哀愁を誘う
もう何年も前のことだけどさ、うつむいて歩いてたらね、あんたの名前で呼び止められたんだよ。数学の西先生にさ。覚えてる?公式とかなんでも歌にしちゃう先生。
そうそう、それで先生が言ったわけ。「下向いてたから、あいつと勘違いしたー」って。そんとき私思ったんだよ。うん、なんかさ。
あんたって馬鹿だよなあ。
私、あんたのこと好きよ。おもしろいし楽しいし、かわいいし。けどあんたはいっつも下ばっか見てさ、顔も隠したがるし、哀愁?みたいなの漂わせて。背中がすんごい寂しげなわけ。
でもそういうのも、あんたのいいとこだよ。変な虚勢も見栄も張らないし、自分です!つって貫いてる感?そういうとこも好き。
あーなんか照れるな。けど夢の中でもなきゃあ、こんなん言えんでしょ。
あんたのこと、愛してるよ。ほんと出会えてよかった。一生の友達。親友。……お別れなんて、やだなあ。
……なんつって。
うん、もういっかな。全部言えた、悔いはない。
ほんじゃ、私そろそろ行くわ。あんたは来んなよバーカ。そうやって哀愁ちらつかせながら、ずっとそこにいなさいよ。
生きててよ。
それじゃーね。ま、これから背中向けるけど、あんたの目に私の後ろ姿が寂しそうに映ってたら、それは光栄だわ。
ばいばい。
眠りにつく前に
お風呂に入る前に髪をといて、ひとつに束ねてから、メイクを落とす。寝巻きのスウェットに下着をくるんで脱衣所へ。
洗う順番は顔、体、そして頭。金曜日だけ入浴剤をいれて一週間の疲れを癒す。そのまま20分の半身浴。
やがてあがると早々に化粧水と乳液を顔につける。手について余ったそれらは腕や脚に塗って有効活用。濡れた髪はタオルでくるっと巻いて水分をとる。
そのあいだに着替えと歯磨き。最近ハマっているのは炭の歯磨き粉。一昨日も箱買いしたところだ。
うがいをしたら、頭のタオルを取って髪にオイルをなじませる。丁寧に、惜しみなく。そして鏡を見ながらドライヤーをする。
それが終わればキッチンへ。マグカップに電気ポットからお湯を注いで、スマホを触りながらゆっくり飲む。普段甘いもの好きなくせに、家で飲むのは白湯ばかりなんだから。
一旦ソファで休んで……なんてしたらすぐ寝落ち。一時間くらいして目が覚めて、目をこすりながらようやく寝室へ。
布団を被る前にアラームの確認をして、さあおやすみ。
これが彼の眠りにつく前のルーティーン。
私のルーティーンは、そんな彼の行動ひとつひとつをくまなく観察し記録することです。
永遠に
永遠なんてなかった。
金木犀の香りは終わったし、目を逸らしたら消える笑顔と、その場限りのあいづちと。
「うそつき」
吐き出した言葉さえもアスファルトに落ちたら最後、じゅわっと溶けてなくなった。
あなたを許さないよ?わたし。どれだけ後悔したってもう遅いの。時は戻らないの。綻びは塞がらないの。
忘れてなんてあげない。あなたを恨み続けます、
永遠に。
懐かしく思うこと
今年から赴任してきたこの学校が、どこか淋しいのはなぜだろう。去年までいたところと違うのは偏差値くらいで、校舎の作りも担当科目も変わらないのに。
授業中、黒板を向いていると何かが物足りない。例えば、あの温度。
ああ、そうか。
前から4番目の、右から2列目。そこに座っていた彼女は、今どうしているんだろうか。まだわたしを探してなどいないだろうか。
いつかまた会えたら話したいことがある。この春に生まれた娘のこと、学校間のカルチャーショック、君の視線のない淋しさ。
彼女はなんて言うだろう。馬鹿ですねと笑ってくれるだろうか。はぐらかすかのように目を細めて、またわたしを見つめるのならば。
「ごめんな」
君が懐かしい、福井。
『彼女と先生・おまけ』
友達
思いの丈をほとんど全部話し終えてしまうと、心がすかすかになった気がした。スカートをはいたらこんな心地なんだろうか。
それじゃあ、また、と最後に告げて電話を切った。駅のホームのベンチにもたれて、大きく息を吐く。
彼女にとってのわたしが何なのかはわかっていた。
では、わたしにとっては一体どこに当てはまるのだろう。この愛は、同じものではない。
『やっぱり先生は、私の恩師です』
わたしなんかが。
「ただいま」
「おかえりー。遅かったね」
「ああ……うん、駅で電話してて」
「実家から?孫に会わせて〜っていう」
「いや……」
わたしにとっての彼女は
「……友達と」
へえ、と大げさに目を丸くしてからかう。
「あなたに、長電話するぐらいの友達いたっけね」
「残念。それがおるんですよー」
着替えようと自室に引っ込む。ちょっと思い出してスマホを取った。
30分前の通話履歴を消しかけて、その手をとめた。そうか、友達なら削除する必要はないんだな。
心のすかすかを感じる。秋晴れの今日の空みたいな、すかっとした心。
『彼女と先生・おまけ』