sairo

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1/11/2025, 9:40:37 AM

「じゃーん!はい、どうぞ」

にこにこ笑う少年が差し出した小瓶を受け取って、少女は不思議そうに首を傾げた。

「なぁに?これ」
「帚星の欠片!」

小瓶の中には、きらきらと燦めく光の粒。
宙を漂い、弾けるように点滅するそれらは、確かに星のようにも見えた。

「人間ってさ、流れる星に願いを言うんだろ?だからいつでも望めるようにって、取ってきたんだ!」

誇らしげに少年は胸を張る。そんな少年の姿に、少女は微笑んで少年の頭に手を伸ばし、いい子と撫でた。
撫でられて、少年は目を細める。もっとと強請るように、頭を撫でる手に擦り寄った。

「にひひ。喜んでもらえて良かった。頑張って一晩中、飛び回った甲斐があるってもんだな」
「無茶するのは、駄目だよ?」

心配する少女に、分かってる、と笑顔で返し。少年は小瓶を持つ少女の手を包み、引き寄せた。
間近で少女と目を合わせ、隠しきれない好奇心で問いかける。

「なぁ、何を望むんだ?」

星の欠片に。
問われた少女は、少年の目を見て、そして小瓶を見て目を瞬いた。

「望みは、特にないよ?」

その答えに、少年は分かりやすく頬を膨らませる。

「何かないの?折角取ってきたんだしさぁ」
「だって、望みはいつもあなたが応えてくれるでしょう?」

当然のように少女は告げる。
確かに、と少女の言葉に、少年は頷いた。
友達になってほしい、と望まれてからずっと、少女は少年にだけ望みを口にしている。
遊んで欲しい。側にいて欲しい。一緒に空を飛んでみたい。
今まで望まれた事を思い出す。
膨れた顔は一瞬で満面の笑顔になり、背の翼は嬉しさを表すかのように羽ばたいた。

「そっか!そうだな。俺がいるから、他に望む必要はなかったな!」

そうだった、そうだった、と少年は機嫌良く笑う。
それならば、少女に渡した星のかけらは必要ない。回収しようと少年は小瓶に手を伸ばし、だがその手を少女はするり、と躱した。

「望みはないけれど、あなたからもらったものだもん。返さないからね」
「むぅ。何か複雑。気に入ってもらえて嬉しいけど、何か思ってたのと違う」
「いつもありがとう。でもわたしばっかりが、もらってる。わたし、何もお返しが出来ていないのに」

少女の笑みに不安が混じる。与えてもらうばかりで、それが当たり前になってしまいそうになるのが怖いのだろう。
そんな少女に、少年は気にするなと笑いかける。先ほど少女が少年にしてくれたように手を伸ばし、少女の頭を優しく撫でた。

「俺があげたいからいいの!気になるなら、もっと俺に望んで。妖は人間の望みに応えて、ちゃんと正しい妖になれるんだからさ」
「よく分からない。でもこれからも一緒にいてくれると、いいな」

些細な望み。出会った時から幾度となく望まれてきたもの。
敢えて望み応える必要もないと苦笑しながら、少年は応えようと口を開き。

ちかり、と小瓶の中の欠片が瞬いた。

「あれ?何か光った?」

首を傾げ、少女は小瓶を目の前にかざす。
小瓶の中の欠片は、変わらずゆらゆら宙を漂い、燦めいている。けれども先ほどよりその煌めきは強くなっているように少女には感じられた。

「駄目。やっぱ返して」

顔を顰めた少年が、有無を言わさず少女の手から小瓶を奪う。
ちょっと、と取り返そうと手を伸ばす少女から小瓶を遠ざけながら、駄目、と少年は繰り返す。

「俺が望まれたんだ。おまえじゃない」

視線は小瓶の中の欠片に向けられ。少女には決して向けられる事のない、低く冷たい声音で欠片に告げる。

「ごめん。これ捨ててくるから、ちょっと待ってて」
「どういう事?」
「このままじゃ、妖になっちゃうから。だからその前に捨ててくる」
「待って」

翼を大きく羽ばたかせ飛ぼうとする少年の服の裾を掴み、少女はか細い声で引き止める。
その目は戸惑いと不安に揺れて。少年は眉を寄せ逡巡し、結局は留まる事を決めたのだろう。一つ息を吐いて、広げた翼を折りたたんだ。

