『終わらせないで』
今日もあいつは暴君みたいに言いたいことだけ言って去っていく。
残された者のことなど何も考えていない。
あいつは自分のことを正義の味方か何かと勘違いしていて、いつでも自分が正しいと思っている。だからこんな馬鹿げたことができるんだ。
「じゃあ俺はこれで」
名を名乗るほどの者じゃないんで。と後に続くような態度であいつは去った。俺のばあちゃんを背負って、重い荷物を何段もある長い階段の上まで持って行ったんだ。
そんな必要はなかった。ばあちゃんは階段の下を歩いてはいたが、階段を上がるつもりはなかった。なぜなら最寄りのスーパーも家も階段の下にあるんだから。
階段の上にあるのは街が一望できる展望台と、神社と数軒の家だけだ。
「ばあちゃん、俺が荷物運ぶからそこで待っとって」
「すまんな、キヨシ」
「いいんだって。いつでもあいつの尻拭いは俺の仕事だからさ」
俺はばあちゃんの荷物を家に運ぶと、来た道を引き返してばあちゃんを背負ってまた家に帰った。俺の腕力ではばあちゃんを背負って荷物まで持って階段を下りることはできない。
あいつは本当に話を聞かない。「結構です」と言っても、これくらい平気だとかなんとか言って勝手に世話を焼く。それが相手のためになるならいいんだが、大抵は余計なお世話なんだ。
それでも自ら誰かのためになることをしようと思うのは凄いことだと思う。凄いんだが、ちょっとあいつは斜め上をいく。
ばあちゃんを家に届けると俺はあいつを追いかけた。あいつの行く先は見当がつく。長年腐れ縁をやってないからな。
「マコト! 何度も言っているがうちのばあちゃんの荷物を階段の上に運ぶのはやめてくれ」
「困ってるお年寄りがいたら助けなくてどうする」
いつもこうだ。助けたつもりがかえって邪魔をする。そして自分が正しいと思っているから俺の話なんか聞かない。何度言っても変わらないんだが、いい加減迷惑だとどうにかして伝えたい。
「そう言えばさ、担任の山本が結婚するらしいぞ」
「あっそ。興味ない」
「キヨシは本当に他人に興味がないな」
そんなことを言われたって、担任の結婚など興味を持てない。そんなことより、俺のばあちゃんのことをそろそろ覚えてほしい。他人に興味がないのはどっちだと問いたい。
「俺帰るわ」
「なんだよキヨシ。じゃあなんで来たんだよ」
なんで来たって、ばあちゃんのことを言うためだろ。
「ばあちゃんの──」
「そう言えばさ、山口さん駅前のパン屋でバイトしてるらしいぞ」
なんで来たんだと聞いたくせに、俺の話を遮ってまでくだらない話に勝手に変えたことに、今日はいつも以上に苛立った。
「あのさ、勝手に話を終わらせないでくれるか?」
「あ、ごめん、そんな怒るなよ」
「お前が話を聞かないからだろ! いい加減にしろよ。うちのばあちゃんは階段の下に住んでんだから、勝手に階段の上まで荷物を運ばれたら一人で下ろせないんだ! 何度言ったら分かるんだ! いつもいつもお前のせいで俺が尻拭いしてるんだぞ!」
今日は特別に虫のいどころが悪かった。こんな言い方をするつもりはなかったが、言ってから気付いても遅い。
「悪い」
俺はそれだけ言うとマコトを置いて走って家に帰った。
それからマコトは誰も助けなくなった。
「キヨシくんが言ってくれたんだって? うちも困ってたんだよね。勝手に勘違いして物片付けられたりして」
「そうか」
同じクラスの山本さんと石田さんが話しかけてきた。俺もそれは知っていた。彼女たちの部活は天体観測で、街灯がないプールの近くに望遠鏡を運んだことがある。マコトはそれを部室に戻すのだと勘違いして勝手に望遠鏡を片付けてしまった。それが何度もあった。
