後も少女と意中の男子は特に話すことなく、会は終わってしまった。
仲良しグループは、最初、少女の消極的な態度を責めたが、結局は映画が面白すぎたからだと言い始め、結局、次は頑張ろう、ということになった。
少女は、気になった男子がどういう人か知ることができたので、少し満足だった。
胸の高鳴りも、少しだけ水位が低くなった気もした。
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次はカラオケに行った。
前回の轍を踏まないように、人数を抑えた6人。
仲良しグループと男子グループだけの会だ。
仲良しグループは、奥手の少女がカラオケで歌えるかも確認する慎重ぶりを見せた。
男子と少女は隣の席になり、順番に歌うというカラオケの性質上、空気に乗ってお互いに配慮を見せた。
自然と話もする。
少女はまた少し、その男子のことを知った。
また少し、心の水位は下がり、少女は落ち着いてきた。
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仲良しグループはダメ押しで今度は一緒に花火大会に行き、そこで少女は思い切って伝えてみた。
「一目惚れです。付き合ってくれませんか。」
付き合うことになった。
付き合ってみて、遊びに行ったり学校でお昼を一緒に食べたりする中で、少女の心は一方で満足し、一方で少女の心の中にある「何か」の水位は下がっていった。
恋人となった男子は、普通の男子であり、この歳の少年としては気遣って少女と接してくれたが、その度に、少女から見て「特別ななにか」を感じる機会は減っていった。
少女は恋人を知るたび、恋人にときめきを感じなくなっていった。
そして、ある時、「誰よりも」特別であった恋人が、自分にとって特別でなくなってしまったと感じた。
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しばらく付き合いは続いていたが、恋人が少女にもっと深い関係を望むようになってきたと感じ、少女は泣きながら恋人に別れを告げた。
恋人だった男子は、少女のことを理解できなかった。
『勝手に好きになって、勝手に冷めたのかな。』
後に、落ち着いてから、彼は友人にそう言っていた。
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「心って何なんだろう」
少女は、かつての仲良しグループからも少し疎遠になった。付き合うためにグループとして動いて、男子のグループとも交流があったため、男子を振った情報が男子側から入り、気まずくなったのである。
グループの仲間は気遣ってくれたが、自分でも自分がよくわからなかった。
(これじゃ、恋なんてただの病気じゃない。心が痛くなったから付き合って、痛くなくなったら仲良くしようとも思わなくなったから別れる。)
少女は、かつて誰よりも好きだった男子を見ても、もうほとんど心は動かなかった。
彼は、少女の中で、もう『誰よりも』ではなかった。
そう思う自分に、少し腹がたった。
(お話の中のお姫様と王子様は、末永く幸せに暮らしたと思っていたのに……。)
それとも、自分の心が普通と違って、ものすごくロクデナシなのではないか。
少女が次の恋をしたときに一体どうするのか、少女自身にも、まだ分からない。