「少しの間だけだからさ。すぐ戻って来るから、いい子に待っててよ」
「やだ。捨てないで。返してよ」
「駄目だって。こいつ、俺に望まれたものを横取りしようとしたんだから。しかもおまえの側にいるって望み。冗談じゃない」

忌々しいと小瓶の中の欠片を睨めつけた。
少女は意味が分からないまま、欠片に視線を向ける。
ちかちかと点滅を繰り返す光。ただ宙を漂っていただけの動きは今、忙しなく小瓶の中を駆け回っている。まるで外に出せと言わんばかりの激しさに、少年の表情がさらに険しくなった。

「一度個として認識すると、駄目だな。元は同じなのに、まったく違うモノだ。これは、俺じゃない」

小さな舌打ちに、少女の肩が跳ねる。

「あ。ごめん。怖がらせるつもりはなかった」

慌てて少女の背を撫でて。大丈夫、ごめんね、と繰り返す少年に、少女は緩く首を振り笑みを浮かべた。
控えめに少年の服の裾を掴み、視線は小瓶へと向けて呟いた。

「どうしても捨てに行くなら、せめて一緒に行きたい」
「そんなに気に入ったの?何か望みでも出来た?」

少年の問う言葉に、少女はだって、と口籠もる。
掴んだ裾を引いて、何かを言いかけては止める。何かを躊躇うかのように、小瓶と少年の間で視線が彷徨った。

「ん。言って。ちゃんと言葉にしてくれなきゃ、分かんない」
「だって。だってね。わたしのためだけの贈り物。捨てられるのは嫌だったの」

消え入りそうな声。
一つ瞬きをして。少年は幸せそうに微笑んだ。
裾を掴む少女の手を取り、小瓶の蓋に触れさせる。そしてそのまま蓋を開ければ、勢いよく中の星の欠片が飛び出した。
ちかちかと欠片が少女の前で燦めく。少女の周囲を飛び回り、擦り寄ろうと距離を詰める。
だが、星の欠片が少女に触れるより早く、少年は少女を抱き上げ高く飛び上がった。

「え?ちょっと」

突然の事に混乱する少女を、少年は落とさぬようにしっかりと抱え直す。
欠片から逃げるように速度を上げる少年は、とても楽しげだ。

「今から鬼ごっこをしよう!あいつが俺たちに追いついたら、あいつの勝ちで俺たちと一緒にいてもいい。でも追いつけなかったら、俺の勝ち。一緒にはいさせない」

速度が上がる。振り返り見る星の欠片は、少年に追いつく事が出来ず、遠ざかっていく。

「捨てるんじゃない。遊んでるんだから寂しくないだろ?」

悪戯が成功した時の子供の表情で少年は笑う。
追いつけるはずはない。少女以外でそこまで優しくなれはしない。

鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌な少年は。
少女を抱えたまま、流れる星よりも速く夜空を駆け抜けた。


20250110 『星のかけら』

1/10/2025, 4:40:31 AM

どこか遠くで、電話が鳴っている。
時計の針の音が、心を急き立てる。


目を開けた。
真っ暗闇の中、手を伸ばす。
何もない。一歩、足を踏み出した。
やはり何も触れはしない。手が暗闇に彷徨った。
また一歩、足を踏み出した。彷徨う手が、何かに触れた。
冷たい壁。行き止まり。ぺたぺたとあちこちに触れ、その先を探す。
触れたのは、金属の冷たく硬い何か。形を確かめるように触れて、それがドアノブだと気づく。
ドア。部屋と部屋とを繋ぐ、境界。
鍵は掛かっていない。開けてしまっても良いものか暫し悩むが、ここにいるよりはと、ドアノブをひねった。


薄暗い部屋。
テーブルと椅子が一脚。テーブルの上には置き時計が一つ。
他には何もない。

――TickーTack..

時計の音。規則正しく、時を刻む。

――Tick-Tack.Tick-Tack..

テーブルに近づいて、時計の文字盤を覗き込んだ。薄暗い室内で僅かに見えた針は、ぐるり、くるりと回転し、時間を示す役割を放棄していた。

ふと、どこかで何か聞こえた気がした。
振り返る。そこに入ってきたはずのドアは何処にも見えず、代わりに大きなホールクロックが一つ。ゆったりと振り子を揺らしていた。

――Tick-Tack..