マコトの姿が見当たらなくて、屋上に向かうとやっぱりいた。いつも白い歯を見せて笑っているマコトが、今日は膝を抱えて顔を伏せている。
俺は黙って隣に座った。
「俺ってさ、迷惑かけてただけなのかな? 誰かの助けになりたかったんだ」
「うん。知ってる」
「キヨシ、ごめん、迷惑かけて」
「迷惑だけじゃなかった」
確かに迷惑をかけられたことはある。だけど俺は他人のことを考えて一歩踏み出せるマコトのことを尊敬している。誰にでもできることじゃない。
「迷惑以上に被害があったか?」
「いや、そうじゃない。マコトの行動力と正しいと信じる気持ちは格好いいよ」
「そんなことない。俺は全然見えてなかったってことだ。もう終わりにするよ」
「終わらせないでよ。俺が尻拭いしてもいいからさ。世の中から善意が消えたら悲しいだろ?」
俺が憧れたマコトという男は、そんなことで挫けたりしない。いつも真っ直ぐに自分の信じた道をいく奴だ。マコトにはいつでもそんな男でいてほしかった。
「これからはちゃんと相手が望むことをする」
「そうだな。それは大事だ。うちのばあちゃんのことだけどさ……」
「分かってる。もう階段の上に荷物運んだりしない」
「ならいい」
これからもマコトは間違うかもしれない。だが俺の話を聞くようになった。だから間違ったら俺が違うと言ってやればいい。
いや、俺も一歩進みたい。マコトのように迷いなく人を助けられる人になりたい。俺も進む時が来た。大丈夫だ、隣には見本となる奴がいるんだから。
(完)
『愛情』
「俺のこと本当に好きなのか?」
「うん、好きだよ」
「俺とお前の好きは違うようだ。別れよう」
また今回も私は失敗した。なんで男ってのはそういうことをやった後で言うんだろう?
そういうあなたこそ、私のことなんて性欲を満たすだけの道具としか思ってないんでしょ? って言ってやりたい気持ちもあったけど、それは言わなかった。私も同じだからだ。
そそくさとシャツのボタンをとめてネクタイまできっちりと巻くと、彼は私のことを一度も振り返らずに出て行った。
私は仰向けに寝て、ホテルの天井を眺める。こういう時は一人になりたくない。一昨日も夜を共にしたカズユキでも呼んでみようか。
手を伸ばしスマホを掴むとカズユキの名前を探す。
「もしもし、カズユキ今暇?」
『ん? ああ、暇っちゃー暇かな』
「こっち来ない?」
『何? また欲求不満?』
「そんなところ」
私はカズユキに位置情報を送ると、ルームサービスでも頼もうと机に置いてあったメニューを開いた。このホテルは隣の居酒屋のメニューがオーダーできるらしい。
お酒は瓶や缶のビールか酎ハイかソフトドリンクだけど、ちゃんとした料理が食べられるのは嬉しい。ビール二本とサラダと、ポテトフライ、軟骨唐揚げと、お腹もすいたし焼きそばでも頼んでみようか。適当にオーダーして、料理が来るのを待つ。
部屋の端に設置された小さなエレベーターみたいなのが点滅して、そこに料理とビールが届いた。会わなくていいなんて便利なシステムだ。コロナとか流行ったし、人に会わない仕組みはこれからも増えていくのかもしれない。
コンコン
ドアがノックされた。たぶんカズユキだろう。私は全裸にバスローブだけ羽織ると、入り口のドアを開けた。
「何? もういますぐにでもって感じ?」
「違うよ。さっきまで彼氏、あ、元彼になったんだけど、淡白な感じ終わりを迎えたところ」
「あ〜なるほどね。ルミちゃんやっぱり別れちゃったんだ?」
私が別れるのをカズユキは予想していたらしい。誰にでも分かるのかな?
