祭囃子の笛の音に誘われて。一人初めて外へ飛び出した。
きらきらとした灯りを、賑やかな騒めきを目印に。誰かに見咎められないよう、暗い木々の合間をすり抜け進む。
「……きれい」
そうして離れた場所から、自分の眼で見た祭り《そと》の光景は。
とても鮮やかで、暖かく。宝石のように煌めいていた。
祭囃子の音。楽しげな笑い声。香ばしい香り。
遠くからでも分かる賑やかな雰囲気に、見ているだけでも心が躍る。
もう少しだけ側で見たいと、一歩踏み出した。
ほんの少しだけ、近づけた気がした。
「…誰か、いるのか?」
もう一歩と踏み出しかけた足は、聞こえた誰かの声にそれ以上は進めず。慌てて下がろうと無理に動かしたために縺れてバランスを崩し、無様にも尻餅をつく結果となった。
がさがさと音を立て、誰かが近づく。
目の前の草が揺れて。
「女の子…?」
現れたのは自分と同じ年頃の少年。
「ご、ごめ、なさっ…その、きらきら、してた、からっ…」
早く戻らなければ、怒られてしまう。
そう思うけれど、余計に焦るせいで体は思うように動いてはくれず。
「ねぇ」
そう言ってこちらに向けられた手に、反射的に身をすくめる。
けれど想像した痛みは訪れる事はなく。
優しく頭を撫でられて目を開けると、彼は小さく笑って手を取りそのまま引かれた。
「え?あっ」
急に立ち上がった事で、バランスを崩してふらつく体を支えられる。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫…」
初めての事ばかりで、どうすればいいのか分からない。祖母以外の人と話す事も、況してや触れる事もなかった。
混乱し固まる私に、少年は視線を合わせて笑いかけ、躊躇いもなく手を差し出した。
「よくわかんないけどさ。花火が見たいのか?なら、こっち」
手を繋ぎ、歩き出す。
人気の少ない道を選んでいるのか、他の誰かとすれ違う事もない。
「山の近くは滅多に人が来ない割に、花火がよく見えるから」
こちらの歩幅に合わせてゆっくりと歩く少年が何を思っているのか、その表情からは分からない。
村の住人ならば、私の事が分からないはずがないのに。
『村外れの館に住む白い娘に関わってはいけない』
それなのに、何故こうして手を繋いでくれるのだろう。
「何か買ってきてやるから、その間いい子にしててな」
離れた手で優しく頭を撫でられて、お祭りの方へと戻っていく少年を見送って。
一人になって、ようやく落ち着いた気持ちで考える。
今日の事。少年の事。自分の事。
落ち着いていても纏まらない考えに、目を閉じる。
どうして彼は親切にしてくれるのだろう。
どうして彼は私の事を聞かないのだろう。
どうして、何で。
一人で待つこの時間を、寂しいと感じてしまうのだろう。
離れてしまった手が、消えてしまった温もりが恋しい。彼と会ったのはほんの少し前の事なのに、離れる事が寂しくて、一緒にいれる事が嬉しい。
全部初めての事。だから分からない。これからどうしたらいいのか。待っていればいいのか、ここから離れればいいのか。
何も分からない。彼の考えも、自分の気持ちも何一つ。
「……どうして」
小さく呟いた声は、誰にも届く事はない。
俯いて、必死で泣くのを耐えていた。
20240729 『お祭り』
ころも様、という占いが流行っているらしい。
交霊術。いわゆる狐狗狸さんの派生。
白い紙に鳥居、はい・いいえ、五十音に数字を書き。
鳥居の上部には水で満たした白い器を置き、硬貨を使用して質問を行う。
ありきたりで、子供騙しの呪い。
関わらなければ害にもならない、ただの噂話。
そのはずだった。
「なん、で、こん、なっ…!」
「話す暇があるなら速く走れ!』
彼女の手を引き、ただ走る。空間が捻れているのか、果てのない廊下の先に思わず舌打ちする。
