嘘は敢えてつくようなものでも、ましてや必死に考えてまでつくようなものではない。
仮面夫婦の私たちにとっては、毎日が嘘でできている。
ハッピーエンドの書き方
叩いていたキーボードに額をぶつけて目が覚めた。
前方の時計を見上げると、既に朝の4時を指していた。
パソコンの画面を睨みつけて、物語を呪う。
何度書き直しても、ハッピーエンドにならない物語。
「これじゃダメです」
記憶の中の三橋さんが言う。
三橋さんは目鼻立ちのハッキリした美形で口調も丁寧、姿勢も常にバチッと決まった敏腕編集者なのだが、締切が迫ってくると、その眼差しは冷たく尖る。
今日もメッタ刺しを食らってきたところだ。
「やる気あんのけ、ワレェ!」
記憶の中の三橋さんは両足をテーブルの上で組んで、下にズラしたサングラスの上部からこちらを睨む。
両頬に入れたドーベルマンのタトゥーもこちらを睨んでいる。
まるでケルベロスだ。
力士の腕くらいあるぶっとい葉巻を、手元のブランデーで消化しながら、三橋さんはテーブルの原稿を蹴飛ばした。
「ええかおんどれ!明日中や!明日中に原稿耳揃えて持って来い!できんようやったら、分かっとんな?おどれの親族7代前まで遡って、全ての内臓メルカリで叩き売りしたるけえの!?」
「申し訳ありません。明日には必ず、必ず完成させますので」
ファミレスの床に五体を投地し、知らない子どもが零したメロンソーダを舐めながら、僕が言う。
三橋さんは小さく鼻を鳴らし、僕の側頭部にヒールで蹴りをくれて、去っていった。
僕は間抜けに鳴り響いた入店音を聞きながら、書くしかないと決意を固めた。
それが昨日の昼過ぎの出来事。
現在は朝の4時なので、僕に残された時間は残り20時間。
くっそ、今のうたた寝で2時間ロスした。
生命を削るエナジードリンク・ドーピングと、身に纏わる枷を全て外すアンリミテッド・ネイキッドの併用で、どうにか物語は結末へ向けて爆走し、残すはラストシーンのみとなった。
だけれど、結末だけがさっきから動かない。
ハッピーエンドに向かわせようとする僕の手を払い除け、物語はバッドエンドに向かっていく。
初めて物語を紡いだのは、中二の冬。
病的な清潔さを誇る白いシーツが、暴力的に見える。
ベッドに座る妹の命を繋ぐための管に縛られた気分のまま、丸椅子のキャスターを意味もなく前後に転がす。
必死に頭を回転させるが、言葉は出てこない。
妹は本を読んでいた。
まだ小学校に通えていない彼女が退屈しないようにと、沢山親が本を買ってきた。
ほとんどは絵本や児童書。
その中の「マッチ売りの少女」を胸に抱えて、彼女は泣いていた。
そうだ現実だけには飽き足らず、童話すらハッピーエンドとは限らないのだ。
だけれど、あんまり酷ではないか。
こんなに容赦のない現実に、既に散々苦しめられている彼女にこんな結末は。
僕は口を開いたが、喉の奥からは何も出てこない。
僕は彼女に何をしてあげられる?
