sairo

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月のない夜。枯れた桜の洞の前。
音もなく歩み寄る、狩衣姿の大男。その肩には幼子を乗せて。

「…ここか?」
「そうだな。ここだ……間違いない。ここに、いる」

男の問いに答える幼子の表情は硬く。視線は洞から離れる事はない。

「兄貴は入るのは俺でもいいって言ってたが、どうする?姉ちゃん」
「お前で構わない。だが気を抜くな」

幼子の言葉に微かに笑みを浮かべ、男は洞に手を差し入れる。
幼子一人が身を屈めてようやく入れる程の小さな洞の中を、差し入れた手で探るように動かし。

「あった」

その刹那洞がぐにゃりと歪み、形を変え。木を、男と幼子を呑み込んで。

気づけば暗闇の中。
中心に半透明の膜に覆われた何かがある以外には何もない、小さな場所。

「姉ちゃん、これ」
「そうだな。この中だ」

男の肩から降りて膜に触れ、幼子は頷く。膜の内側にいるそれに意識を向ければ、触れていた指先が膜に沈む。

「やっぱ俺じゃ駄目だな。姉ちゃんだけで行けるか?」
「問題ない」

膜に弾かれる男には目もくれず、幼子は己の身を沈めていき。けれどもその表情は何処か険しく、男を一瞥する。

「それより黄の言っていた事が気にかかる。あいつは「逃すな」と言った…私の他に何かがいるはずだ」

幼子にとっては弟であり、男にとっては兄である神の言葉を思い出し、男もまた表情を険しくする。
千里を視る神は、この場所を告げる際に確かにこう言っていた。

卵が割れる時には気をつけろ。逃すな。姉者達を連れ帰ってくれ。

この膜が卵だとするならば、この中には姉しか入れぬ事も理解は出来る。そして膜を破る事も内側に入った姉にしか出来ぬ事も。
どこか歯痒さを感じつつも、男はただ膜が破られるのを待った。


ぴしり、と。
幼子が膜の内側に沈んでから暫く、微かな音を立て膜に亀裂が生じる。
ぴしり、ぴしり、と。
亀裂は広がり、その内側を垣間見せ。

背後で微かに暗闇が揺らぐ気配がして。
その気配に男が振り返るよりも早く。

ぱりん、と。
乾いた音を立て、膜が砕け散った。


「これは…」

膜が破られた事で露わになったものを見、男は息を呑む。

「私と…私の半身だ」

顔を顰め頭を押さえながら、幼子は寄り添い眠る二人の赤子に近づき片方を抱き上げた。

「寒緋、半身を頼む。乱暴にするなよ。陽に焼かれて脆くなっているからな」
「…姉ちゃんは、大丈夫なのか?」
「庇われたからな。この通り、綺麗なもんだ」

腕に抱いた赤子を見せ、幼子は自嘲する。それに複雑な顔をしながらも、もう片方の黒く焦げた赤子に男は手を伸ばし。

だがその手は赤子に触れる事はなく。

「寒緋!」
「さっきのか!」

背後に揺らめいた影が、赤子を抱き上げ距離を取り。その身に赤子を取り込んで。

「待てっ!行くな」

引き止める声は届かず。
影は揺らぎ、姿を消した。




「やはりか」

すべてを視ていた神は、変えられぬ結末に眼を伏せた。

分かってはいた。変えられぬだろう事は。
姉の存在を認識していないあの二人では、彼女を引き止める事は出来ない。特に半身である姉は、認識した事で制限のなくなった記憶に翻弄され、それどころではないだろう。

無駄だと知りながらも逃げた先を視るが、何も視えず。
社から遠く離れる事の許されぬ我が身を恨めしく思った。



ようやく生まれ落ち目覚めた雛は、鳥籠から飛び立ち行方は知れず。
鳥籠に残されたもう一羽の雛は、戻らぬ雛を想って声もなく泣き。
残された雛を慕う大樹は、己の無力さに嘆きながらも雛と共に鳥籠を出て。

飛び立った雛の行方を辿るのだろう。


もう二度と戻らぬとしても。せめて。
生きてくれればと、切に願った。



20240726 『鳥かご』

7/26/2024, 10:38:11 PM