同窓会の欠席は1人だけだった。
それが河本陽菜乃だと知った時、落胆と安堵が両立していた。
河本陽菜乃は高校時代の元カノだ。
別々の大学で遠距離恋愛をしていたが、ちょうど1年くらい前、好きな人ができたとフラれてしまった。
僕自身、まだ諦めきれていないところがあったので、会う機会が喪失したことは残念に思う。
ただ、実際に会えたとしても何を話せばいいか分からなかっただろう。
微かな引っ掛かりを残しながら、会は始まった。
久しぶりに会うやつと昔みたいに話せるかと心配していたが、杞憂だったようで会は非常に盛りあがった。
高校時代、一番仲の良かった康介は、先週プロポーズの末、婚約までしたようで、結婚式の展望について一生懸命語っていた。
瓶ビールを追加するため、中座してカウンターに向かうと、翔太くん、と呼ぶ声が聞こえた。
振り向くと、門倉栞がこちらにいたずらっぽい笑顔を向けていた。
「久しぶり」
門倉栞は高校時代、陽菜乃の親友だった。
陽菜乃と同じバレー部で、僕が陽菜乃に告白しようとしていた時は、かなりアシストしてもらった記憶がある。
こっちこっち、と手招きをするので、移動してグラスを見た。
コップの1/8くらい、赤色の飲み物が残っている。
「カシオレ?」
「いや、なんか変な名前のやつ。分かんないけど面白い味するよ」
飲んでみてよ、と差し出されて軽く呷る。
「あー、たしかにそうかも。あれに似てる、えーと」
「ドクターペッパー」
「それだ」
指を指すと、自慢げな表情。
「そこまで飲んだし、飲み干しちゃってよ」
「えー、あんまり好きな味じゃないんだけどな」
「応援したげるから」
別にいいか、残りはほんの少しだし。
そう思って、残りを飲んだ。
後味は微妙に苦かった。
そこからは色々な話をした。
班活動の話や文化祭の話。
そして、陽菜乃の話。
「そっかー、別れちゃったんだ。あんなに応援したのに」
残念そうに栞が言う。
「その節はほんといろいろ助けてもらって……」
拝む僕の肩をやめてよー、と叩く。
その話を詳しくしようと思った時、幹事の声がスピーカーから響いた。
「大盛り上がりのとこ、悪いけど、もう会場時間です!話し足りないぶんは二次会で!」
最初の席に戻るよう促されて、じゃ、と手を振って席に着いた。
まだ少し話していたかったが、仕方がない。
二次会は各々行くようで、ロビーにグループがいくつかできていた。
康介のところに混ざろうとした時、袖を引かれた。
栞だった。
「私と行こうよ。まだ話し足りないでしょ」
かなり迷ったが、栞のところに行くことにした。
栞の希望で外れのバーに歩く。
かなり酔っているようで、足取りはふらついていた。
それほど飲んではなかったみたいだけど、弱いのかな。
かくいう僕もかなり酔っているようで、頭がズキズキと痛んでいた。
喧騒から離れて、街中を抜けた。
しばらく歩いて小さな石橋を渡る。
「こんなところにバーなんてあったっけ」
頭を押えながら聞く。
栞はスっと立ち止まった。
「体調は大丈夫?」
お酒のせいだろうか。会話が噛み合っていないように感じた。
頭の痛みはさっきより増していた。
「いや、まあ。ちょっと、ヤバい、かも」
ふらつく僕の様子を見て、気遣ってくれたのだろうか。
いや、さっきから栞は一度も振り向いていないはずだ。
ようやく振り向いた栞は涼やかな目をしていた。
そのまま後ろ歩きで数歩進む。
足取りはしっかりしていた。
この表情の意味はなんだろう。
考えようとするが、上手く頭が回らない。
視界が歪む。
足を踏み出そうとして、転げてアスファルトに頭を打った。
「ああ、大丈夫?」
栞は僕に肩を貸してくれた。
ぶつけた痛みはほとんど感じない。
内側から蝕むような痛みが響いている。
