「おー!元気だったかあ!」⋯
専門学校時代、最も仲が良かった知り合いと都内で久々の再開
珍しく、難しい話が好きな彼とはよく色々な話をする。
時に意見が分かれ、激しい論戦になることもあるが、それほどまでに互いにさらけ出す仲であるからこそできるから出来ることだと思っている。
その日は二人で見たい映画を観た。その後、レコード店でレコードを見たり、銭湯でリラックスしたりした。
やがて街は夜になり、ドーナツ店に入る。
そこで私と彼の出会った頃の話になった。
互いに高校時代は半ば不登校、そんな中、偶然珈琲の話から2人は出会い、専門学校時代に私が結成した珈琲の会にて一緒に喫茶店に入り浸った
⋯思えばあの時からもう3年が経とうとしている⋯
「君に会ってから楽しくてあっという間だった」そう言う彼を眺める⋯夜に落ちるドーナツ店は徐々に静けさを増していた。
外は北風の吹くドーナツ店⋯今宵、まもなく二人ぼっち。
幼い頃、父が職場の後輩から一台のスポーツ自転車を貰ってきた。
幼かった私は父に尋ねた「おとーさん、これに乗るの?」父は「乗らないよ、お部屋に飾るの」と苦笑いしながら答えた。
私はよく父親の部屋で遊んでいた。そんな私をこの自転車はずっと眺めてきたんだなぁ⋯と今になって思う。
高校生になったある日、友人がロードバイクを買った。その魅力を語ってもらううちに自分も乗りたくなった。だが貧乏な私にロードバイクを買う金は無い
「あの自転車治すか⋯」私はなけなしのバイト代を手に自転車屋のオヤジに相談した。
それから2週間後、埃を被ったかつてのスポーツ自転車は新品のようになって帰ってきた。
それからというもの、その自転車とは色々な場所を走った。東京の摩天楼、雄大な川沿いのサイクリングロード、どこまでも広がる田園の中⋯ 車の免許も取れない高校時代の私は体力と時間の許す限り、どこまでも共に旅をした。
やがて月日は流れ、私は車の免許をとった。同時に自転車に乗る機会はかなり少なくなった。
一人暮らしを始める時、母が「自転車乗らないなら処分するよ」と言った。
「大丈夫、持っていくから」私は無意識にそう答えた。
例えあまり乗らなくても、数え切れない思い出を乗せた自転車は私の寝室に、今日も、ずっと隣で。
私は午前9時過ぎ⋯福生駅に降り立った。
目的はいつもの旅⋯福生を訪れるのは今回で3度目になる。
東京都福生市、23区の人に聞いてもギリギリご存知ない人がいそうな自治体だと思う。「米軍横田基地」があるといえば伝わるのだろうか?
そんな福生旅も今回で3度目、今回のテーマは「裏の福生をもっと知る」だ。
福生には米軍横田基地があり、その基地沿いを通る国道16号沿いは「アメリカンストリート」としてアメリカに来たかのような風景が広がっている。福生市もこれを観光資源にしているようだ。
だがここはあくまで日本⋯福生市には福生市として歩んだ歴史がある。私はそれをもっと知りたいのだ。
先ずはアメリカンストリートを歩く⋯エルヴィス・プレスリーのブルーハワイでも聴きながら車で走ったらさぞかし楽しそうだ。
通りを歩いていたら市民団体に声をかけられた。どうやら米軍の法案関係のアンケートをとっているようだ。彼らも方向性は違えど、もっと知りたい人たちには変わりない。
だが旅は自由で無ければならない。そのポリシーに従って私はこう言った。「ご苦労様です。私はノーコメントで」
そんなこんなで横田基地の外れに来た。ここで多摩川方面に進路を変える。
古めかしい団地が見えた。ここは戦後の動乱期の福生市民を支えてきた場所なのだろうか⋯ブランコで1人揺れる老人の背中を見ながらふと思った。
途中玉川上水を渡る。周辺は遊歩道となっていて散歩する人が多かった。博物館で玉川上水沿いは近代から人々の憩いの場となっていることは知っている。
いかに時代が動こうと、この景色はこの先も残り続けていくのかもしれない。
多摩川に到着、奥に青梅丘陵の山々を見ながら歩く。
その先、旧市街な趣の通りを歩いていると、一軒の年季ある住宅を見つけた。
どうやら明治期の国登録有形文化財の住宅のようだ。中に入ると「よう来たね!見ていきな」とおじさんがお出迎え。
おじさんは聞いてもないけれど、私のもっと知りたいことを教えてくれた。
特に気になったのは、福生の旧市街のど真ん中を砂利輸送の鉄道が走っていたことだ。
それについて尋ねるとおじさんは「裏の蔵に写真あるから見ていきな」と言い、笑った。
私は蔵へ行き写真を見た。まるで蛇のように街の中をうねうねと走っているトロッコ列車がそこにあった。踏切もなく、今であれば考えられないが、普通の町中を確かに鉄道が走っていた。
福生市は酒造が盛んな地域でもある。そんな福生市は今も昔も多摩川のめぐみが育んだ地域であることを私は知った。
いつの間にか空は茜色に染まり、旧市街を淡く照らしていた。
見覚えのある景色だな⋯と私は思い足を止めた。そこは確かに写真で見た、かつてトロッコ列車が走っていた旧市街のY字路だった。
「ガタンゴトン⋯」私はカーブの向こう側から、石畳の道のど真ん中を大威張りで駆け抜けるトロッコ列車が来た気分になった。
「嗚呼⋯福生市のアメリカ以外の歴史もなんて尊いんだろう」私はもっと知れた喜びに浸っていた。
小腹が空いたのでスーパーマーケットのすみっこのマックを一口
「⋯あれ?、最後アメリカに戻ってきたな⋯」
マックはどうして中毒性が高いのか知りたい。
平穏な日常、それは無駄を尊く感じること。
平穏な日常、それは自分の心のままに動けること。
平穏な日常、それは感謝できる器があること。
平穏な日常、それは迷惑をかけ合い、許せること。
平穏な日常、それはすなわちゆとりを持つこと。
現代に生きる私たち…平穏な日常をおくれているのだろうか⋯誰も前を見ずに俯いて歩く街中を歩きながら私はふと考えた。
お題「平穏な日常」 文:寄航 旅路