前と後ろから、時計の音が響く。その合間に、微かに何かの音がする。
ホールクロックに近づく。
扉に手をかけ開けば、そこに振り子はなく、別の部屋へと続いているようであった。
ここよりも明るい場所。その先から聞こえる、何かの音。
音に惹かれるようにして、その中へと足を踏み入れた。


先ほどの部屋よりも明るく、広い部屋。
その壁一面に、大小様々な壁掛けの時計がかけられている。
――Tick-Tack.Tick-Tack..

それぞれ別の時刻を指し示し、時計の針は動き続ける。
その音に紛れて、別の音。
遠く、どこかで電話が鳴っている。

――,,ng,Ri..

はっきりとは聞こえない。それでも電話は鳴り続けている。
早く電話に出なくては。そんな焦燥を抱えながら、部屋をぐるりと見渡した。
壁に掛かるのは時計ばかりで、ドアは見えない。
振り返る。入ってきた入口を見た。
入ってきた時と変わらない、入口。だがよく見れば、その先は先ほどいた場所とはまた異なっているようだ。
その先から、電話の音が聞こえてくる。
迷う事なく、潜り抜けた。


それからいくつもの部屋を抜け。
電話を求めて、彷徨い続けた。

――Ring Ring..

電話は途切れる事なく鳴っている。だがいくら部屋を抜けても、あるのは時計ばかりだ。

――Tick-Tack..
――Ring Ring..

どこかで電話が鳴っている。
早く取れと言わんばかりに、時計の針が心を急かす。

そしてまた、目の前のドアを躊躇いもなく開けた。


暗闇。最初の部屋のような、何一つ見えない闇の中。

――Ring Ring..

今までよりもはっきりと、電話の音が聞こえた。
一歩、足を踏み入れる。ゆっくりと、音を頼りに進む。

――Ring Ring..

音が近い。すぐそこに電話がある。
手を伸ばす。暗闇を掻き分け、電話を探した。
触れる、つるりとした無機質な感覚。指を伝わせ、それが電話であると理解する。

――Ring Ring..

音が鳴っている。この電話だ。
ゆっくりと受話器を取って、耳に当てた。

「もしもし」

反応はない。何も聞こえない。

「もしもし」

返る声はない。だが受話器の向こうで、微かにノイズが聞こえた。
ホワイトノイズ。その向こう側で誰かの声がする。

「……て」

聞き馴染む声。その言葉を聞き取ろうと、耳を澄ませた。

「…きて。…く……て」

段々と声がクリアになる。艶やかに微笑む、ビスクドールのように美しい少女が脳裏を過ぎた。

――Tick-Tack..

時計の針が、心を急かす。

――Ding-Dong..

部屋のあちらこちらから、鐘の音が鳴り響く。


「早く起きて。ねぇ、起きて」

電話の向こうの強請る声に、意識が浮上する。





「オハヨウ。ご機嫌はいかが?」

こちらを覗き込む、美しい少女と目が合った。
背中に手を差し入れられ、体を起こす。
窓の外は暗い。細い三日月が遠く、小さく見えていた。

「また、夢を」
「えぇ。Nightmareが纏わり付いているもの」

微笑んで、少女はサイドテーブルの上のティーカップを差し出した。
カップを受け取り、口を付ける。紅茶の香りと温もりに、曖昧だった意識が覚醒した。

「ありがとう。いつも助かるよ」
「ドウイタシマシテ。My dear」

艶やかに微笑む。異国から来たという少女は、今夜もとても美しい。
そしてとても怖ろしい。

「アナタは本当に好かれやすい。嫉妬、してしまうわ」

くすくす笑い。細くしなやかな指が頬に触れた。

「さぁ、アナタを守ったワタシにご褒美をちょうだい?Give and take.そうでしょう?」
「分かってる。お好きにどうぞ」

少女の指が頬を辿り、首筋を撫でる。
血のように赤い瞳が妖しく煌めくのを見て、目を伏せた。カップをサイドテーブルに置き、少女に向けて首を晒す。

「Thank you.愛しているわ」

瞳よりも血よりも紅い唇が弧を描く。首筋に突き立てられる牙の痛みと。血を啜られる不快な感覚に耐えながら、嘘つき、と胸の内だけで呟いた。
少女は人間など愛しはしない。
食料として、或いは愛玩用として愛でているだけだ。