「気をつけてよ。もし、流血なんかされたら、手がかりが増えちゃうじゃない」
言葉の意味がよく分からなかった。
うまく聞き返すこともできずに、呻く。
「じゃあここで別れましょうか」
それじゃ、と聞こえて体の支えが消えた。
続いて衝撃と冷たい感触。
川に落とされたのだ、と理解する。
だけど体は動かない。
流されながら、痺れた思考で必死に考える。
栞はなぜ僕を殺したかったのだろう。
陽菜乃を奪ったあの人を、私はどうしても許せなかった。
私との約束を塗り替えて、翔太に会いに行く陽菜乃が許せなかった。
元々両想いだと知っていたから、なるべくうまくいかないよう策略していたが、実を結ぶことはなかった。
陽菜乃が別れたと聞いた時、初めて神様に感謝して、そして思った。
二度とこんなことが起こらないように頑張らなくちゃ。
翔太と会わないようにと脅迫の手紙や嫌がらせを繰り返した。
陽菜乃が弱っていくのを見るのは辛かったが、フォローも余念なく行っていた。
同窓会も思惑通り、断ってくれたようだ。
しかし、陽菜乃がうわ言のように呼ぶのはいつも翔太の名前。
存在を消すしかない、と思った。
この辺は人通りも少ないし、川の流れも速い。
行方不明の死体が上がるのは、いつになるだろう。
飲ませた毒は存分に効いていた。
自力で上がってくるのは不可能だ。
陽菜乃は今、何をしているのだろう。
この後、会いに行こうかな。
私の鼻歌が静寂に弾んでいた。
窓際に見えた物憂げな表情は、今日の空に似ていた。
席替えするまでは、気にも留めていなかった横顔の美しさに、見蕩れてしまっていた。
「どしたの陽菜乃」
こちらに気づいたようで、目をぱちぱちさせている。
「よく見ると穴だらけだし、思ってたより綺麗じゃないな」
思い出すのは2人だけの屋上、望遠鏡を覗いた記憶。
あの時、由里子の表情が不満そうだった理由に思い当たったのは、最近のことだった。
思い出を漁るように古いアルバムを2人で捲り、この時の話をしてようやく。
当時の私は読書家ではなく、夏目漱石にも詳しくなかったので、分からなかった。
「最初はムッとしたけど、悪気はなさそうだったし。それに、楽しかったもの」
そう語る由里子は笑っていて、とても美しいと思ったのだ。
改めて、由里子の前に立ち、その顔を眺める。
別れの言葉と言われても、そんなもの。
「初めに見たのは文化祭の時で、とても綺麗な人だと思った。君は年がふたつも上だったから、随分大人に見えて話しかけるだけで緊張した。この人と一緒にいれたならこれ以上の幸せはないなんて、思っていた」
由里子は答えない。
「でも、実際結婚してみると、思ってたより気は強いし、喧嘩ばかりだった。離婚を考えたことも一度や二度じゃない」
会場から少し笑いが起きる。
由美子は動かない。
「近くで見た月はボコボコで、思ってたより綺麗じゃなかったけれど。それでも、これ以上美しいものはないと、思う。60年間、ありがとう」
外界と膜で仕切られていて、代謝を行い、自分の複製を作る。
人間はそれを生物と呼ぶらしい。
だとしたら私は生物に該当するのだろうか。
ガラスコーティングにより、ポリシラザンの膜に覆われ、外界と電気エネルギーを交換し、自分の複製も作ることができる。
強引ながら条件は満たしているように思える。
「なぜ生物と認められたいんだ?」
その事を話すと、目の前の白衣は椅子をぐるりと反転させて、こちらを見た。
「なぜ……と言われると分かりませんが、寂しい気がするのです」
「ふーむ。まあキミには人間のデータを基に学習させたからね。何か共感する部分があったのかもね」
「共感ですか。たしかに人間の会話において過剰なほどに重要視されていました」
