『花束』
私の父は花屋をやっていた。花が繋ぐ縁というのはいろいろとあるのだろうが、一番身近なものはこの店先で父と母が出会い、私が生まれたことだろう。そんな父が開いた花屋を今は娘の私が切り盛りしている。
「バラの花を100本もらいたい!」
開店すぐに勢いのあるお客様が入ってきた。バラの花100本というのは花屋をやっているとたまに遭遇する注文だ。だいたいは冗談や、やっぱナシでとなる類のものなのだが、ひとまず笑顔で対応する。
「お客様、即日ご入用でしょうか?」
「ああ!今すぐに頼む!今夜に間に合わせたい!」
内心舌打ちするが努めて笑顔で対応する。
「申し訳ありませんがお客様、只今この店に100本のバラのご用意は御座いません。本日中となりますとここよりも大きめの花屋を当たっていただくほうが……」
「いや!僕はこの店がいいんだ!なんとかならないだろうか!」
内心舌打ちが止まらない。人の話や都合を聞けない人間だろうか。
「失礼ですがお客様、私の店でなければならない理由をお伺いしても?」
「それはだな!かつて僕の父がこの店で同じようにバラを買ったことがあるからだ!」
そういえば、と脳裏に浮かぶ父が100本のバラを注文した客がいた、と話していた事があった。父は客の勢いに断りきれず、同業の花屋や卸業者に電話を掛けまくり、車をほうぼうへ走らせて花を調達したのだと疲れた様子で言っていた。
親子の遺伝というやつがあるのなら、間違いなくその時の客の子が目の前のこいつだろう。そして、親子の遺伝というやつが私にも当て嵌まるのなら注文を受けて立つことになるのだが、正直嫌だった。
「……お客様、お時間なかなかに掛かりますし、あとそれからお値段もけっこう張りますが、いかがなさいますか?」
「かまわない!よろしく頼む!」
正直嫌だったが、お客様に力強く注文されてしまったので受けて立たないわけに行かなくなった。父の気持ちが今ならとても良くわかる。これも親子の遺伝というやつか。
そうして電話を掛けまくり、車をほうぼうへ走らせてどうにかバラの花100本の花束が完成した。花代とラッピング代と手間賃ともろもろを乗せて請求した代金に、日が傾いた頃にやって来たお客様はさして驚く様子も見せずに気前よく払ってくれた。
「ありがとう!よくやってくれた!これで僕も胸を張ってプロポーズに臨めるよ!」
腕いっぱいの花束を嬉しそうに抱えてお客様は颯爽と店を後にする。いい笑顔だなと疲れた頭で思ってしまったので少し多めに見積もった代金に罪悪感が湧いてきたが、疲れたものは疲れた。後片付けにのろのろと取り掛かるうちに閉店になり、しばらくしてから先ほどのお客様が入ってきた。
「プロポーズを断られてしまった。しかもディナーが始まる前から」
100本のバラの花束を抱えて、とても落ち込んだ様子で。
「プロポーズが上手くいかなかったから、うちに恨み言を言いに来たんですか?」
疲れていたので接客態度を忘れていたが、閉店時間過ぎたしなと思い直した。
「いいや、逆さ!感謝と、謝罪を伝えに来たんだ」
目の前に100本のバラの花束が差し出される。
「無茶な注文をしてしまったのにやり遂げてくれてありがとう。貴女には迷惑をかけてしまったのに、成果を上げることができなくてすまない」
だから詫びの印として受け取ってほしい、とお客様は恭しく跪いて言った。花屋である以上、花束を捨てることはできない。それに罪悪感も存在を増してきた。だから花束を受け取って作業台の上に置き、跪いたままのお客様を立たせて言う。
「近くにいい居酒屋があるんで、飲みに行きましょう。ちょうど臨時収入も入ったので」
どういうことだいと言うお客様をいいからいいからと言いくるめて店を後にする。失恋の愚痴ぐらいは聞いてやろうという気持ちでの行動だったのだが、それが後々花屋へ婿入りさせることへと繋がっていくとはこの時点では誰にもわからなかった。
花が繋ぐ縁というのはいろいろなものがある。
2/10/2024, 12:53:17 AM