私は性欲が強い。だから週に一回じゃ足りないし、一晩に何度もしたい。だけど彼氏にそんなこと言えないし、疲れたが口癖の彼氏にそんなことを言っても断られるだけだと思って、他の人で発散するようにしてた。
一度だけ昔の彼氏には言ったことがあるけど、冗談だと決めつけられて流された。それで余計に言えなくなったんだ。
彼氏としてはそんな私の行いが気に入らなかったようだ。私としては最大限に気を遣ったつもりだったけど、それは世間の一般常識からは外れているらしい。
「好きだったんだけどね……」
「だろうね。我慢してたんでしょ? 彼氏のために」
「うん。だけど、ダメだった」
じゃあどうしたらよかったのか。好きだった。だから彼のことを優先したし、彼が望む私でいようと頑張った。それではダメなのか。
「これ、食っていい?」
「いいよ。そのポテト、めんたいディップ美味しかったよ。ビールも飲んでいいよ」
「本当だ、これ美味いな」
カズユキはホストで、店は0時からだ。だからそれまでは一緒にいてくれる。深夜に営業が終わった後もアフターがなければ一緒にいてくれる。
カズユキがなんでこんなどうしようもない私に付き合ってくれるのか。それは体だけの関係だからだ。
「俺のことは好きにならないくせにね〜」
「カズユキはそんなの求めてないじゃん。愛とか恋とかさ」
「それはそうだね〜俺はそんなの信じない」
カズユキも孤独な人だ。誰の愛も信じられないらしい。母親に捨てられた過去がそうさせると言っていたけど、本当のところは分からない。
こうして私たちみたいな人間は外れもの同士肩を寄せ合って過ごすしかない。
私はなんでこんなに性欲が強いんだろう? カズユキに抱かれながらそんなことを考えた。肌と肌が触れ合うと安心する。一人じゃないと感じる。私にとっては性欲と愛情は別ものなんだけど、それを理解してくれる人は少ない。
「必要とされたい……」
「どうした? 俺が必要としてるよ」
「違うの。私は愛情も欲しいの」
「それは俺では無理だな」
私は分かっていてカズユキにそんなことを言ったんだ。カズユキだって人を愛したくないわけじゃない。愛したいけどできないんだ。私は酷い。
「ごめんね」
「謝らなくていいよ。愛してるってどんな感じ?」
「分かんない。私も愛とか分かんないかも。いつも間違ってるって言われるし」
「なんだ、分かんないの俺だけじゃないのか」
「そうだね。愛ってなんだろうね? でも私にとってカズユキは大切だよ」
「そっか。俺もルミちゃん大切だよ。やらせてくれるってだけじゃない。理解しようとしてくれるし、辛い時にそばにいてくれる」
他人がどう言ったっていい。愛が分からなくてもいい。カズユキは私のことを大切だと言ってくれた。今はそれ以上に望むものなんてない。二人だけに分かる関係でいい。
(完)
『微熱』
疲れた。今日は何度も凡ミスをした。本当に些細なミスだ。大きなミスではなく本当に数の数え間違いだったり、誰にも迷惑はかけていないが、それでもミスはミス。金曜ともなるとストレスが溜まっているのかと思った。
「中野くん、大丈夫?」
「え?」
パートのおばさんに声をかけられて、ハッと我に返った。退勤時間を過ぎてもボーッと自分の席に座ったままだった。
パソコンの電源を落とし、広げた資料を片付け、飲みかけのコーヒーカップを給湯室に持っていく。なんだか目も疲れている。パソコンの画面を眺め過ぎたのか、頭も重い。
置いてあったスポンジに洗剤をつけようとして洗剤のボトルをシンクに落とした。本当に今日は疲れているようだ。コーヒーカップを洗い、カップを伏せると、鞄を持ってトレンチコートを腕にかけた。
朝は寒かったんだが、オフィス内は暖かい。外に出る時に着ればいいと思った。