「アナタの血は、今宵も芳醇でとても甘い。加減を忘れてしまいそう」

歌うような少女の囁きに、目を閉じてそうであれと、密かに願う。
加減を忘れ、いっそそのまま終わらせてくれれば。そうすれば、この飼い殺しの日々から抜け出せるのに。
強く握り締めた手が、少女の手によって解かれ、繋がれる。
まだ少女の手を冷たく感じている。己の体の熱は、今夜も失われる事はないのだろう。

どうか、と言葉にならない思いを溢す。意味のない事だと理解していながらも、繰り返す。

美しく、怖ろしい少女からの解放を。
奪われてしまった安らかな眠りを、滑稽にも目の前の少女に願い続けた。



20250109 『Ring Ring...』

1/9/2025, 3:27:04 AM

風が吹いた。

背中を押された気がして、走り出す。
他には何も考えず。ただ前だけを見て、走る。
道行く人が、微笑ましげな顔をする。誰かの頑張れ、の声にさらに速度を上げた。
息が上がる。体が酸素を求めて、呼吸が苦しくなる。
それでも止まらない。道の終わりはまだ見えない。

走る。くらくらする頭で、それだけを考える。
目の前に現れた坂に、体が悲鳴を上げる。足が縺れ、ふらついた。
けれど風が背中を押しているから。
背後から吹き続けている風と共に、一気に坂を駆け上がる。
この坂が最後だ。その確信に、最後の力を振り絞る。
もう少し。あと少しで。
坂の終わりが見える。風がさらに強く背中を押した。
そして。

坂を登り切り。道の終わりで。
大地を強く踏んで、高く跳び上がる。
風を背に受けて。高く、遠く。


――空を、とんだ。





体に纏わり付く風に、顔を顰めて手で払う。
不快でしかないこの風は、おそらく最近噂になっている追い風だろう。
眉を寄せながら、風に背を押されるままに歩き出す。
気づけば周囲に人はなく、見慣れたはずの通学路はどこまでも続く一本道に変わってしまっている。

風に背を押され、一本道をどこまでも行く。
途中、道の端に黒の崩れかけた影がゆらゆらと揺れているのが見えた。耳障りなひび割れ声が頭に響き、不快さに益々眉が寄る。
風は変わらず背を押したまま。

「まったく。何処まで続くんだよ、これ」

舌打ちし、目の前の坂を睨み付ける。
長く急な上り坂に、苛立ちを隠しきれない。
いっそここで終わらせてしまおうか。そんな思いが過るが、それでは正しく終われないと首を振って思い直す。
風が、背を強く押す。
一つ溜息をついて、上り坂へと足を踏み出した。

坂の途中、誰かの靴が片方落ちていた。
よく見れば、それ以外にも鞄や上着などが、道のあちらこちらに散乱している。
邪魔になって置いていってしまったのか。落ちた事にすら気付けなかったのか。
深く息を吐く。立ち止まりかけた足を風が急かし、鬱々とした気持ちを抱えながら坂を上る。

そして、坂の終わり。道の終端で立ち止まる。

「ここで終わり、か」

風は背を押し続ける。
段々と強くなる風の勢いに、ポケットから取り出した水晶玉を強く地面に叩きつけた。

――ぱりん、と。

澄んだ音を立て、水晶が割れる。
粉々になった欠片が、風に舞い上がり。それは赤々とした炎となって、風の勢いを呑み込んでいく。
崩れて行く。壊れていく。
張りぼてが剥がれ落ち。その先に見えるのは、古びたコンクリートの地面だ。

ざり、と地面を靴底で擦る。
炎に呑まれ崩れ落ちた形の無いはずの風が、黒焦げの人型を取って崩れ落ちた。

「ィ、タイ…アツイ。イタイヨウ」
「お前が言うな」

鼻で笑い、視線だけで周囲を見る。
俯いたたくさんの人影が、風だったナニかを取り囲んでいた。

――痛い。足が、腕が、痛い。
――苦しい。呼吸が出来ない。
――どうして、こんな事に。
――とびたくなんてない。
――止めて。嫌だ。

声なき声が反響する。
ナニかに対して、延々と呪詛を口にする。


「ナンデ。ナンデ、トバナイノ?トボウヨ。トボウ?イッショニ、トンデヨッ!」

その呪詛すら聞こえていないのか、ナニかは黒い腕をこちらに伸ばし、頻りにとぼうと繰り返す。
それに顔を顰めつつ、ポケットの中に手を入れながら、数歩ナニかに近づいた。