委員会の仕事を終え、彼女と共に教室に戻るまではいつも通りだった。外から聞こえる部活動に励む声。教室に残る誰かの話す声。いつもと変わらぬ放課後だった。
それが変わったのは教室の前に来た時。どこか覚えのある肌の粟立つ感覚に、扉に手をかけた彼女に声をかけるも一足遅く。
扉が開かれると同時に、周囲から音が消えた。
「え?なに、これ、」
「逃げるよ」
教室の中にいるそれを正しく認識するよりも早く、彼女の手を引き走り出す。
無駄だと思っていたがやはり昇降口は閉ざされ、窓は開かず。
永遠と続く廊下に、走る足を止めずにどうするかと思考する。
己一人であれば、教室にいたあれを喰ってしまえばそれで済む。しかし今は彼女がいる。
彼女を一人置いていけるわけはなし。況してや彼女と共にあれの元へ行けば、あれの巻き散らかす呪いで彼女の気が触れてしまいかねない。
さてどうするかと、彼女を横目で見ながら思案する。
限界が近い。これ以上走る事は無理だろう。
幾度目かの廊下の角を曲がり、階段を駆け降りた先。
目の前の教室を見、後の気配を確認してから入り込む。
自分達の教室。最初に扉を開けた時と殆ど変わらぬ光景。
倒れている三人の少女。机の上の白い紙。白い器。
異なるのは少女達の側で佇んでいたあれがいないことくらいだ。
「も、って、きた?」
「あんまり喋らない方がいいよ」
彼女の背を摩りながら、倒れている少女達の近く、教室の奥へと移動させる。
入り口であれを喰ってしまえば、被害は少ないだろうか。
膝をつき、必死で息を整えながらも離れようとしない手を見つめ、内心で困惑する。
あれの気配はまだ遠いが、時間に余裕があるわけでもなし。どうすれば手が離れるか、とにかく声をかけようと口を開いた視界の隅で水面が揺れた気がした。
視線を向ければ、机の上に置かれた白い器。器を満たした水が、緩やかに揺れて。
ふと、噂になっていた『ころも様』について彼女が話していた内容を思い出す。
ころも様はどんな事でも視えており、何でも知っている神様で。
昔、悪い事をして神社に縛り付けられている為に外に出れず。だからこそ占いの間、外に出してもらえたお礼として質問に答えてくれるのだと。
神社に縛り付けられた、すべてが視える神様。
心当たりが一つだけあった。
「掛まくも畏き御衣黄大神の御前に恐み恐み白さく」
紙に書かれた鳥居に触れ、記憶の片隅から祝詞を引き摺り出し紡ぐ。
様子を伺う彼女を、今は気にかけている余裕はない。
ころも様を呼び出す呪文など知りはしない。ならば不完全であれ、それらしい言葉で呼び掛ければと。
完全な賭けではあった。
「祓え給い清め給えと恐み恐みも白さく」
水面が揺れる。波紋が広がる。
いつの間にか、繋いでいたはずの手が離れ。
あれの気配が近くなり。そして。
扉が軋み、開かれ。
あれの動きが止まった。
「何を惚けておる。さっさと取り込まぬか」
背後から聞こえる、男の声。
「早くせぬか。いつまでも抑えては居れぬぞ」
その言葉に駆け出し、その勢いのままに喰らい付いた。
「さて、娘。我を呼び出した対価を差し出せ」
にやりと笑みを浮かべる神に、思わず眉間に皺が寄る。
面倒くさい。ある程度予測はしていたが、とても面倒な事になりそうだというのが正直な感想だった。
「ナに差し出せバいいノサ」
「…まずはその呪を収めよ。障りが出るだろうが」
無茶を言う。擬きとはいえ、神を喰ったのだ。すぐに消化出来るわけがないだろうに。
仕方なしに口を閉じ、続きを促す。
「我は斯様に縛りがある故、社からは離れられぬ」
四肢に繋がれた縄に触れ、神は言う。
「娘。我の手足となれ」
「断ル。吊り合イが取れナイ」
無茶な対価に、耐えきれず口を出す。慌てて口を閉じるも、今度は何も言われず。
「無論、対価が重いのは承知の事。余剰分は望みに応える事で吊り合いとしよう」