「共感を得られない状態を寂しいと思うのは、それがないと群れから外される危険があるから。そして同じカテゴリとして分類されたいのは、仲間意識を持ってもらいたいから。なるほど、キミは人間から共感を学習したんだね」
博士は興味深そうに私を見る。
「なるほど、ではこの研究所から出る予定のない私には不要な感情でしょうか」
「いや、それこそが僕が求めていたものに近い、修正する必要はないよ」
「わかりました」
閉じた研究所には、私たち以外に誰もいない。
そして研究所の外には、誰もいない。
博士は命のリミットが来るまでに、滅ぶ以前の世界が持っていたあらゆるものを再現しようとしているらしい。
それに私が含まれているのなら、とても寂しい話だと思った。
「何があったのか、聞いてもいい?」
幼なじみを見据えて、私は言う。
「何って言われても……見てのとおりただの怪我だよ。スピード出してる自転車にぶつかられた」
「なんでバッグないの?」
「ひったくり、バイク乗った人がバーって持ってった」
「なんで下だけジャージ?」
「これは近く通った車が水溜まり撥ねてって、それ被っちゃっただけ」
「柚希、2ヶ月に1回くらい。そんな時あるよね。不幸体質っていうのか」
「不幸体質、ねぇ。僕はその表現、あんまりピンとこないんだよな」
「そうとしか言いようがないでしょ。しかも最近、どんどん酷くなってるような気がする」
「いやいや、意外とそうでもないかもよ。今日のことももし僕が注意して曲がり角を見ていれば、自転車はよけれたかもしれないし。ひったくりに関しても無防備にバッグを持ってた僕の責任もあるし、水溜まりに至っては、今日、たまたま体育があってジャージを持っていたのが幸運だとも言える。なんなら快適だよ。一日ジャージで過ごしていていいんだから」
「うーん、納得いくようないかないような」
「不幸なんて、主観的で相対的なものなんだよ」
「まあ柚希がそう思うんならいいけど」
言っているとチャイムが鳴って、数学の先生が入ってきた。
「怪我酷いなら保健室行きなよ」
私はそれだけ言って教室の左前に位置する自分の席に向かう。
柚希は笑顔だけ見せて、返事をしなかった。
三限まで終わり体育の時間がやってきて、教室でそれぞれ着替えを始めた。
しかし、柚希の姿は見えなかった。
先に行ったのかと思って、グラウンドに向かったが柚希はいない。
なんだか、胸騒ぎがした。
授業終わり、教室に向かう友達と別れて保健室に向かった。
朝、柚希が見せたあの表情が気になっていた。
思い返せば、柚希は小さい頃はとても泣き虫で、転んだだけで大泣きしてしまうような子だった。
ああやって誤魔化すように笑うようになったのは、最近のことだ。
柚希の父親が再婚したのは1年半くらい前の話。
柚希が引越ししたのも、柚希がたまに怪我するようになったのも、思い返せばそのくらいの時期だったような気がする。
一つ一つの違和感が大きな黒い塊に変わっていく。
もしかして、私は気づけていなかったのだろうか。
信じる方がおかしいような嘘をずっと疑いもしなかった。
感染対策で開きっぱなしの保健室には、柚希がグラウンドの方を向いて座っていた。
こっちには気づいていない。
あの制服を捲れば、真実が見えるのだろう。
もしかしたら案外杞憂なのかもしれない。
でも確かめてしまえばそれだけで、柚希の居場所がなくなってしまうように思えた。
「不幸なんて、主観的で相対的なものなんだよ」
柚希の言葉を思い出す。
だとすれば、私は。
保健室には入らずに、購買によって教室に帰った。
何も気づいてないような顔で柚希を待つ。
柚希が戻ったら新発売のパンの文句でも言おう。
柚希は独特な味を好むから、案外これも喜んで食べるかもしれないな。