sairo

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風が吹いた。

背中を押された気がして、走り出す。
他には何も考えず。ただ前だけを見て、走る。
道行く人が、微笑ましげな顔をする。誰かの頑張れ、の声にさらに速度を上げた。
息が上がる。体が酸素を求めて、呼吸が苦しくなる。
それでも止まらない。道の終わりはまだ見えない。

走る。くらくらする頭で、それだけを考える。
目の前に現れた坂に、体が悲鳴を上げる。足が縺れ、ふらついた。
けれど風が背中を押しているから。
背後から吹き続けている風と共に、一気に坂を駆け上がる。
この坂が最後だ。その確信に、最後の力を振り絞る。
もう少し。あと少しで。
坂の終わりが見える。風がさらに強く背中を押した。
そして。

坂を登り切り。道の終わりで。
大地を強く踏んで、高く跳び上がる。
風を背に受けて。高く、遠く。


――空を、とんだ。





体に纏わり付く風に、顔を顰めて手で払う。
不快でしかないこの風は、おそらく最近噂になっている追い風だろう。
眉を寄せながら、風に背を押されるままに歩き出す。
気づけば周囲に人はなく、見慣れたはずの通学路はどこまでも続く一本道に変わってしまっている。

風に背を押され、一本道をどこまでも行く。
途中、道の端に黒の崩れかけた影がゆらゆらと揺れているのが見えた。耳障りなひび割れ声が頭に響き、不快さに益々眉が寄る。
風は変わらず背を押したまま。

「まったく。何処まで続くんだよ、これ」

舌打ちし、目の前の坂を睨み付ける。
長く急な上り坂に、苛立ちを隠しきれない。
いっそここで終わらせてしまおうか。そんな思いが過るが、それでは正しく終われないと首を振って思い直す。
風が、背を強く押す。
一つ溜息をついて、上り坂へと足を踏み出した。

坂の途中、誰かの靴が片方落ちていた。
よく見れば、それ以外にも鞄や上着などが、道のあちらこちらに散乱している。
邪魔になって置いていってしまったのか。落ちた事にすら気付けなかったのか。
深く息を吐く。立ち止まりかけた足を風が急かし、鬱々とした気持ちを抱えながら坂を上る。

そして、坂の終わり。道の終端で立ち止まる。

「ここで終わり、か」

風は背を押し続ける。
段々と強くなる風の勢いに、ポケットから取り出した水晶玉を強く地面に叩きつけた。

――ぱりん、と。

澄んだ音を立て、水晶が割れる。
粉々になった欠片が、風に舞い上がり。それは赤々とした炎となって、風の勢いを呑み込んでいく。
崩れて行く。壊れていく。
張りぼてが剥がれ落ち。その先に見えるのは、古びたコンクリートの地面だ。

ざり、と地面を靴底で擦る。
炎に呑まれ崩れ落ちた形の無いはずの風が、黒焦げの人型を取って崩れ落ちた。

「ィ、タイ…アツイ。イタイヨウ」
「お前が言うな」

鼻で笑い、視線だけで周囲を見る。
俯いたたくさんの人影が、風だったナニかを取り囲んでいた。

――痛い。足が、腕が、痛い。
――苦しい。呼吸が出来ない。
――どうして、こんな事に。
――とびたくなんてない。
――止めて。嫌だ。

声なき声が反響する。
ナニかに対して、延々と呪詛を口にする。


「ナンデ。ナンデ、トバナイノ?トボウヨ。トボウ?イッショニ、トンデヨッ!」

その呪詛すら聞こえていないのか、ナニかは黒い腕をこちらに伸ばし、頻りにとぼうと繰り返す。
それに顔を顰めつつ、ポケットの中に手を入れながら、数歩ナニかに近づいた。

「嫌だよ。飛ぶ趣味なんてないし、さっさと帰りてぇ」

至極面倒くさいと、溜息を吐き。

「そんな訳だから。さようなら」

取り出した水晶玉を、ナニかとナニかを取り囲む人影に投げつけた。





――今朝のニュース見た?
――見た見た。廃ビルの屋上に複数の遺体が、ってやつでしょ。

あちこちから聞こえる話し声を、机に伏したまま聞き流す。
話題は全て同じだ。退屈な日常に突如降りかかる非日常に、皆怖がりながらも楽しんでいる。

――見つかったのって、最近行方不明になってた人達なんでしょ?風に攫われたって噂の。
――そうそう。例の追い風さんに攫われた人だってさ。だから皆飛び降りした人みたいに、ぐちゃぐちゃだったんだって。
――マジで?噂って本当だったんだ。

怖い、と言いながらも、笑い声が響く。怖がりながらも非日常に非日常を重ねる辺り、恐怖すら娯楽の一種になっているのだろう。
はぁ、と溜息を吐く。
疲れはあるが、眠気はなくなった。体を起こして、欠伸を一つ。

「おはよう。このまま起きないのかと思ってたわ」
「うっせ。昨日も遅かったから、疲れてんだよ」

前の席の彼女が、呆れたように声をかける。
それに愚痴混じりの返答をしながら、周囲を見た。

いつもと変わらない教室。変わらない光景。
噂話を楽しむクラスメイト。辺りを漂う黒い靄。
今日も世界は変わらずに澱んでいる。

「一時限目、自習になりそうよ。先生達、対応に忙しそうだったし」
「皆、帰ってきたからな。そりゃあ、そうなるだろ」
「最近多くない?」
「仕方ないさ。そんだけ人の想像力がたくましくなったって事だろ。より具体的に、刺激を求めて猟奇的に、さ」

肩を竦めて立ち上がる。

「ちょっと、どこ行くの?」
「ん。ちょっとそこまで」

彼女に手を振り教室を出た。
廊下の先に見えた、両手にプリントを抱えた少女の元へと歩み寄り、その手からプリントを奪う。

「あ。えと。その…ありがとう」
「別に。たまたま見えたからで、気にすんなよ」

頬を染める少女を横目に、教室に戻る。
やはり自習になるらしい。

「あんた。本当にそういうとこ、何とかしてよ」
「何だよ急に。変な事はしてないだろ」
「自覚を持てって言ってんのよ」

教室の入り口から呆れた目をして彼女が溜息を吐く。
自覚だの何だのと、彼女から事ある度に言われるが、詳細を説明する気は一切ないらしい。

去年とは変わった光景。
これから日常になっていくだろうこのやりとりに、愚痴りながらも口角が上がる。

「何一人で笑ってんのよ。キモ」
「ほんと、お前って失礼な奴だな」
「そう、だよ。その言い方は、よくない、と思うよ」

――最近、あの三人仲良くない?
――クリスマス、三人でデートしてたんだって。

さっきまで、面白おかしく噂話をしていたクラスメイトの視線がこちらに向き、ひそひそと笑う。
居心地悪げに縮こまる少女を、その好奇な視線からさえぎりながら、そういえば、と口を開く。

「怖い話はほどほどにしとけよ。寄って来るぞ」

ざわり、と騒々しくなる教室内を気にせず、プリントを教卓に置いて。

「よく言うだろ?話をした所に来るってさ。今も来てるかもな」

不安や恐怖が浮かんだいくつもの視線を受けながら、周りを見渡して嗤った。



20250108 『追い風』

1/9/2025, 3:27:04 AM