わたしは、いつになっても君が一番かわいい。こんなこと言ったら君は機嫌を損ねるかもしれないけど。
君は、小さい頃はわたしよりも背が低くて、少し臆病なところがあったね。でも、今はわたしの身長をとっくに追い越したね。そして、いろんな経験を通して臆病はどこかに飛んでいったね。
君は、周りと比べて自分のできないところを不安に思わずに、自分の道を信じて歩むような性格だ。今の状況だけをみて焦らず、いつも堂々として落ち着いているね。わたしは、君とは正反対な性格だから、君を見習おうと思いながら、君の話をきいているよ。
しっかり者の君だけど、ときどきとてもかわいいところもある。美味しいお菓子を食べたときに、びっくりした顔で「うま!」というよね。君はお世辞は言わずに、こころで思ったことをそのまま伝えているから、喜んだときの反応に、純粋なかわいさがあるんだろうな思う。
これから何十年経っても、わたしにとって一番かわいいのは、きっと君だ。
________cute!__________________________________。
その日に起きた出来事と、そのときに抱いた感情を記録に残す。
感情は、こころに留めたままにしておくと、いつかこころから溢れてしまい、感情のコントロールが難しくなってしまう。
すると、世界が歪んでみえるようになり、自分の思い込みが暴走して止められなくなる。
自分の置かれた環境の酸素が不足して、息苦しくなり、その場に居続けることすら難しくなってしまう。
わたしが実際に、感情をこころに溜め込みすぎたことで、起きたことだ。
記録の一つ目として、わたしは毎日、A6サイズの小さなノート1ページにざっくりと今日起きた出来事とそれに伴う感情を記録することがある。
そうすると、自分のこころを可視化して、客観的にみることができる。
これにより、冷静に考えることができ、ある出来事に対して思ったことが、自分の主観や思い込みかもしれないと、気づくことができる。
感情は、自分のこころの中で完結することができる。完結できるものの中には、完結しない方がいいこともある。
悲しい感情、不安な感情など、1人で抱え込むと辛い感情は、こころの中で完結すると、こころから溢れてしまうときがある。
記録の二つ目として、自分でノートにまとめた感情をもとに、家族や友人など、自分が無理なく話せるだれかに話して、その内容を記録することがある。
話をきいてもらうだけでは解決できないことも多々あるだろう。
また、人の思いは、自分以外の他人が完全に理解できるものではないため、わかってもらえないもどかしさを感じるときが必ずある。
しかし、自分の悲しみや不安をだれかが“理解しようとしてくれる安心感”はとても大きい。
このようにして、だれかに話をきいてもらったときの、話の内容やそのときの自分の思いも記録しておく。
家族や友人以外にも、カウンセラー(臨床心理士など)によるカウンセリングを受けるという方法もある。
日本でのカウンセリングは、うつ病になったときなど、心を病んだタイミングで初めて受けるものというイメージがあるのではないか。
アメリカでは、カウンセリングは精神疾患を治すために受けるだけではなく、心の調子を整えるために気軽に受ける人が多くいるという。
配偶者が自分の話を理解してくれなくて悩んでいる、失恋して悲しいなど、まだうつ病などの精神疾患になる前のタイミングで、カウンセリングに訪れる人が多くいるという。
歯医者で、痛く無いけど少し黒くなっている歯が虫歯かみてもらって、必要なら治療をしてもらうように、こころを定期的にメンテナンスしているといえる。
このように、こころを定期的にメンテナンスすることで、精神疾患を予防するだけでなく、今の自分の感情や人間関係をじっくりと見つめることができる。
これを繰り返していくことで、やがて自分の習慣になり、生き方になっていく。
記録したノートは、自分の身近で大切な存在として、わたしを見守り、自分の進みたい道へ背中を押してくれることだろう。
__________記録_________________________________。
ワンピースをみて、冒険に憧れた。
しかし、いざ自分がルフィたちのような冒険に出るとなると、足がすくむ。冒険にはワクワクすることと同じくらい、危険が待ち受けているからだ。
子どもながらに、衝撃を受けたルフィの言葉がある。
それは、一巻の第二話で、ルフィが海賊王になりワンピースを追い求めることを止められたときに、放った言葉だ。
「おれがなるって決めたんだから その為に戦って死ぬんなら別にいい」
この言葉から、ルフィの生き方がはっきりとわかった。
『海賊王になりワンピースを追い求める』という目的を達成するために、自分の人生の全てをかける覚悟が伝わってきた。
また、『おれがなるって決めたんだから』という部分からは、自分が決めたからには、だれに何と言われようと、どんなに反対されようと、自分の意志を貫く覚悟が伝わってきた。
だれかのためになることをしたい、だれかの役に立ちたいという思いも大切だ。
しかし、手当たり次第にだれかのために行動してしまうと、自分を見失ってしまい、結局だれかのためになることはできなくなってしまうことがある。
まずは、自分の意志を強く持ち、それに伴って起こる可能性のある出来事に覚悟を決めること。