秋は物悲しい。人恋しいとでもいうんだろうか。スマホを取り出し、こんな時にだけ連絡を取る奴にメッセージを送った。
『今から会えるか?』
彼女との関係は単純なものではない。会う度に体を重ねているが恋人ではない。昼間明るいところでデートなどしたことがない。
彼女とは大学のサークルの飲み会で会った。その頃はお互いに恋人がいたから、恋人にはならなかった。だが社会に出て、お互いに恋人と別れても、恋人にはならなかった。
恋や愛なんて感情はない。好きで仕方ないなんて思ったことはないし、彼女も恋人になってくれとは言ってこない。
恋人になったら末路は結婚か別れの二択しかない。だが名前のない関係であれば結末など気にすることはない。
いつ終わってもいいとも思うし、永遠に続けたいとも思う。
『今仕事終わったとこ。渋谷でいい?』
彼女からの返信がきてホッとする。人肌が恋しかったのか、それともこんな時だからこそ気を遣わなくていい彼女に会いたかったのか。今日に限って回転の悪い頭は、その二択ですら答えを出せない。
「お待たせ」
「いや、今来たところだから。飯食う?」
「だね。お腹すいた」
適当な居酒屋に入って、生を二つ、続けて焼き鳥やサラダを頼む。
「ここの焼き鳥、ちゃんと炭で焼いてるみたい」「そんなこと分かんの?」
「分かるよ。炭の香りがして美味しい」
「そんなもんか」
どうも今日は感覚が鈍い。味も香りもぼんやりとしている。
「いくか」
「だね」
腹が膨れると、いつものホテル街へ向かう。どこのホテルがいいと決めているわけではなく、空いているところに適当に入る感じだ。
長居はしない。終われば少し休んで帰るんだから、こだわりもない。
「風呂、一緒に入る?」
「いいよ。アキくん今日は甘えたい感じ?」
「ん、そうかもな」
そんな曖昧な回答にも、ふふふと笑って流してくれるのが心地いい。
彼女の胸に顔を埋めると、なんだがとても安心した。なめらかな肌と、彼女の吐息、柔らかい感触。
「ねえ、アキくん体熱くない? お風呂に入ったからかなって思ってたんだけど、終わってもずっと熱い気がする」
「そうか?」
「熱測ってみる? 体温計あるよ」
「そんなの持ち歩いてんの?」
ピピピピピ
「うん。微熱だね。37.2度」
「そうか」
今日の頭が働かない感じも、ミスも目の疲れも、感覚が鈍いのも、全部熱のせいだったのか。
「送っていこうか? 近くだったよね」
「ああ、うち泊まってけよ」
「え? いいの?」
彼女を部屋に連れて行くのは初めてだ。彼女どころか誰もこの部屋に入れたことはない。
彼女は帰り道、コンビニでスポーツドリンクやゼリー、カップ麺のうどんを買った。
彼女には俺の部屋着を貸して、風邪がうつるかもしれないが、狭いシングルのベッドに一緒に入った。
夜中に熱は上がった。彼女は洗面器に氷と水を用意して、額に冷たいタオルを乗せてくれたり、上体を起こしてスポーツドリンクを飲ませてくれた。
朝になる頃には熱は引いていたけど、一人きりじゃないことが嬉しかったし、救いになった。
「なあユカ、俺と結婚しない?」
「うん。いいよ。それっておはようより先に言うこと?」
「まだ寝るからな。次起きた時に言う。それとユカ、ありがとう。夜中起きてたから眠いだろ? 一緒に寝よ」
「うん」
微熱で気付く恋があってもいい。
(完)
『太陽の下で』
今日も満月を眺める。毎月欠かさず満月を見上げている。
僕は夜行性だ。朝日の眩しさが苦手で、長時間目を開けていられない。太陽なんて僕にとっては害しかない。眩しいし、日に焼けるし。
太陽の下を歩いた日の夜には必ず頭が痛くなる。色素が薄い僕の目は太陽の光に弱いらしい。昼間出かける時には、サングラスを必ず持って出かけるようになった。