「由香、聞いてよ。その話、続きがあるんだ」
思いつきにしても、バカバカしいものだった。
まさか続きを捏造して、無理やりハッピーエンドを作ろうだなんて。
だけど、由香はキョトンとした顔付きになって、落涙は落ち着いた。
すかさず、僕は話を続ける。
引きつけるように、目の前で起こったことを語るように。
まずは幸せな朝の風景。
暖かで満ち足りた家庭。
柔らかいベッドに眠る少女を優しく揺さぶる。
目を覚ましたのは、マッチ売りの少女。
由香の表情が驚きに変わる。
僕は堂々とした表情で続きを語る。
マッチ売りの少女は親切な家庭に拾われた。
ずっと娘が欲しかったのだと、優しい笑顔で夫婦は語る。
夫婦と少女のありふれた日々。
何かが起こるわけではないけど、抱きしめるような日々を描いた。
マッチ売りの少女は成長して、同じ職場の同僚と結婚する。
そうして、暖かい家庭を築き、何でもない生活を送る。
あの日マッチの力で見たほど豪華ではないけれど、それでももっと価値のある生活を。
時代は変わり、火を灯す時はライターを使うようになっていた。
マッチはなくても大丈夫。
ここは愛しいもので溢れてる。
ここまで話して、由香を見た。
涙はもうそこにはなかった。
由香は僕の方をじっと見て、言った。
「それから、それからどうなるの?」
「ここから先は……まだ知らないや」
頭をフル回転させてここまで話を紡いだけど、それ以上は何も思いつかなくなって、僕は苦笑いで誤魔化す
「えー、続き気になるのに」
膨れる妹は残念そうだった。
僕は読み終えたであろう絵本の山を指さす。
「あ、でもその本の続きなら知ってるかもな」
「え?どれ?」
「人魚姫」
「これも続きあるの?」
「そこにあるお話は全部続きがあるんだ。もちろん由香がまだ読んでいない話も」
「聞きたい!」
「もちろん、いくらでも話してあげる。ただ、今日はもう時間みたいだから、続きはまた明日」
「えー!」
不服そうな由香の頭にポンと触れる。
ゼリーを食べ追えるのを待って、僕は家に帰った。
その日から、僕はあらゆる童話の続きを書くことに夢中になった。
授業中だろうと、家だろうと構わず書いた。
バッドエンドも説教めいた話も、いらない。
全部僕がハッピーエンドにしてやるから。
そうして、僕が殴り書いたノートを病室に持っていく。
そこには父が待っていて、由香はベッドにいなかった。
バサリとノートが床に落ちた。
それから、僕は学校も休んで、由香との思い出を書いていた。
一緒に遊んだこと、誕生日のこと、初めてお兄ちゃんと呼ばれたこと。
そしていつしか、過ごせなかった未来を書くようになった。
ひたすら書いていた。
物語の中の妹はもうおばあちゃんになっていた。
変わらず幸せな様子だったけど、この先を考えて、妹の話が書けなくなった。
親にはほとんど見放されていた。
最低限の会話と食事の提供。
それだけでもありがたかった。
物語を応募したら、賞がもらえた。
編集者を名乗る美人が引っ越したアパートに来て、本を出版できることになった。
ドラゴンのいる世界を、兄妹が冒険する話だった。
世界は未知のものに溢れており、もちろん困難も沢山あるけれど、二人で乗り越えていく。
そして、とびきりのハッピーエンドを迎えて、連載は終わった。
色んな人に読んでもらえて、嬉しかった。
そうして、次の連載が始まった。
連載は5年続き、迎えるクライマックス。
僕は一向に書けなくなった。
何度も刊行を延ばして、1年が経った。
キーボードを叩く度震える手を見て、自分が物語の終了を恐れているのだと気がついた。
だけど、いつまでもこうしているわけにはいかない。
終わらせないと、いけないんだ。
バチバチとキーボードを殴る指先に熱い感触が落ちた。
嗚咽を漏らしながら、ひたすら書く。
書かないと、書かないと、書かないと、書かないと。
生活が、お金が、評価が、存在価値が。
マッチの火が消えるように、フッと。
妹がいなくなったように、フッと。
消えてしまうような気がしていた。
だけど、いくら書いても、物語はハッピーエンドにならない。
これじゃあ、ダメだ。
見放される。
見放されて、路上に捨てられて、僕は、僕は。
ブツリとテレビが消えるように、意識が消えた。
そこは昔の家だった。
誰かが名前を呼んでいる。
見れば、妹がそこにいた。
僕の中学校の制服を着ている。
