『伝えたい』
菓子パンの包装をびりりと破いていざかぶりつこうとするとどこからか視線を感じる。いつの間にか近くに寄ってきた飼い犬がキラキラした目をこちらに向けていた。人が食べているものを食べてはいけないというしつけはちゃんとしているので奪い取られるようなことは無いけれど、どうにも落ち着かない。ひとくち食べふたくち食べて様子を伺うと真っ直ぐな期待のまなざしと視線が合ってしまった。最近体重が増えがちではないかとか、昨日もおやつ貰ってたよな、とかいろいろと考えは過ぎるのだが、片手に菓子パンを持ったまま足は犬のおやつ置き場へと向かってしまう。犬はすかさず脇に付いてきた。
『この場所で』 (ストリートファイター6)
わたしとしてはいつもの料理屋さんでいつものメニューを食べに来ているだけなのだけど、
「よお、まーたおんなじモン食ってるのか?」
野菜もちゃんと食えよななどと声をかけてくる人に会うようにもなってしまった。知り合うきっかけはけっこう前だけど、話すようになったのはつい最近。あの人はちょっと離れた席でいつもの!と元気よく注文している。野菜入ってるの?と少し気になってしまう。
だいたいいつもお酒の匂いを漂わせているあの人からはほんのりと姐姐が使ってるようなおしろいの香りがする。今度お化粧教えてって言ってみようかしら。約束をしなくても、この場所でならまた会えるだろう。
『誰もがみんな』
思春期特有の感受性豊かな頃に幻覚のようなものが見えていた時期があった。人をぼんやり見ていると何かがはみ出るように現れるのだ。見えたままをその人に尋ねると驚いたり怯えたり、あるいは怒り出すこともあった。人によって違う人に根ざした何かは、その人だけが抱えた秘密や知られたくない過去なのかもしれない。そう思い当たってからは気軽に尋ねるのを止めた。
学生生活が一段落する頃には見えることも無くなってしまったが、たまにあの頃を懐かしんだりもする。
『花束』
私の父は花屋をやっていた。花が繋ぐ縁というのはいろいろとあるのだろうが、一番身近なものはこの店先で父と母が出会い、私が生まれたことだろう。そんな父が開いた花屋を今は娘の私が切り盛りしている。
「バラの花を100本もらいたい!」
開店すぐに勢いのあるお客様が入ってきた。バラの花100本というのは花屋をやっているとたまに遭遇する注文だ。だいたいは冗談や、やっぱナシでとなる類のものなのだが、ひとまず笑顔で対応する。
「お客様、即日ご入用でしょうか?」
「ああ!今すぐに頼む!今夜に間に合わせたい!」
内心舌打ちするが努めて笑顔で対応する。
「申し訳ありませんがお客様、只今この店に100本のバラのご用意は御座いません。本日中となりますとここよりも大きめの花屋を当たっていただくほうが……」
「いや!僕はこの店がいいんだ!なんとかならないだろうか!」
内心舌打ちが止まらない。人の話や都合を聞けない人間だろうか。
「失礼ですがお客様、私の店でなければならない理由をお伺いしても?」
「それはだな!かつて僕の父がこの店で同じようにバラを買ったことがあるからだ!」
そういえば、と脳裏に浮かぶ父が100本のバラを注文した客がいた、と話していた事があった。父は客の勢いに断りきれず、同業の花屋や卸業者に電話を掛けまくり、車をほうぼうへ走らせて花を調達したのだと疲れた様子で言っていた。
親子の遺伝というやつがあるのなら、間違いなくその時の客の子が目の前のこいつだろう。そして、親子の遺伝というやつが私にも当て嵌まるのなら注文を受けて立つことになるのだが、正直嫌だった。
「……お客様、お時間なかなかに掛かりますし、あとそれからお値段もけっこう張りますが、いかがなさいますか?」
「かまわない!よろしく頼む!」
正直嫌だったが、お客様に力強く注文されてしまったので受けて立たないわけに行かなくなった。父の気持ちが今ならとても良くわかる。これも親子の遺伝というやつか。
そうして電話を掛けまくり、車をほうぼうへ走らせてどうにかバラの花100本の花束が完成した。花代とラッピング代と手間賃ともろもろを乗せて請求した代金に、日が傾いた頃にやって来たお客様はさして驚く様子も見せずに気前よく払ってくれた。
「ありがとう!よくやってくれた!これで僕も胸を張ってプロポーズに臨めるよ!」
腕いっぱいの花束を嬉しそうに抱えてお客様は颯爽と店を後にする。いい笑顔だなと疲れた頭で思ってしまったので少し多めに見積もった代金に罪悪感が湧いてきたが、疲れたものは疲れた。後片付けにのろのろと取り掛かるうちに閉店になり、しばらくしてから先ほどのお客様が入ってきた。
「プロポーズを断られてしまった。しかもディナーが始まる前から」
100本のバラの花束を抱えて、とても落ち込んだ様子で。
「プロポーズが上手くいかなかったから、うちに恨み言を言いに来たんですか?」
疲れていたので接客態度を忘れていたが、閉店時間過ぎたしなと思い直した。
「いいや、逆さ!感謝と、謝罪を伝えに来たんだ」
目の前に100本のバラの花束が差し出される。
「無茶な注文をしてしまったのにやり遂げてくれてありがとう。貴女には迷惑をかけてしまったのに、成果を上げることができなくてすまない」
だから詫びの印として受け取ってほしい、とお客様は恭しく跪いて言った。花屋である以上、花束を捨てることはできない。それに罪悪感も存在を増してきた。だから花束を受け取って作業台の上に置き、跪いたままのお客様を立たせて言う。
「近くにいい居酒屋があるんで、飲みに行きましょう。ちょうど臨時収入も入ったので」
どういうことだいと言うお客様をいいからいいからと言いくるめて店を後にする。失恋の愚痴ぐらいは聞いてやろうという気持ちでの行動だったのだが、それが後々花屋へ婿入りさせることへと繋がっていくとはこの時点では誰にもわからなかった。
花が繋ぐ縁というのはいろいろなものがある。
『スマイル』
彼女のことを見ていると誰を想っているのかよくわかる。私や友達とおしゃべりしているときは楽しそうだし苦手な先生が傍を通ると眉間に少ししわが寄る。隣のクラスから彼女の幼なじみがやってくると他の人では見られないような笑顔になる。お節介かとは思ったけれど彼とは付き合わないのかと尋ねてみた。
「あのひと、好きな人がいるんだよね」
彼の想い人はピアノの先生らしい。小さな頃から先生と結婚すると事あるごとに言っていて、それから十年近くが経っても想いが変わっていないのだという。
「わたしに勇気が無いから、振られ待ちなんだ」
彼女の寂しげな笑顔に十年近い想いを感じた。