引き止めるには、少し遅かった。
もう決めたんだとハッキリと君は言った。
その表情は寂しさを微かに含んでいるように見えたが、ただ私がそう思っていたいだけかもしれないと思った。
駅のホームには私たちしかいない。
3月の風はまだ冷気を含んだまま、あっさり遠くへ去っていく。
こうして帰るのも、あと数回だけ。
利用者のほとんどいないこの駅は、私たちの通学のためだけに残されているらしい。
私は島に残るけど、これから実家の酒屋を継ぐから、もうこの電車は使わない。
利用者がゼロになった駅はなくなって、学校も廃校になって、君は私の前からいなくなって。
私は君と過ごした12年間の思い出をしがんで生きる。
行ってらっしゃいと私は言った。
行かないでと思いながら。
未来のことなんて本当は考えたくもないのだけれど、そうすると、きちんと先を見ている人達に遅れちゃうから仕方がない。
スマホのカレンダーアプリに入力した予定を眺めて、私はため息をついた。バイトと大学、車校と資格の勉強。つまらない予定ほど時間を多く占有する。9月に一つだけ入っていた楽しみな予定は宛が外れてキャンセルとなった。
満員電車の中にいるような閉塞感にウンザリして外に出た。全部サボってしまおうと思った。キャンパスを貫通して、ズンズン歩く。スニーカーは最近買い換えたから、まだ感触が硬い。
とにかく行ったことのない場所に行きたかった。キャンパスからしばらく行くと、久佐根山がある。長めの石段を登れば広場があって、その先に小さい神社があることは知っている。
御参りをするつもりもないけれど、何となく行ってみようと思った。
自分の体力のなさを勘定に入れてなかったことを後悔しながら登り、広場に着いた頃にはヘトヘトだった。肉体的な疲労が思考を占有して、少しマシな気分になった。
折角来たし、お賽銭くらい入れておこうかな。そう思って、自分が何も持ってきていないことに気づく。
そういえば鍵すらかけたか怪しいな。盗まれるほどのものもないし、いいか。賽銭がないくらいで災いを寄越すほど神様の度量も狭くはないだろう。
チャイムが鳴れば、席に着くのが当たり前だが、その日は違った。生徒のみならず、先生も一様に廊下の窓から身を乗り出していた。
ボディが砕けてネックのへし折れたテレキャスターと2人きりで過ごすのも、そろそろ限界だった。
金にならない言葉で埋まったルーズリーフを握り潰して、思い切り投げようとしたけれど、軽すぎて勢いも出ないから、壁に届きもせずに情けなく落ちただけだった。
卒業までの数ヶ月くらいは、一緒に過ごせるものだと思っていた。
言いたいことを散々言って、勝ち逃げみたいにこの世から消えた君に、私はさよならもまだ言えていない。
君のおかげで私へのいじめはなくなったけど、代わりに君を失うと知っていたら、こんなことは願わなかった。
望んだ世界に君がいないなら、地獄の底でも君といた方が私は幸せだったけれど、君はそう思ってくれなかったんだろう。
伝えていないから知らないよね。
世界は誰もが正気を失わないことを前提に動いている。
それは高リスクで、ある種狂ったシステムだと思うけど、毎度狂人を想定してシステムを作るのは非効率極まりないし、仕方ない。
同級生の家を知るのは簡単で、爆弾を作るのは簡単で、スイッチを押すのも簡単だ。
悲鳴を含んだ怒号に合わせて人波がうねる。
機能的で正常でムカつくからもう一発。
何人合わせてもまだ足りない。
失った大きさにつりあわない。
私は多分君より深いところの地獄に行くから、待っててとは言えないけど。
爆音くらいは届いてくれたら、なんて高望みしすぎだろうか。