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持たざる者たちのシンパシー(テーマ 同情)



 中世ヨーロッパ「風」のどこかの世界。
 私達が名も知らない王国の首都に、大きな貧民街があった。

 貴族や市民階級が近寄らない、明日のことを考えられない貧民の街。
 自警団はここには近寄らず、衛兵など輪をかけて近寄らない。

 平穏や秩序を守るための手は届かないのか、そもそもないのか。
 盗みや殺しがあっても放置される。そんな場所だ。

 その貧民街に、一人の少年が生きている。
 この街の多くの者が、気力もなく道端に座り込んだり、ボロボロな家に住んでいたりしたが、少年は街の端の場所に、一見簡素だが雨漏りをしない家に住んでいた。

 少年は一人だ。親も兄弟もいない。
 幼い頃、ここに少年を連れてきて、しばらく一緒に暮らしていた親代わりの男も、何年か前に殺されてしまった。
 家はその男が建てたものだった。

 男は頭が良かったのか、単に馴れ合いが嫌いだったのか。水場から遠く、街の端で森に近い場所に家を建てた。不便な場所に建てることでトラブルに遭いにくく、外見を良くしないことで家を奪われるリスクを減らした。
 しかし、それは『実際に不便』ということで、少年は毎日遠くの水場から水を汲んでくることに時間を費やしており、少年は貧民街の中でも特に食べ物に困る人間のうち一人であった。
 少年は日々、食べられるかわからないものを食べて、その日を生き延びていた。



 貧民街の人間は、通常の街や街道に出ると、襤褸をまとっているため、すぐにそれとわかる。
 旅人や街の庶民、めったに見ないが貴族などは、貧民を見ると視線だけ同情したり、あるいは忌避したりした。

 その少年は、同情されるのが嫌いだった。
(奴らは悲しいふりをしているだけだ。実際に何をどうしようとも思っていない。できれば目に入らないでほしいとすら思っている。)

 少年は気がつくと常に無表情で、自分にも他人にも無頓着になっていた。しかし、無頓着な一方で、奇妙な自尊心のようなものは持っていたため、同情というものを嫌悪していた。

 それが、他の貧民と少年を分ける僅かな違いだったかもしれない。多くの貧民は同情の視線に慣れている一方で、『同情』というものを『する側』の気持ちはほとんど知らなかったから、嫌悪もしなかった。

 同情されるのを嫌うのは、元々いた地位から転落してきた者だ。『自分はこんな目で見られる人間ではない』と思うから、同情されるのを嫌うのだ。


 少年は、たとえその日、食べることができるかどうかわからなくても、着替える服がなくても、寝る場所が無くても、『どうせ一人で生きて、一人で死ぬのだ』と思っていた。



 少年はある日、道端で倒れている少女を見つけた。
 少女は貧民としてもかなり年季の入った襤褸、肌も汚く、髪もボサボサであった。

 少年はどうか。
 少年も襤褸を着ており、一見して貧民とわかる。しかし、水場から水を毎日瓶に長い時間を使って汲んできたり、体が痒くなると川まで行って水浴びをすることも多く、多少は見た目がマシであった。

 少女は道端に倒れたまま、咳を繰り返している。病のようであった。

 貧民街の道は狭い。横を通り過ぎようとしたが、少女に足を掴まれた。
「離せ。」

 少年は、日課の水汲みの最中だった。遠い水場から水を桶に入れ、家まで持っていく。何度も繰り返さないと瓶には貯まらない。長い朝の労働だ。
 蹴飛ばそうと思ったが、水の入った桶を抱えているのでやりにくい。
(こんなのがあるから、いい道は通りたくないんだ。次から遠回りするか。いや、これ以上水汲みに時間をかけたくない。)

「ゴホ、ゴホ。お願いです。み、水をください。」
 少女は少年の足を両手で抱え込むようにつかんでいる。意外に力が強い。

「この水は俺が水場まで行って汲んできたものだ。俺がお前に水をやって、代わりにお前は俺に何をするんだ。」
 言いながら、少年の心の何処かでチクリと刺すものがあった。

 この少女は寝転んでいる。つまり立ち上がることも難しいのだ。
 この少女だって、自分で水場に行けるなら行くだろう。
 それができないから、こうして道端に倒れ、たまたま通った少年に懇願している。

(それでも、この調子で道行く奴らに欲しがるだけ水をやっていたら、俺は自分の水を永遠に家に持ち帰ることができない。)

「な、なんでも。ゴホ。このままでは、死ぬだけ、なので。」

 咳をしながら少女はこちらを見た。
 顔は体と同じく垢だらけで臭いもひどかったが、瞳は青く大きかった。
(意外に目が綺麗だ。)

 いくつかやり取りをして、結局少年は少女に水をやり、空になった桶と少女を背負って家に帰った。 
 特に利益を見い出せたわけではない。

 やり取りが面倒になったのと、自分が幼い頃、同じように助けてもらったことを思い出してしまったからだ。



 少年の家で少女が暮らすようになった。

(といっても、主に寝ているだけだ。こいつ、水汲みとかしないし。)
 少女はそもそも家から出て街の方へ行きたがらなかった。

 しかし、毎日瓶の水を飲み、まずいながらも食べ物を食べ、体を拭くようにしたからか、しばらく経つと、体調は大分マシになり、立ち上がれるようになった。

 少女は街には行きたがらなかったが、森には行っていたようで、よくわからない草などを持ってきて、少年の持ってきたこれまたよくわからない生き物や実を使って料理をした。

 最初はまともな味がしないものや、二人とも食あたりを起こしたりもしたが、繰り返すうちに食べられるものと美味しいものがわかるようになったのか、『食べられるもの』になった。

(ゴミのようなものと雑草くらいしかないはずの貧民街で、まともな料理が食べられる。それだけでも拾ってよかった。)

 一般的な料理と比べてどうかなど、少年にはわからなかったが、少女の料理は美味しいと思っていた。


 少年と少女は、助け合うことができるようになり、二人とも、一人でいるときよりも生活が楽になった。




 それからしばらく暮らしていたが、そのうち、少女の咳が止まらなくなった。

 少年は気遣いを見せるが、少女から「自分が気遣われたときは同情で、自分が気遣った時は優しさ、なんて言わないわよね。」と言われた。
( つれない。)

 少女はそもそも、料理を作るようになってから自分の意志というものをよく見せるようになっていた。

(そうだ。そもそも俺は同情が嫌いだった。)
 少年は、少女からそう言われることで、かつての自分を思い出した。



 そして、少女の症状が軽くなった頃、今度は少年が咳をするようになった。
 少女から病が感染したのか、それとも、良くないものばかり口にして、身体がおかしくなったのかはわからない。

 少年は咳をし始めてから、しばらく寝込み、逆に少女の看病を受けた。

 嫌がっていた水汲みも、その日は少女がやった。

「ゴホ。俺は同情が嫌いだ。面倒なら放っておいてもいい。」

 少女はボロ布を水につけて少年の額に乗せた。

「私はあなたに共感し、情をかける。あなたも私に共感し、情をかける。こうしていれば、私達は一人で生きるより強く生きていける。」

「単に、それだけのことよ。他人の同情を嫌い続けても、良いことなんてない。」

 少年は、寝床でしばらく考えていた。

7

 やがて、少年も少女も体調が回復した。

 少年は、少女と助け合うことで、人の厚意を跳ね除けることはしなくなった。
(断っても損するだけだ。黙って受け取れる間は有り難く受け取る。それで恩着せがましく何か言ってくるなら、受け取らないまで。)

 少年は少し、大人になった。

2/21/2024, 3:53:59 AM