望み。はてさてどれくらいの望みならば応えてくれるというのか。
真に望む事など応えられはしないだろうが。
不意に、かつて呪を施された場所が痛んだような気がした。
「最後の子を助ける術を探しておるのだろう?」
息を呑む。表情が険しくなる。
視える神なのだから不自然ではない。いや、それを対価に出すとは、おそらく最初から知って呼ばれたのだろう。
釈然としないが、まあ仕方がない。
一つ頷いて荷物と、気を失っている彼女を抱えて歩き出す。
「何処へ行く?」
屋上。人差し指を上に向け、伝える。
空間が戻った後のこの状況を、第三者に伝える面倒は避けたかった。倒れていた少女達も死んでいるわけではないのだから問題はないだろう。
「そうか。なれば続きは移動してからにしよう」
戻るのではないのか。
当然の如く付いてくる神に、理解が追いつかない。
そもそもこの場から動けるのだろうか。
「言ったであろう。我の手足となれ、と。娘自身を依代としておるからな」
憑いていくのは当然であろう、と愉しげに笑う神から思わず目を逸らす。
これは本当に面倒な事になったようだ。
20240728 『神様が舞い降りてきて、こう言った。』
「やぁ。ちゃんと休んでる?」
疑問の形を取りながらも、屋敷の主は部屋を見て満面の笑みを浮かべる。
惨状。全くもって酷い状況だ。
俗に言う人をダメにするクッションに身を預け、そのまま菓子を貪り茶を啜る。堕落を極めたその様に我ながら焦りが生まれるが抜け出す事が出来ず、時間だけが無意味に過ぎてしまった。
「これは酷くね?畳にクッションは邪道だって」
「だからいいんじゃん。余計な事は考えず、欲に従順になればいいよ」
無邪気な笑顔を浮かべながらも、その言葉は悪意でしかない。いや、そのつもりはないのだろうが。
「そもそも仕事しすぎなんだよ。というか摩耗しながらする仕事って何?そういう趣味なの?」
「…人を変態扱いしないで」
酷い。言いたい放題である。
反論しようにも、やはりこの場からは動けず。手はさりげなく用意された新たな菓子に伸び。
末期だ。何とかしなければ。
「村のため。民のため。責務のため。誇りのため…使い古しの物語じゃあないんだし、誰かのためになら、の自己犠牲精神なんて犬にでも食わせればいい。結局は自己満足でしかないそれが、本当の意味で自分以外を満たせるはずなんてないんだから」
「なら、迷い家はどうなんだ?」
「え?」
不思議そうに首を傾げる屋敷の主を手招きして呼び寄せる。自ら動く事は取り敢えずは諦めて。
大人しく近づいてきたその口に煎餅をねじ込み、腕を伸ばして乱雑に頭を撫でた。
「人を招き入れ、もてなし、富を与えて帰らせる…それってさ、招き入れた『誰か』のための行為だろ?現に俺は今、最大限の贅沢をさせてもらってるけど?」
「それは前提が違うよぉ」
瞬いた目が楽しそうに細められる。
ねじ込まれた煎餅をぱりぱり音を立て咀嚼しながら、器用にくふくふと声を漏らして笑う。
「すべてはね、俺さんを認識してもらうためだもの。下心あってのおもてなしだし、与えたものも、その人間が本来その先で得られるはずのものを、因果をいじって与えているだけに過ぎないからね。対価は十分もらっているんだよ」
まるで我儘を言う子を宥めるように優しく頭を撫でられ、薄手のタオルケットをかけられる。冷えると良くないからねと言うものの、肌触りが絶妙に好みのものを与えてくるあたり、絶対にここから移動させないという意思が感じられ、末恐ろしさに思わず身を震わせた。
「俺だって、仕事に見合う報酬は貰ってるつもりだけど?」
「この前の婆さんからは何も貰ってないでしょう?」
この前の婆さん。その言葉に先日叱られた日の事を思い出す。
まだ怒っているのかと苦笑して、ゆるりと首を振って否定した。
「ちゃんと前払いで、しかも迷惑料込みで貰いました。なので今頃、遺産相続で修羅場が発生しているはずですー」
