どことなく儚く、哀愁をそそられる俳優だなと思っていた。
そんな彼が、突然旅立ってからあっという間に3年が経った。あの日ほど、同世代での悲報を受けた衝撃は忘れたことはない。
今はまだ未視聴の映画やドラマを観ることを、これから先の少しずつ楽しみにしようと思う。
もしかしたら、彼自身に哀愁が隠れていたからこそどこか惹かれるものがあったのかもしれない、と思いを寄せる。
眠りにつく前に、必ず日記を書くことにしている。
といっても、特に何もない日であっても毎日の食事で何を食べたか、どこへ出かけては何を買ったかというくらいのものだが、年々忘れっぽくなっている私には思い出す時のアイテムとしてなかなか便利である。
日々の生活を過ごす中で、マルチタスクをこなすのに精一杯で色々と考えてしまう事も多いだろう。
頭の中を整理してスッキリするのには、寝る前にノートでジャーナリングするなどして書くことが発散になってお勧めする。
永遠に伝わるものはなんだろう
たとえ昔から伝統はあっても、根元は変わらずとも
時代に合わせて少しずつ意味も価値も形も内容も
変わってゆく。
それは果たして永遠と言えるのだろうか。
地球だって、永遠に有るとは思えない。
何億年か先にはなるだろうが、いずれは宇宙の彼方に散るのかもしれない。
だから私は永遠というのはあまり意味を為さない。
何事にも有限があるからこそ、今を生きることが大事だと思う。
理想郷。
それは保護猫たちとの暮らし。
猫ファーストな家を建てて、猫たちがいかに自由でのびのびと暮らせるように。
その中に、ニンゲンである私が猫たちの暮らしへ、
ニンゲンにしかできないことをお世話しながら
猫たちの仲間に入らせていただくのだ。
それが私の叶えたい夢であり、理想郷である。
もう一つの物語。私が『耳の聞こえる』人生だったら。
コミュニケーション能力に問題はないだろうが、なぜか想像すればするほど…
とてつもなくワガママで、好奇心いっぱいで周りを振り回してそうな子どもになってたんではないだろうか…と思えてくる。
そう考えてみると、産まれてからずっと聴覚情報が不足していたからこそ、臆病な性格で私の安心できるテリトリーがとても狭かった。
幼いながらも、たとえ一人で出掛けても、必ず近所の知ってる場所しか行かなかった。また、暗くなる前に自ら早く帰るようにしていたし、顔見知りの相手であっても話しかけるようなことも一切無かった。
だからか、親からも「遠くへ行かないこと、危険な場所は行かないように、知らない人にはついていかないように」などとは言われた事はあまりなかった。
(覚えていないだけかもしれないが)
私は耳が聞こえないことで、臆病で内向的な子どもだった。
しかし、それこそが自ら危険へ飛び出す心配のない、すなわち幼児期で生き残るための生存戦略でのマインドだったのではないか?
そう考えてみると、ネガティブに取られがちなこの性格も実は悪くはなかったのだなと思う。