「嫌だよ。飛ぶ趣味なんてないし、さっさと帰りてぇ」

至極面倒くさいと、溜息を吐き。

「そんな訳だから。さようなら」

取り出した水晶玉を、ナニかとナニかを取り囲む人影に投げつけた。





――今朝のニュース見た?
――見た見た。廃ビルの屋上に複数の遺体が、ってやつでしょ。

あちこちから聞こえる話し声を、机に伏したまま聞き流す。
話題は全て同じだ。退屈な日常に突如降りかかる非日常に、皆怖がりながらも楽しんでいる。

――見つかったのって、最近行方不明になってた人達なんでしょ?風に攫われたって噂の。
――そうそう。例の追い風さんに攫われた人だってさ。だから皆飛び降りした人みたいに、ぐちゃぐちゃだったんだって。
――マジで?噂って本当だったんだ。

怖い、と言いながらも、笑い声が響く。怖がりながらも非日常に非日常を重ねる辺り、恐怖すら娯楽の一種になっているのだろう。
はぁ、と溜息を吐く。
疲れはあるが、眠気はなくなった。体を起こして、欠伸を一つ。

「おはよう。このまま起きないのかと思ってたわ」
「うっせ。昨日も遅かったから、疲れてんだよ」

前の席の彼女が、呆れたように声をかける。
それに愚痴混じりの返答をしながら、周囲を見た。

いつもと変わらない教室。変わらない光景。
噂話を楽しむクラスメイト。辺りを漂う黒い靄。
今日も世界は変わらずに澱んでいる。

「一時限目、自習になりそうよ。先生達、対応に忙しそうだったし」
「皆、帰ってきたからな。そりゃあ、そうなるだろ」
「最近多くない?」
「仕方ないさ。そんだけ人の想像力がたくましくなったって事だろ。より具体的に、刺激を求めて猟奇的に、さ」

肩を竦めて立ち上がる。

「ちょっと、どこ行くの?」
「ん。ちょっとそこまで」

彼女に手を振り教室を出た。
廊下の先に見えた、両手にプリントを抱えた少女の元へと歩み寄り、その手からプリントを奪う。

「あ。えと。その…ありがとう」
「別に。たまたま見えたからで、気にすんなよ」

頬を染める少女を横目に、教室に戻る。
やはり自習になるらしい。

「あんた。本当にそういうとこ、何とかしてよ」
「何だよ急に。変な事はしてないだろ」
「自覚を持てって言ってんのよ」

教室の入り口から呆れた目をして彼女が溜息を吐く。
自覚だの何だのと、彼女から事ある度に言われるが、詳細を説明する気は一切ないらしい。

去年とは変わった光景。
これから日常になっていくだろうこのやりとりに、愚痴りながらも口角が上がる。

「何一人で笑ってんのよ。キモ」
「ほんと、お前って失礼な奴だな」
「そう、だよ。その言い方は、よくない、と思うよ」

――最近、あの三人仲良くない?
――クリスマス、三人でデートしてたんだって。

さっきまで、面白おかしく噂話をしていたクラスメイトの視線がこちらに向き、ひそひそと笑う。
居心地悪げに縮こまる少女を、その好奇な視線からさえぎりながら、そういえば、と口を開く。

「怖い話はほどほどにしとけよ。寄って来るぞ」

ざわり、と騒々しくなる教室内を気にせず、プリントを教卓に置いて。

「よく言うだろ?話をした所に来るってさ。今も来てるかもな」

不安や恐怖が浮かんだいくつもの視線を受けながら、周りを見渡して嗤った。



20250108 『追い風』

1/7/2025, 11:47:08 PM

影で、あの子が酷い言葉を言われた。
あの子が密かに思いを寄せていた、同級生に。
ぎり、と奥歯を噛みしめた。皮膚が破れ血が滲んで、その不快さにさらに表情が険しくなる。

――表情の変わらない。人形のような女。

同級生は何も知らない。あの子がどんな思いでいるのかを。
表情をなくしてしまうほどの出来事があった事など、同級生達は知る由はないのだ。
分かっている。分かっていると己に言い聞かせる。
息を吸い、吐く。何度も繰り返す。
周囲に渦を巻き始めた風が誰かを傷つける前に、心を静める。