しばらく僕が唖然としていると、妹は僕の頭に触れてドアを出ていった。
声をかけようとするが、言葉は出ない。
追いかけようとするが、体は動かない。
ただ掌の感触だけが残っていた。
目覚めると頬にキーボードが押し付けられていた。
時計を見ると11時になっていた。
頭を降って意識を戻す。
頭はかなりスッキリしていた。
大事なものを取り戻したような感触があった。
僕は改めてキーボードに向かう。
キーボードを殴っていた数刻前の自分を見て、思う。
ハッピーエンドの書き方は、そうじゃない。
柔らかく頭を撫でるように、優しく抱きしめるように。
願いを込めて書くんだ。
迷いながら、不器用に進んでいく物語を眺めて、僕は息を吸った。
手はもう震えていなかった。
彼は交通事故で死んだ。
ネットニュースによれば、即死だったらしい。
あんなに苦労して、殺す計画を立てたのがバカみたいだ。
そのために仕事も辞めて、恋人と別れて、全てを捨てて挑んだのに。
ちょうど共犯者からコールがあった。
はしゃぐ声が、ニュースを見たかと問う。
熱っぽい喋りが一方的に響いていたけど、ほとんど頭には入っていなかった。
聞いていられなくなって、電話を切った。
あなたにはこの先があるかもしれないけれど、私にはもう何もないんだ。
大事なものは全て捨てて、空いたスペースに憎しみをつぎ込んだ。
その行き先が消えた今、私は宛のない怒りだけが詰まった肉袋だ。
意識が覚束ないままでふらふらと街を歩く。
どこにも行く宛てがない。
どこにいるのかもよく分からなくなってきた。
ブレーキの音が他人事のように聞こえた。
twitterとnoteで140字小説とか書いてます!
フォローよろしく!
文芸・カメラ部と表札のある部室には弾かれ者が2人。
1人は人と関わらなさすぎたが故に。
1人は人と関わりすぎたが故に。
人に弾かれた2人は求めるように居場所を作った。
2人はいつも背を向けたまま、部室にいた。
お前といることが本意ではないと主張するかのように。
部室には明確な境界線があり、2人ともそれを超えることはほとんどない。
部屋の中心とドアの中心を結んで2分割した空間を、各々が好きに使っていた。
境界線が破れたのは、4月のこと。
2人はいつものとおり背中を向けて、各々の活動に没頭していた。
すると、ドアからノックの音。
返事をするとドアが開く。
そこには2人。
生徒会長と、その横に小柄な女の子。
ふんぞり返るようにして立っていた。
「宮永、その子は?」
「俺の妹」
会長が言うと、女の子は境界線を跨ぐように1歩前に出た。
「宮永真琴です!」
びしびしと響く声だった。
見た目は高一よりもっと幼く見えるが、自信のみなぎった目付きだった。
苦手なタイプだ、と空木は思う。
どういうつもりかと聞く前に、会長が真琴の前に出る。
「お前らがこうやって部活動に勤しめるのは俺のおかげだ。俺がお前ら2人の部活をくっつけることを提案し、先生に話を通し、議案まで通した。しかも部員数が足りないと言うから、俺自身が幽霊部員となってまでこの部を成立させた。お前らはそろそろ俺に何か恩返しをしても良い頃だと思わないか?」
「もちろん、できる範囲の頼み事ならする気でいるが、それがお前の妹とどう関係するんだ」
今度は真琴が前に出る。
「おふたりの話、聞きました。空木さんは小説を書けるし、九条さんは素晴らしい写真が撮れると。それを見込んで、頼みがあるんです」
真琴は応援団のように体を逸らした。
そのまま息を吸い込んで、言葉を放つ。
「私と映画を撮ってください!」
放った音が部室の大気を揺らす。
ポカンとした顔の2人の間にやってきて両手を差し出す。
この手を取れば、何かが変わる。
空木は自分の手のひらを見る。
隔絶した2人を繋ぐ、綱がここに1本。
1年続いたふたりぼっちが終わる予感がした。
noteとtwitterで色々書いてます!
フォローよろしく!
夢が醒める前に籍を入れてしまったので、醒めてからの生活は地獄だった。
丸くて可愛いと思っていた体型は近くで見るとだらしなくて醜いし、扇動的と思っていた性格は自己中なだけだった。
家事はほとんど任されていた。
夫はバイトだけ。
私は疲弊していったが、夫がそれに気づくことはなかった。
私が幸運だったのは、毎日、朝食を作れること。
おかげで違和感なく混ぜ込める。