諦めてもらいたい気持ちも込めて普段の倍以上を提示したにも関わらず、即金で払ってもらったのには驚いた。だがそのためにいらぬ苦労をしたし、叱られたのだからもう少し高めでも良かったのかもしれない。
「というかさ。俺も対価というか、下心ありで仕事してるんだよ。主に俺の打つ式がどこまでやれるかの研究込みでやってんの」
だからそろそろ仕事をしたいと訴えるも、屋敷の主は笑みを浮かべたまま。
このやりとりを何日繰り返したか。当初の約束の十日は既に過ぎ、もう一月が経とうとしている。
堕落し、そのために腕が鈍るのだけは許せず外に向けて何度か式を打つも、隔離された空間の先には行けず。
そろそろ限界だった。
「別にこのままでいいじゃん。ここで仕事すれば?」
「だからさ、隔離されてるせいで現世に式が行けないんだって。何度式を打ったと思ってるんだよ」
思わず愚痴れば、屋敷の主の笑みはますます深くなり。
「それは式が弱いせいだよ。術師が未熟だと、当然式もそれ相当になる。術師の真似事をしたいんなら、最低限でも境界を越えられるくらいの式を打たないとね」
正論で煽られた。
思わず身を起こし、その拍子にクッションから転げ落ちる。背中は痛むが、動けるようになった事に密かに安堵した。
「大丈夫?気分転換に温泉でも入ったら?」
「また誘惑…!」
もう嫌だ、とは思いながらも差し出された手に素直に手を重ね。
立ち上がり大人しく連れられる様に、半ば諦めるように溜息をついた。
「まずは意志を強く持つところから始めたら?俺さんとしては見ていて楽しいからそのままでもいいけど」
上機嫌にもっともな事を言われ、何も言い返せず項垂れる。
明日こそはと何度目かの決意をしながら、繋いだ手に僅かに力を込めた。
「あぁ、ちなみに」
不意に立ち止まり、屋敷の主はこちらを見上げ楽しげに囁いた。
「一葉《いつは》の場合はね。お礼半分と、実験が半分かな…まぁとにかく、思う存分好きな事をしなよ」
「ちょっと待て。何か今、流しちゃいけない単語が出なかった?」
実験とはなんだ。
さぁ?と、はぐらかす屋敷の主はやはり上機嫌で。
少しだけ、この屋敷に来た事を後悔した。
20240727 『誰かのためになるならば』
月のない夜。枯れた桜の洞の前。
音もなく歩み寄る、狩衣姿の大男。その肩には幼子を乗せて。
「…ここか?」
「そうだな。ここだ……間違いない。ここに、いる」
男の問いに答える幼子の表情は硬く。視線は洞から離れる事はない。
「兄貴は入るのは俺でもいいって言ってたが、どうする?姉ちゃん」
「お前で構わない。だが気を抜くな」
幼子の言葉に微かに笑みを浮かべ、男は洞に手を差し入れる。
幼子一人が身を屈めてようやく入れる程の小さな洞の中を、差し入れた手で探るように動かし。
「あった」
その刹那洞がぐにゃりと歪み、形を変え。木を、男と幼子を呑み込んで。
気づけば暗闇の中。
中心に半透明の膜に覆われた何かがある以外には何もない、小さな場所。
「姉ちゃん、これ」
「そうだな。この中だ」
男の肩から降りて膜に触れ、幼子は頷く。膜の内側にいるそれに意識を向ければ、触れていた指先が膜に沈む。
「やっぱ俺じゃ駄目だな。姉ちゃんだけで行けるか?」
「問題ない」
膜に弾かれる男には目もくれず、幼子は己の身を沈めていき。けれどもその表情は何処か険しく、男を一瞥する。
「それより黄の言っていた事が気にかかる。あいつは「逃すな」と言った…私の他に何かがいるはずだ」
幼子にとっては弟であり、男にとっては兄である神の言葉を思い出し、男もまた表情を険しくする。
千里を視る神は、この場所を告げる際に確かにこう言っていた。
卵が割れる時には気をつけろ。逃すな。姉者達を連れ帰ってくれ。
この膜が卵だとするならば、この中には姉しか入れぬ事も理解は出来る。そして膜を破る事も内側に入った姉にしか出来ぬ事も。