「大丈夫。私は、大丈夫だから」

優しい子は、そう言って己の背を撫でる。きっと泣きたいだろうに、泣く事も忘れてしまった子が、只々哀しい。

「そんな事言わないでよ。全然大丈夫なんじゃないんだから」
「大丈夫だよ。本当にもう気にしていないから」

そこまで言われてしまえば、それ以上は何も言えなくなってしまう。少しばかり恨めしげに優しい子を睨めば、背を撫でていた手が頭を撫で始めた。

「ありがとう。一人でないから、頑張れるんだよ」

――一緒にいて。一人にしないで。

幼い頃の子が望んだ、たった一つの望み。
それ以外は望まない。今も同級生に対して何かを望む事はない。
いっそ望んでくれたのなら、己のこのどろり、と濁る胸の内もいくらか晴れる事だろうに。
ふっ、と短く息を吐く。頭を撫でる子の手を取り、両手で包み込みながら目を合わせた。

「今日はこれからお家に帰って、お外には出ないでいてくれる」
「また、あっちに出かけるの?」
「うん。このままだと抑えきれないから」

僅かに瞳を揺らす子に笑いかけ、そのまま手を引いて家路を急ぐ。
離れたくないと、いつもよりも強く繋がれる手に、ごめんね、と囁いた。





はぁ、と深く息を吐いた。
空を見上げれば、大分明るくなっている。あの子は一人で眠れているだろうか。
首を緩く振り、辺りを見た。
何もない。文字通り、木の一本から草一つも、何もかも泣くなってしまっている。

「こりゃあ、また。随分と派手に暴れたもんだな」

ばさり、と翼をはためかせ、男が呆れたように笑った。
引き攣った笑みを一瞥して、仕方がない、と言い訳をする。

「だってあいつ、あの子の事人形みたいだっていったんだもん」
「その度に戻って暴れんなよ。禁域を作り過ぎだ」
「現世で暴れてもいいなら、そうする」
「止めてやれ。今だって開けた穴から、漏れ出してんだろうが」

だって、だって、と言い訳を重ね。その度に反論が返ってきて、次第に何も言えなくなる。
横目で見える、何もない空間にいくつも空いたひび割れから、目を逸らすように空を見上げた。

「もう帰る。あの子が待っているから」
「さっさと帰んな。んで、もうこっちにくんな」

追い払うように手を振られ、ふん、と鼻を鳴らして空を舞う。
まだ荒れる風を掻き分けて、あの子の待つ家まで只管に急いだ。





「昨日の夜、家から南の地区で激しい暴風と雷雨があったんだって」

眉を寄せて何かを言いたげな子を、笑顔で誤魔化す。誤魔化されてはくれていないのだろうが、小さな溜息の後に何かを言われる事はなかった。


「あ。あいつだ」

校門前。どこか草臥れた顔をして歩く同級生が視界に入り、僅かに眉を寄せる。立ち止まりかけた子の手を引き、その横を追い抜いた。
それでも気にしてしまう、優しい子を先に教室へ行かせ、同級生に振り返る。

「おはよう。昨日は大変だったみたいだね」

冷めた声音に、何故か傷ついた表情をされる。
慰めの言葉でもほしいのか。自分は簡単に誰かを傷つけているというのに。
込み上げる激情を、手を握り締める事で耐え。同級生を見据えて、でも、と言葉を続けた。

「よかったね。家族は無事だったんでしょ。あの子の時は、あの子以外は駄目だったのに、運が良かったね」

言いたい事だけを言って、くるりを踵を返し教室へ向かう。
背後で同級生が何かを言っているが、既に興味はなかった。
急がなくては。教室で一人でいるあの子が、寂しがってしまう。
もしかしたら、先ほどの同級生のような酷い事を言う誰かが現れるかもしれない。
それを思うと、自然と足は速くなる。昇降口を抜けて、教室までを駆け抜けた。

