『見つめられると』
視線には力がある。見る側は見ているものに影響され、見られる側は視線から力を得て強大になっていく。
よく行くショッピングモールの一角にアジア雑貨のポップアップストアができていた。紋様の刻まれた銀細工にビーズのアクセサリーや手の込んだ民芸品、独特な染め物の服なんかも並んでいて、そこそこ人だかりができている。そんな中に異彩を放っていたのは大きな仮面やキモかわいい人形たち。吸い寄せられるように近づくと目の部分が空洞になった仮面と目が合った。獣毛て飾られた装飾や木彫りの細工、仮面に施されたペイントをしげしげと見ているといつまでも見ていられるような気持ちになってくる。
「オキャクサン」
パン、と目の前で手を叩かれて我に帰ると店主と思しき外国人が立っていた。
「けっこうな時間見てたけど、あんまり見すぎないほうがイイヨ」
どういうことかとスマートフォンで時刻を見ると半時間ほどが経っていた。その間の記憶が一切ないことに気付いて背筋が冷える。
「この仮面、なんで置いてるんですか」
「一応売れてほしいから値札付けてるんだけど、誰も買わないんだよネ」
店主さんは複雑な表情でため息をつく。
「もしかしたら、いろんなとこから視線を集めるために僕に付いてきてるのかもしれないネ」
背筋がさらに冷えた気がして何も買わないまま急いでその場を去った。振り返らずに歩く途中に一点を見つめる人を何人か見かけた。その人たちは一様にあの店の方向を見つめていた。
『My Heart』
人が記憶する場所の大部分は脳らしいが、心臓にもその領域があるそうだ。私の心臓は幼い頃に移植されたものなので、その一説をこの身を以て実感している。
幼い頃に亡くなった元の心臓の持ち主は入院していた頃に好きな子がいたらしい。恋い焦がれるこの感情は私のものではないけれど、生かされている身なので叶えられるものは叶えてあげたい。
病院で見聞きしたことを頼りにたどり着いたのはとある地域の墓地だった。買ってきた花を手向けて手を合わせると、知らず涙がこぼれてくる。どこからかありがとうと空耳が聞こえてきて、以来ほのかな感情が表に出ることはなくなった。
私の心臓は今日も鼓動を打っている。
『ないものねだり』
「花粉のない世界に生まれたかった」
早朝の玄関先。マスクの下でひっそりと鼻水を垂らしながら思っていたことが口に出た。山沿いに暮らしているので花粉の出どころである針葉樹は目と鼻の先にそれこそ山ほどあり、今は涙と鼻水が止め処無く出てくる季節の真っ只中だ。どうしてスギやヒノキはあるのだろう。どうして今日も外へ出かけないといけないのだろう。
生まれる前から山に植わっているスギやヒノキに罪はないし、勤めている会社は在宅勤務に対応していないのでこちらが出向かないといけないのは重々わかっているのだが、毎年一言一句同じことを思っている。
『好きじゃないのに』
バレンタインデーに余ったチョコをいつもいつもちょっかい出してくる男子に渡した。
「これあげるから、ウザいことしてくるのやめてよね」
相手の反応を特に気にせずそのまま帰り、次の日には他の子の恋バナで盛り上がったのでいつものちょっかいが無くなっていたことにも気づかなかった。
そしてホワイトデーの朝。友チョコ入りの紙袋を手に下げて学校へと向かう途中にいつもちょっかいを出していた男子が立っているのに気付いた。
「おはよう。早いね」
住んでる地域はこの辺じゃなかったはずだけどな、と思っているとずい、と薄いブルーの紙袋を突き出される。
「これ、お返し」
受け取ると彼は何も言わずに学校の方向へと猛然と走り出していった。道の向こうに後ろ姿が見えなくなってから、家族以外から初めてお返しというものをもらったことに気がつく。
「しかも手作り……?」
かわいい紙袋から覗いているのはどうやら市販のものではない。今までなんとも思っていなかった彼のことが急に気になり始めた。
『ところにより雨』
「雨を降らせる魔法を習ってきた」
「まじで」
本日は晴天なり。しばらく春らしい陽気が続くでしょうという天気予報の通り、洗濯物がよく乾く日が続いていた。最近の魔法教室ではいろんなことを教えてくれるんだね、などとだべりながら、住宅街だと迷惑がかかりそうなので河川敷へと自転車で向かう。菜の花の黄色が揺れる川沿いには春休みに入ったこどもたち何人かが思い思いに遊んでいた。
「それでは張り切ってどうぞ」
「しゃっす」
雨とひとくちに言ってもいろんなものがある。にわか雨に土砂降りもあれば霧雨もゲリラ豪雨もある。どんな雨が降るのだろうと思いながら草地に佇んで習いたての魔法が発動する様子を眺めていると、ぽつり、またぽつりと顔にしずくが落ちてきた。その間およそ2秒ほど。
「あっした!」
「えっ、終わり?」
空はよく晴れたまま。けれど半径1メートルほどの範囲にはじょうろで水を垂らした程度に地面が湿っていたのだった。
「これ以上やると命が危ういから」
「おなかが減る程度でしょ」
けれどいいものを見させていただいた。名も知らぬ草花たちも心なしか喜んでいたように思う。