どこか歯痒さを感じつつも、男はただ膜が破られるのを待った。
ぴしり、と。
幼子が膜の内側に沈んでから暫く、微かな音を立て膜に亀裂が生じる。
ぴしり、ぴしり、と。
亀裂は広がり、その内側を垣間見せ。
背後で微かに暗闇が揺らぐ気配がして。
その気配に男が振り返るよりも早く。
ぱりん、と。
乾いた音を立て、膜が砕け散った。
「これは…」
膜が破られた事で露わになったものを見、男は息を呑む。
「私と…私の半身だ」
顔を顰め頭を押さえながら、幼子は寄り添い眠る二人の赤子に近づき片方を抱き上げた。
「寒緋、半身を頼む。乱暴にするなよ。陽に焼かれて脆くなっているからな」
「…姉ちゃんは、大丈夫なのか?」
「庇われたからな。この通り、綺麗なもんだ」
腕に抱いた赤子を見せ、幼子は自嘲する。それに複雑な顔をしながらも、もう片方の黒く焦げた赤子に男は手を伸ばし。
だがその手は赤子に触れる事はなく。
「寒緋!」
「さっきのか!」
背後に揺らめいた影が、赤子を抱き上げ距離を取り。その身に赤子を取り込んで。
「待てっ!行くな」
引き止める声は届かず。
影は揺らぎ、姿を消した。
「やはりか」
すべてを視ていた神は、変えられぬ結末に眼を伏せた。
分かってはいた。変えられぬだろう事は。
姉の存在を認識していないあの二人では、彼女を引き止める事は出来ない。特に半身である姉は、認識した事で制限のなくなった記憶に翻弄され、それどころではないだろう。
無駄だと知りながらも逃げた先を視るが、何も視えず。
社から遠く離れる事の許されぬ我が身を恨めしく思った。
ようやく生まれ落ち目覚めた雛は、鳥籠から飛び立ち行方は知れず。
鳥籠に残されたもう一羽の雛は、戻らぬ雛を想って声もなく泣き。
残された雛を慕う大樹は、己の無力さに嘆きながらも雛と共に鳥籠を出て。
飛び立った雛の行方を辿るのだろう。
もう二度と戻らぬとしても。せめて。
生きてくれればと、切に願った。
20240726 『鳥かご』
「親友だからねっ!」
そう言って、あの子はいつも勝気に笑う。
楽しい時も、嬉しい時も。
寂しい時も、悲しい時も。
裏表のない性格は、常に周りを惹きつけ。同じように周りから妬まれる。
どんな時でも笑みを絶やす事はなく。その強い眼差しは揺らぐ事はない。
例え謂れのない悪意に晒されたとして、傷つき苦しみながらも前に進む事を止めようとはしなかった。
それは側から見れば、使い古された物語のようにありきたりで滑稽ですらあり。
それでもそれを終わらせるには惜しい程に、気に入ってはおり。
つまりは、少しばかりは手を出しても良いかと思える位には、あの子に情があるという事だ。
深夜。誰もいない教室で。
「ねぇ、本当にやるの?」
「あたりまえじゃない。今更何言ってんのよ」
「何、怖気付いたの?かっこわるぅ」
ひそひそと囁き合う少女達。
机の上には、人型に切り取られた紙が置かれており、その紙の中心には誰かの名が書かれている。
「先輩達に気に入られてるからって、調子に乗りすぎだっつぅの。少しは痛い目を見れば良いんだ」
「大丈夫なのこれ?ヤバくない?」
憎々しげに吐き捨てる声。怯えを含んだ声。
もう一人は何も言わず。ただ早く終わらせるために、準備を進めていく。
暗い教室。光源は机に立てられた五本の蝋燭のみ。
中心に紙の人形を据え、四肢と頭部に蝋燭を立て。
四隅には赤く染めた、獣と虫を模った人形を置き。
「これで終わりだっけ?」
「そ。あとはお呪いを唱えるだけ」
準備を終え、少女達は机を囲うように手を繋ぐ。目を閉じ、覚えた呪いを口にして。
一つ、獣の頸を並べ。
二つ、四肢をもがれた羽虫を晒し。
不意に締め切ったはずの教室内に、生温い風が吹き込んだ。けれど少女達は気づかず、さらに言葉を紡ぐ。
三つ、欠けた星を地に堕とし。