ルフィのように、命をかけることはできないが、自分の目標の達成のためなら、人からどう言われようと、反対されようと、〇〇をしたいという自分の意志を強くもって貫き、その結果起きた自分にとって悪い出来事をも受け入れる覚悟を決める。
このようなことは、海賊船に乗って大海原に出なくても、実践できる。
冒険は強い意志と覚悟がいる。自分の人生の目的に対して、強い意志と覚悟を持つことができているかを、確認してゆっくりじっくり考えたい。
冒険では、嵐にあうこともあるし、きれいな花畑をみれるときもある。
今の状況だけで、「自分はだめな人間だ」と決めつけるのは、あまりにももったいない。
『わたしの人生』という“冒険”は、たった一度きりだけど、その冒険を通して体験する”出来事“は、星の数以上に、無限にある。
今の状況を、いいか悪いか判断するのは、死ぬときでも遅くない。
しかし、死ぬときに人生の目的を達成するための強い意志と覚悟を持っても、それは達成できない。
今は、今の状況がどうかではなくて、人生の目的に向けて一歩ずつ確実に歩こうとすることに集中する。その一歩が目的から遠ざかっても構わない。『一歩ずつ目的に向けて歩くことに集中する』ことが、一番重要なことだ。
ルフィのように強い意志と覚悟を持つことで、目的が達成されても、達成できなくても、この強い意志と覚悟を持ったことは、必ず次のステップへ進む道標となる。
強い意志と覚悟をもとう、そう思った。
________さぁ冒険だ_____________________________。
わたしは優柔不断で、すきな花もたくさんあるが、一輪だけ花を選ぶことに関しては、悩むことなく選ぶことができる。
それは、チューリップだ。
わたしは、小さい頃からチューリップが好きだった。家の小さな庭の花壇には、毎年春になるとチューリップが絵本に出てくる頭巾をつけた小人のように並んで、咲いていた。
わたしは、小さい頃、庭の近くでよく遊んでいた。小さい庭を、元気に走り回っていた。身体が小さいから、庭も広く、チューリップの背丈も高く感じていて、それは小さなテーマパークのようにわくわくする空間だった。
今では、庭を走ることはないし、いつの間にかチューリップの背丈とっくに追い越していた。
それでも、チューリップは、今でもわたしの“こどものこころ”を刺激する。
みているだけで、幸せな気持ちになり、暖かい春の風が吹いているような気がする。
今年は、チューリップの球根を植えた。
色とりどりのチューリップが花壇を彩ったら、寒い冬を通り越し、暖かい春を迎えられたことを実感し、庭を走り回りたくなるほど、うれしく温かい気持ちになるだろう。
__________一輪の花_____________________________。
わたしは、言葉によって自分に呪いをかけたが、のちに言葉は呪いの代わりに、わたしに魔法をかけた。
わたしは、小学校の頃にこころの病気にかかった。
そのときは、自分になにが起きているのかがわからなくて、こんなことを考えたり、行動に移したりしているのは自分だけだと思っていた。
だれかに相談したかったけど、わたしが話すことで、その人までわたしのような苦しい思いをすることが怖かった。
こうしているうちに、言葉を呪いのように感じた。思考するためには、言葉が必要だが、思考の際に言葉はわたしを縛り付けて苦しめた。
家でも学校でも、行動が制限され、周囲から異常と思われる行動を、自分の意思に反してやっていた。睡眠がほとんどとれずに朝を迎えることもあった。
何度も思考停止したくなった。思考がなくなれば、この苦しみから解放される。そう思うようになった。
中学校へ上がり、症状は落ち着いてきた。しかし、思考への恐怖は今日までなくなったときはない。
それでも、暗闇のなかでもがき続けるうちに、わたしは自分のこころを安定させる魔法をみつけることができた。
それは、読書だ。本は、言葉があって、それを紡いで文章となる。いろんな本と出会い、自分の感情を表す言葉を少しずつ学んでいく。そして、頭のなかでぐちゃぐちゃになっていた言葉を、紙とペンを用意して、言葉や文章を書き出していくことで、思考停止せずに、自分と向き合うことができるようなっていった。
本を読み終えた後、本の作者や、本を愛読していた人々に会って、友達のように語り合う想像をするだけで楽しかった。
自分とは全く異なる時代や環境を生きた人は、自分との共通点がないように思っていたけれど、考え方や価値観で共通している部分があると、驚くと同時に、なんだか勇気づけられる気がする。
言葉が、文章が、時代も環境も大きく変化を遂げた現代で、わたしにこの本と、この作者と巡りあわせてくれたんだなと思う。
本は文字が、言葉が、文章が理路整然として、並んでいる。これは、魔法だ。本はそこに置いてあるだけなら、印刷した紙に過ぎないけれど、人が本を開いて読み進めていくことで、新たな発見に瞳を輝かせ、少しずつ小さな魔法がかかっていく。
呪いと魔法は、表裏一体だ。だからこそ、自分の意志を強く持って。自分で自分に呪いをかけないように、自分に小さな魔法をかけ続けられるように。
_____________________________魔法______________。