親と再び同居をし始めてから、晩ご飯を作るのが私の担当になった。その日から、私の日記帳には何を作ったか献立表も載せてある。
今夜は姉が帰ってきて晩ご飯を共にする予定だったが、職場の感染者が出たため、取り止めになった。
今月に入ってから右肩からしんどく重だるさが続く中、姉のリクエストで、(普段ならば冷凍食品の餃子を出すところを)せっかくタネを一から作ったのに……。
姉は残念だったが、仕方ない。
しかし、久しぶりの手作り餃子だった。我が家では包む手間を簡潔にするため、包まない餃子にしている。
調味料も適当にぶち込んだ割には美味しくできて、家族からも大好評だった。
次に作るとしたら、また半年後くらいになるかもしれない。今夜の日記帳には、手作り餃子について書くことになるだろう。
見た目からは、誰もが『障がい者』だとは思わないだろう。
声を出して話すことができてはいても、相手の「言葉」は聞き取れない
耳が聞こえないというのは確かに”耳“という器官の障がいではあるのだが、実質には『コミュニケーション』の障がいなのだ。
音声のコミュニケーションで、初めて相手が違和感を感じたり、あるいは訝しむ。
外に出るたびに、誰かと会話をしなければならない状況にあるとき、わたしはいつもうんざりする。
昔からずっとこうだった。慣れてはいても、いちいち説明しないといけないのかと時々は疲れてしまう。
もう数年以上経った今でも、悔しさと悲しみで忘れられない思い出がある。
それは免許更新の出来事だ。
手続きや撮影など進み、講習が終わったあとは、新しい免許証を貰う手筈となっているのだが-
ここで一つ、困ったことがある。
名前で呼ばれるのだが、いかんせん自分の苗字ですらハッキリとは聞き取れない。
しかもスピードも早く、忙しなく次から次へと読み上げられている。
そこで、ある年は、途中で読み上げてるスタッフに近付いて説明しようと口を開いた。
しかし、スタッフは厳しい目で、これまたキツい口調で遮断した。
何を言ったかは分からなかったが、無理だと悟った。仕方なく、待った。他の人が受け取っては去り、待合室には誰一人も居なくなるまで、その場に居続けた。
そのスタッフはまたしても怪訝そうに、ただ一人残された私を見つめる。
そして静かに近付いたーそこでようやく、名前と私が耳が聞こえないということを一言のみ伝えた。
年老いた彼はハッとした。バツが悪そうな顔も、もう見たくはなかった。
一枚だけ置かれてある、自分の名前が載ってある免許証をバッと取り、ドカドカとわざと足音を聞かせてその場を後にした。
私は怒っている-悔しくて、悲しくて、そして今までにないほど腹が立っていた。
でも、それをぶつけることはできない。相手がなにか悪いことをしたわけではないのだから。
それでも、今までの中で一番、やるせない気持ちになってどうしようもなかった。
この時の免許証は顔写真すらも見たくはなくて、財布の中に納める時も裏返して見えないようにした。
今は県外に引っ越し、新しい免許証に変わっている。それでもあの時の嫌な思いを忘れたことはなく、免許更新の時は気が進まないのだ。
夏休みは海や川へ、家族や友達などグループで行くことが多いだろう
けれど、海や川は時には刃を向く
自然には勝てない
水は、水の流れがある
それには逆らえないのだ
だから、水の怖さを知る大人達は言う
「海には、不用意には近づくな」
「深いところは入るな」
「子どもから目を離すな」
そう、ほんの一瞬で奪われるから。
自分なら何度も行ってるから大丈夫と思っていない?
それは違う、たまたま「運」が良かっただけ
水は、人間達にとっても生かされるものだけれど
ボーダーを超えるとあっという間に生死の狭間へゆく
だから、皆も気をつけて
川や海は入らないで、眺めるだけが一番良い。
突然だが、小説家の恩田 陸さんをご存知だろうか。
Wikipediaによれば、
《郷愁を誘う情景描写に巧みで「ノスタルジアの魔術師」と称される。
(中略)
ジャンルの枠にとらわれず、SF、ミステリー、冒険小説、ホラー、青春小説、音楽小説など、そしてクロスジャンルの作品と、幅広く執筆している。》とある。
【裏返し】というキーワードでいうと、恩田 陸さんの常野物語シリーズの短編「オセロ・ゲーム」、第三弾の「エンド・ゲーム」のことが思い出された。
特殊な能力を持った「常野」の一族。
その能力は様々にあり、一つの能力がそれぞれの家系へと受け継がれてゆく。
何を裏返すのか?それは受け継がれてきた本人達も実はよく分からないらしい。よって、「あれ」と呼ぶ。
エンド・ゲームの主人公である時子の父親は「あれ」を裏返す能力が強かった。では、【裏返し】たのなら、【裏返され】ることもあるのだろうか?
読み進めていくと、どうなっていくのか展開が読めず、恩田 陸の世界観に引き込まれてしまう。
それがとても面白く、非日常感を味わえる。これ以上の娯楽があるだろうか?
また久しぶりに読みたくなってきた。大人になったからには、全巻まとめ買いしようかと思う。
私の生家は、西の方にあった。
夕方は、毎日のように夕陽を浴びながら帰っていたものだ。茜色の空模様は、一日たりとも同じ風景になることは無い。
移ろい変わる空模様は面白く、飽きない。
そんな風に思えるのも、空気が綺麗に保っていて、空を眺めては感動する心を持つ人間だからなのだろうか。他の動物も、同じように思っているのだろうか?
いつまでも綺麗な空気であり続けて欲しい。
この美しい 空を作ってくれているのは、地球の空気層があってこそだと思う。