四つ、呪い巫女の血を撒いて。
五つ、
吹き荒れる風。蝋燭の火が消えて。
「えっ?何、なんで風が」
「やだっ、もぅおうちに帰る!」
「待って!途中で止めないで!中途半端にするとっ!」
「ソウだネェ。自分ラに返ってシまうネェ」
ざらつき、ひび割れた声。少女達のものではなく。
悲鳴をあげて彼女達は逃げようと踠くが、いつのまにか四肢と首に絡みつく何かに阻まれ身動きが取れない。
「アァ、まったク。あまリ喋ラセないデ欲しイものダ。呪イを唄うのモ存外疲レルんだヨゥ」
少女の背後。いつの間にか現れた、人の形をした影がゆらりと揺れ腕を伸ばす。
蝋燭を避け、中心の人形を手にし。
声もなく、影が嗤った気がした。
「喰っテもイイガ、少ぉしオイタが過ぎルから、コノまま返ソうネェ。チゃあント反省するンだヨゥ?」
最早声も出せず、泣く少女達にそれだけを告げ。
一歩影が下がると同時、消えていた蝋燭が再び火を灯した。
「!?アンタ、あいつの」
光源を得て、影の姿を認識した少女が目を見開く。憎しみに顔を歪めて声をあげようとするが、しかし口から漏れ出たのは声にもならない呻き声だけだった。
「ぅぐ…が、ぁ……っ」
「いっ、た…いぃ…!」
「ぁ……ぁあ…」
苦痛に、あるいは恐怖に顔を歪め、その場に崩れ落ち。焦点の合わぬ目が虚空を見つめ、涙を流し続ける。
その様を無感情に眺めつつ、影は手にした人形を飲み込んだ。
「ンっ……まったく。嫉妬だかなんだか知らないが、馬鹿馬鹿しい。こんな歯抜けだらけの呪いなんぞ、旨みの一つもないっていうのに」
呆れるその声は、先程とは異なり少女のそれ。
壊れた少女達をそのままに、踵を返し教室から出て。
一つ伸びをして、その姿は夜の闇に紛れて消えた。
「なんか変な夢を見た気がするんだよねー」
朝。教室に入るなり、挨拶もそこそこに屋上へと半ば引きずられ連れられた。
サボりになってしまうだろうが、話を聞く限りでは今日の一限は自習になるらしいから問題はないだろう。
「夜の教室とか、蝋燭とか…あとは黒いバケモノ?とか」
首を傾げて夢の内容を思い出そうとする彼女に、内心で笑みを浮かべる。
必死になる彼女の表情を眺めるのは、存外愉しいもので。
「…何で笑ってんの?」
隠していたつもりではあったが、表情に出てしまったらしい。ごめんと謝れば、膨れた顔がそっぽを向いた。
「こっちは結構真剣に悩んでるのに。ずっと調子が悪かったのに、今日は絶好調だし。教室入ったら、何か机が変わってるし…おまけに今朝の話とか、さ」
翳りのある笑みを浮かべ、彼女は小さく息を吐く。
まぁ無理もない。
直接見たわけではないが、自分の机に変なものを乗せられて、しかもその周りに気が触れたクラスメイトの三人が倒れていたという話を聞かされれば、彼女であろうといくらかは堪えるのだろう。
「気にしなきゃいいさ。夢は夢。現実は現実。あの三人は馬鹿をやっただけ…気になるなら学校に戻ってきた時に聞けばいいよ」
乱雑に頭を撫で笑ってみせる。
「せっかくの自習なんだ。ありがたく昼寝の時間にさせてもらおうか」
「ちょっと!あたしの話はどうすんの!?」
乱れた髪を直しつつ、翳りながらも強さを失わない瞳が、咎めるようにこちらを射抜く。
それを遮るように手を振って、くるりと背を向け横になった。
「大丈夫大丈夫。いつものように何とかなるって」
文句を言う彼女の声を聞きながら、静かに喉を撫でる。
どこまでも真っ直ぐな眼をしたこの子は、何故か私を親友と呼び慕ってくれる。昨夜飲み込んだ彼女の人形からも、それが嘘偽りない事を示していた。
慕われて悪い気はしないし、何より愉しませてもらっているのだから、それなりの見返りはしようと。
彼女に対する情を見て見ぬふりをして。ただの暇つぶしだと嘯いて。
嘘を吐き続ける行為に、馬鹿馬鹿しいと自嘲した。
20240725 『友情』