『静寂に包まれた部屋』
昨晩泊まりに来た友人が帰ってしまうと、先ほどまでの騒がしさが懐かしくなるほどに静かになった。トーストを乗せていた皿とカフェオレを入れていたマグカップを流し場に持っていくと食器がカタカタと鳴る。スポンジで洗剤を泡立てる音や流し場に水が流れていく音、そして蛇口から水滴の一粒が落ちる音まで聞こえてしまう。
テーブルに置いていたスマートフォンに手を伸ばすと友人から世話になったとメッセージが入っていた。昨晩交わした酒のことや料理のこと、思い出せなかった昔話を今思い出したことなど、楽しい時間の反芻がそこにはあった。静かな部屋に思い出し笑いが漏れ出でる。ダイニングの椅子をギシリと鳴らして、返信を打つことにした。
『別れ際に』
魔王を倒すために組まれたパーティは宿願を果たして魔王を討ち取り、世界を蝕んでいた瘴気は跡形も無く消え去って真の平和が訪れた。仲間たちの心は晴れやかなものであったけれど、魔王を討てと命じた王のおわす城への足取りはみな僅かに重かったように思う。城にたどり着けば長かった旅は終わり、それぞれの生活ヘ帰ることになるからだ。だから転移魔法をわざわざ一つ前の村に設定し、ほんの少しの時間稼ぎのために徒歩で城へと向かっている。
強くなるために日々魔物たちを打ち倒したことや、武器防具を揃えるための金策に走ったこと、新たに覚えた魔法を実戦で使えるようになって大喜びしたことなどの些細な昔話に花が咲いていたが、景色の中に城門が見えてきたときにふとみんな静かになった。
「もう一回最初から冒険したいぐらいだな」
ぽろりとこぼした言葉には各々真反対の意見が返ってきた。
「いや、今回は大冒険過ぎた」
「二度とごめんだわ」
「何回死にかけたと思ってるんですか……!」
人並み外れた勇者はやっぱりちょっとズレてるな、と他3人はわだかまってこちらを見てはひそひそと話し始めた。自分のことは至って普通だと思っているのだけれど、そんなにだろうか。仲間はずれにしょんぼりしていると、3人の忍び笑いが聞こえてから肩に重みがかかった。
「冒険はしばらくこりごりだが、酒と飯ならいつでも付き合うぜ」
「じゃあ私はショッピング。あなた荷物持ちね」
「わ、私は、あなたとならなんでも……!」
城門手前で立ち止まっていた魔王討伐パーティはやがてゆっくりと解散に向けて歩き出す。胸に一抹残る寂しさは寂しさのままに、これから先のことを想えるという輝かしさにそのときようやく気がついた。
『通り雨』
幼なじみと共に電車を降りて駅から出ると夕暮れの迫る地元の街には雨がしとしとと降っていた。
「傘、持ってる?」
「持ってない。持ってる?」
「持ってないから聞いたんだよ」
雨か〜と見たままを口に出して雨雲の広がる空を眺める男子二人。構内のコンビニで傘を買う人たちを見た幼なじみは俺らも買う?と尋ねてきた。
「えー、相合傘になるじゃん」
「シェアする前提で言ってくるじゃん?」
言われてみて2本買う頭が抜けていたことにはたと気づいた。幼なじみはなぜか頷いてコンビニへと向かうと傘を1本だけ買って店を出てきた。
「リクエストにお応えしてあげよう」
相合傘がしたかったわけではなかったはずなのにあれよあれよと雨の中を男子二人の相合傘で歩みだすこととなった。
「ごらん、雨がふたりを祝福しているよ」
「きもちわるっ」
自分よりも背の高い幼なじみが傘を手に笑う。ふと今の自分の立ち位置にいずれは彼の恋人が並んで立つ日が来るのかもしれない、と想像をして複雑な気持ちになった。
「じゃ、また来週」
「うん。傘ありがと」
「相合傘またやろうね」
「いや、いいし!」
それぞれの家の方向へ別れる頃には雨は上がっていた。ひとりになって家路を歩む間になぜ複雑な気持ちになったのだろうとあれこれ考えてみたけれど、確たる答えは出ないまま家にたどり着いてしまった。
『秋🍁』
夕闇迫る我が家の掃き出し窓を開けると庭先から秋の虫が鳴いているのが聞こえてくる。夏のクソ暑い時期に炭を熾してバーベキューに興じるような元気はもうすでにないけれど、少し肌寒い宵の頃に炭を熾して七輪でサンマなどを焼く食欲はまだ旺盛だ。
軍手と火箸を駆使してじっくりとサンマやきのこ、海産物などを焼いては食べていると、匂いにつられた近所のネコが姿を現した。ふてぶてしい面構えのドラネコは皿の上のサンマの残り物を狙っているようだが塩気が多くておすすめできない。となると残るはネコの食べそうにないきのこ類か、とっておきに残しておいたホタテの二択。
「きのこ、食べるか?」
ネコは押し黙ってこちらを見ている。
「ホタテ、食べるか……?」
ネコが嗄れた声でニ゛ャーと鳴いたので、とっておきのホタテは献上されることになってしまった。
『窓から見える景色』
王城の窓から見える景色はいつだって退屈だった。剣の稽古も魔法の勉強も極め尽くし、城にある書物の形をしているものはすべて読み尽くした。手を付けられていないものといえば私が成長して王権を譲られ、国を治めるのみとなる。しかし父も母もまだまだピンピンしているので当分先の話であろう。
「なにか大事件でも起こらないだろうか」
窓の外を頬杖ついて眺めていたとき、ぼそりとこぼした言葉を聞き届けたかのように空の果てに黒い染みが現れた。黒雲渦巻き、雷鳴轟いてなにやら禍々しい気配をひしひしと感じる。
「……これは、大事件だ!」
急ぎ軽装に着替え手近にあった剣を掴み、まだ何も知らぬ様子の父の元へと馳せ参じる。
「ちょっと偵察に行ってきます!」
街へ行くときの常套句なので父は今日も行先は同じだと思っていることだろう。気を付けるのだぞ、とのんきな言葉を背にして城門を抜け、強化魔法をこれでもかと重ね掛けする。門兵たちはただならぬ様子に声を掛けようとしていたが、そのときにはもう風より速く走り出していた。