日焼けは本当に無理だ。今の時代、ボディービルダーですらタンニングという肌を黒くするものを塗っている。日に焼けることなんてなんの利点もない。爺さんになってシミや皺だらけになるなんて嫌だし。
それなのに君は言った。
「朝日を浴びると一日元気に過ごせるよね」
僕にはそれが分からなくて、曖昧に「そうかもね」なんて答えたものだから、やっとお付き合いできるようになったと喜んだのも束の間で、早朝デートなんて僕が知らないデートの仕方を提案された。
好きなんだ。だから彼女の望む僕でいたい。だけど無理は祟った。サングラスをしない日には夜になると頭が痛くなる。もう午後になるととても太陽の下を歩くことなんて無理だと思うほどだ。
「ごめん、僕今日は帰るね。体調がよくなくて……」
「そうなの? 大丈夫? 無理しないで」
その台詞って優しさなんだろうか? 僕は彼女とお付き合いする前に、一度だけ日の光が苦手だと話したことがある。しかし彼女は僕のそんな言葉、忘れてしまったんだろう。
「ごめん。明日のデートはキャンセルさせて」
一度断ってしまうと、張り詰めていた糸が切れたように楽になった。なんだ、無理しなくてもいいんだ。僕が苦手なことをわざわざ我慢することはない。
何度か早朝デートを断ると、彼女は僕から離れていった。デートに誘っても曖昧な感じで「また今度」なんて言われて「今度」なんて日は来ない。
これで終わってしまうのかと思った頃に、彼女は急に僕の部屋を訪ねてきた。
「私のこと避けてる? もう冷めた?」
「それは君だろ?」
僕たちは互いに首を傾げた。
「僕は朝が苦手だ。太陽の光も。太陽の下を歩くとその日の夜には必ず頭が痛くなって、薬がないと眠れない。だから朝のデートはもう無理なんだ」
もうこのまま終わってしまうのなら、言いたいことを言おうと思った。それでダメならもういいんだ。好きだけど無理なことだってある。
「そうなの? 知らなかった。私も朝が苦手で、だけど朝日を浴びると元気が出るって本に書いてあった話をした時、賛同してくれたから、早起きするのが好きなのかと思ってた」
「え? 朝が苦手?」
彼女の言葉に僕は驚いた。だって彼女は朝が好きなはずじゃないのか?
「うん。無理してた。私、低血圧で朝はもう本当にフラフラなの。それでも貴方の好みに合わせたくて頑張った」
「なんだ。早く言ってくれればよかったのに」
「うん。お互いにね」
「じゃあ僕たちは僕たちらしく月見デートでもする?」
僕たちに足りなかったのは、我慢することでも、相手に合わせることでもなかった。本音を話すってことが欠けていたんだ。
太陽の下で知ったこと。話し合いは大切だってこと。
太陽が苦手な僕と、朝が苦手な君。
いつも一人で見上げていた満月。今は隣に彼女がいて、僕はますます満月を見上げることが好きになった。
(完)
『セーター』
え? なんかイメージと違うんだけど。
桃子は通販で届いた段ボールからセーターを取り出した。体型にフィットしたセーターを着て、下にはフレアースカートをはく。先週雑誌でそんな写真を見て、思い切ってネットでセーターを買ってみた。
買ったのはSサイズのセーターだ。桃子は先月13になったばかりで、背も低く痩せている。Mサイズだと体型にぴったりフィットしてくれないから、仕方なくサイズが豊富な通販を利用した。
実物を見て買えないのだから、サイズ感や質感はレビューや写真を見て判断するしかない。
学校から帰ると薄い段ボールがポスト投函されていた。ドキドキしながら開封し、さっそく着用して鏡の前に立った桃子の感想が冒頭のそれだった。
鏡に映るのは、ちょっとゆとりのあるセーターを着た桃子。やっぱりこの体型だと大人サイズは無理だったのかも。そう桃子は肩を落とした。