「おまたせ」
「廊下は走っては駄目だよ。危ないから」
「ごめんね」

叱られて謝罪の言葉を口にしつつ、席に着く。

「彼と、何話してたの?」

小さな声に、視線を向ける。揺れる瞳の奥に不安が見えて、安心させるように笑いかけた。

「昨日は大変だったねって」
「それだけ?」

それだけ、と笑う。
言いたい事は山ほどあるが、昨日の雨風で気持ちは大分収まった。望まれていない事に、手を出しはしない。

「あっちでは禁域をまた一つ作っちゃったけど、こっちの影響は抑えていたから大丈夫だよ。これでも成長しているからね」
「成長しているっていうなら、まず暴れないようにしないと」
「これでもたくさん我慢しているんだって」

我慢して、鎮められるものは鎮めて。抑えきれなくなれば、その前に現世から離れる。
それだけで現世への影響は殆どなくなる。
今回のは偶々だ。暴れる尾が偶然空間を引き裂いて、それが偶然同級生の住む場所に繋がっただけ。

「こんな事、もうしちゃ駄目だからね」
「分かってるよ。大丈夫」
「誰も私みたいにはなってほしくないもの」

本当に優しい子だ。そして誰よりも強い子だ。
傷つけるだけの風と雨に全てを奪われ。その風雨を憎むのではなく、共にいて欲しいと望む、何処までも優しい可愛い子。
望まれたその時に、妖として目覚めたばかりのこの身はまだ、内で荒れ狂う風を制御しきれない。
その度に怖ろしい記憶を思い起こさせているというのに。最初の望みは、ずっと変わらない。

「私にはあなたがいるから、大丈夫なの。だからずっと一緒にいてね」
「いいよ。応えてあげる。一緒にいようね」

差し出された小指に、小指を絡める。
指切りげんまん、と可愛い子が歌うのに合わせて手を揺らす。
段々と賑やかになる教室。先ほどの同級生も来たようだ。
また一日が始まる。どんなに風が強くとも、雷雨が来ようとも、それは変わらない。

僅かに綻ぶ愛しい子の表情に、思わず吹き抜けた風が窓を叩く。
驚き目を見張る子に叱られる前に、誤魔化すように笑った。



20250107 『君と一緒に』

1/7/2025, 4:15:58 AM

早朝。赤から青へと変わる空の下、腕を伸ばして伸びをする。
とても静かだ。普段は日が昇る前より鳴く鳥達の声すら、今は聞こえない。
きん、と冷えた空気を吸い込む。年末年始の宴に浮かされていた意識がようやく醒めて、はぁ、と気怠い思いと共に吐き出した。

とてもいい日だ。それこそ何かを始めるには最高の。
一歩、足を踏み出した。さくり、と足下の霜柱が、軽い音を立てる。
一歩、二歩。そして三歩。
さく、さく、さくり。
音と感覚を楽しみ、当てもなく歩く。己以外の存在がなくなったかのような錯覚に、けれども恐怖はない。
今なら何処へでも行ける。制限などなく、好きな所へと。
足取りは軽い。心の冷静な部分が、そろそろ戻らなくてはと忠告しているが、聞こえないふりをした。
どうやら、冷めたと思っていた熱は、まだ醒めていないようだ。



――きぃん、と。
不意に、何かが聞こえた気がした。
金属を擦り合わせたような、酷く不快な音。遠く微かであった音は次第に大きくなり、眉を潜める。
辺りを見渡せど、何も見えず。音だけが、取り囲むように四方で鳴り続けている。

――きぃ、きぃ。ぎ。ぎぃ、ぎぃん。

思わず耳を塞ぐ。けれど意味はない。
鼓膜に張り付いた音が、耳を塞いだ事で反響し、直接脳を揺さぶっていく。

――ぎぃん。ぐゎん、ぐわん。うわん。

最早立っている事も出来ず膝をつく。それでも止まない音が体の中で反響し、増幅する。
内から外へと出るために。邪魔なものをすべて、こわして。


「なぁにやってんだ。クソ餓鬼」

低く呆れを含んだ声音。
反響する音の中でも、はっきりと聞こえた、男の声。
耳を塞いでいた手を剥がされる。音が外へと飛び出て、うわん、と遠くで鳴り響く。

「こそこそ勝手に抜け出して、番犬にちょっかいかけて。ほんと何してんだ、おめぇ」
「ばん、けん?」

くらくら歪む視界の中、確かに男の他に誰かがいた。
木の枝に腰掛け、こちらを見ている。口を開けば、うわん、と声が響く。
番犬だ。ではこの先は禁域か。

「甘酒くせぇな。まさか甘酒で酔っ払ってんのか」

嘘だろ、と言いたげに男が眉を寄せる。
酔ってはない。広間で死屍累々に転がっていたモノのように、昼夜飲めや歌えやの大騒ぎをしていたわけではない。
だが立ち上がりかけてふらつき、男に抱えられているこの状況では説得力がない事くらいは知っている。