痩せている桃子はスカートもパンツも、大人用ではウエストがぶかぶかだ。だからベルト通しが付いていないボトムスははけない。ウエストがゴムならなんとかなるけど、可愛いスカートはどれもウエストにゴムなんて入っていない。
同じクラスの子にそれを言ったことがあるが、「何それ嫌味?」なんて言われてから、痩せて悩んでいることを言えなくなった。
世の中にはダイエットの方法は溢れているのに、その逆はほとんどない。桃子にとっては「細くていいな〜」という言葉も「太ってるね」と言われるのも同じように傷つくし失礼な言葉なのに、そこは誰も気を遣ってくれない。
サイズの合わないセータもそうだ。世の中には大きいサイズなんてのは色々あるくせに、小さいサイズってものはあまりないし、なぜか高額だったりする。世の中は不公平だ。
返品するのも面倒だ。客都合での返品となると往復の送料がかかる。どうにかフィットするようにできないか……。
「この前さ、ママがあたしの服を乾燥機にかけたら縮んじゃって着れなくなったんだよね」
ふとそんな友人の言葉を思い出した。
乾燥機にかければ縮むのか。それならこのセーターも縮んでサイズが合うかもしれない。桃子に迷いはなかった。
セーターを洗面所でびしょびしょに濡らし、そして乾燥機に入れてスイッチを押す。40分後には理想のサイズになっていることを祈りながら、しばしの待ち時間は漫画を読んで暇つぶしをすることにした。
あれ? もう乾燥終わってるんじゃない?
ふと気づくと辺りは真っ暗で、桃子は電気もつけずに漫画に没頭していた。
ワクワクと期待を込めて乾燥機へと向かう。桃子の足取りは軽い。
は?
桃子は乾燥機からセーターを取り出して驚愕した。そこにあったのは、編み目がギュウギュウに詰まってカチカチになった、幼稚園児くらいの子しか着れないようなサイズまで縮んだセーターだった。
桃子は自分が細いと自覚している。子供服だって着れるんだから、きっとこれだって着れる。
…………無理。まるでコルセットをキツく締めたように、息をするのも辛いくらいの締めつけ具合に、桃子はこのセーターを着ることを諦めた。
「桃子、そういえばなんか服買ったって言ってなかった?」
お母さんが夕飯の時に一番触れてほしくない話題を出してきた。
「服買ったけど、私のじゃなくてぬいぐるみのだから」
「あら、そうなの?」
本当は違うけど、あの服は枕元に置いてあるウサギのぬいぐるみしか着れないサイズになった。失敗したと言えばいいんだけど、それを話すのは恥ずかしくて、ぬいぐるみのために買ったことにした。
その日の夜は悔しくて眠れなかった。自分が悪いんだけど、納得できないことだってある。
「おはよー、桃子、寝不足? もしかしてこの前貸した漫画に没頭しちゃった?」
「そんなところ」
寝不足のまま学校に行くと、隣の席の亜矢ちゃんに寝不足がバレてしまった。
「ねえねえ、桃子聞いてよー」
「何? どうしたの?」
「昨日通販で買った服が届いたんだけど臭くてさ、すぐに洗濯したんだけど早く着たいからって乾燥機かけたら縮んで着れなくなっちゃったの。返品もできないしショックすぎるー」
「分かる」
本当に、痛いほど分かると桃子は思った。
「ねえ、亜矢ちゃん、実は私も。それで悔しくて寝れなかった」
「マジ?」
「マジマジ。乾燥機ってさ危険だよね」
「だね。乾燥機とセーターは相性最悪だね」
嫌なことがあったけど、お互い失敗という弱みを見せ合ったことで、二人の絆は深まった。
「ねえ、桃子、あの時のこと覚えてる?」
「ん? 何のこと?」
「セーター乾燥機事件」
「あ〜中1の時のね。覚えてる」
「洗濯表示とか二人で調べたよね」
「懐かしいね〜」
あれから20年、失敗が繋いだ友情は今でも変わらず続いている。
(完)