「甘酒で酔う奴なんざ、初めてみたな。まあなんだ。来年からは、茶でも飲んでろ」
「酔ってない」
「酔ってる奴は、だいたいそう言うんだよ」

憐みの籠もった男の言葉に、拗ねて思わず反論する。
やはり信じてはもらえないのは分かっていたが、男に諭されるのは釈然としない。つい数刻前まで、広間の中心で赤い顔をして酔って寝ていたのは男の方である。

「酔っ払いがいっちょ前に説教すんな」
「俺ぁ、分かって飲んでんだからいいんだよ。正体なくして、ふらふらするような餓鬼と一緒にすんな」
「だから酔ってない」
「へいへい。甘酒で酔ったなんて、認めたくねぇもんな」

片手だけで抱き上げられる。そのまま歩き出し、その振動に慌てて男の首にしがみついた。
にやにやと、嫌な笑みを浮かべる男から視線を逸らす。遠くなる禁域と番犬を見つめながら、何で、と声なく呟いた。

禁域。立ち入りを禁ずる場所。
理由は様々だ。
喧嘩で大穴が空いたとか、燃えて何もなくなったとか。
ここは何故、禁域になったのだろうか。

「寝てろ。酔った頭で考える事なんざ、大概はくだらねぇ」

呆れた声に窘められる。
男に指摘されるのは癪でしかないが、確かにそうだと目を閉じた。

「正月も終わったんだ。しゃんとしろ。飛び方も知らねぇ餓鬼が、地を歩けるようになった位で浮かれるな」
「少しくらい、いいじゃん」
「阿呆が。飛べん奴の負け惜しみだな」

はぁ、と溜息を吐かれる。
それに何かを言い返そうとして、けれどそれより早く一陣の風が吹いた。
風が髪や頬を撫でていく。冷えた風と日の暖かさを感じ、目を開けた。
視界に広がるのは、青の空。雲一つない、果てしなく続くその青に、気づけば手を伸ばしていた。

「早く飛び方を覚えろ。いつまでも迎えに来てもらえると思うなよ」

男の言葉に何も返さず、ただ空を見る。。
太陽が今は、あんなにも高い。あそこまで高く飛べたのならば、とても気持ちがいいのだろう。
風が心地良い。澄んだ匂いを目一杯に吸い込んだ。

今日は本当にいい日だ。

「っ、おい。何やって」

空を見上げる。男の肩を押しやって、身を乗り出した。
背の翼を意識する。
一度、二度。そして三度。
翼を羽ばたかせ、さらに身を乗り出して。

――空を、飛ぶ。

体が浮き上がる。それに気を良くして、さらに翼を大きく羽ばたかせる。
だがそれも一瞬。
飛べたと思っていた体は、地に引かれて落ちていく。

「酔っ払いが、いい加減にしろ!そんなんで飛べるか、ド阿呆」

そのまま真っ逆さまに落ちていく体を、男が足首を掴む事で引き止める。
ぶらり、と体が揺れる。逆さまになった景色が、気持ち悪い。

「吐きそう」
「我慢しろ。直ぐに屋敷につく」

僅かに男の飛ぶ速度が速くなる。逆さになった屋敷が見えて、安堵からかさらに頭痛がし始めた。

「気持ち悪い。頭痛い。吐く」
「ったく。仕方ねぇな」

足首を掴んでいた男の手が持ち上がり、逆さまから横抱きへと運ばれ方が変わる。それだけで幾分か頭痛は和らぐものの、気持ち悪さは変わらない。
目を閉じて、意識を落とす。

「お、おちたか。酒に酔うわ、歩くわ、飛べずに落ちるわで新年早々騒がしいもんだ。ま、元気があるのはいい事か」

男の声を遠くに聞きながら、微睡みの中で冬の晴天を飛ぶ夢を見る。

あぁ、本当に。
今日は何て最高の晴れの日なのだろう。



20250106 『冬晴れ』

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