「ねぇ、ねぇ…」
女児の声が聞こえる。
「ねぇ、ねぇ…」
肩を揺さぶる。
「聞こえてるでしょう…」
私は思わず布団をバサリと退け、睨む。
「うるさい!」
「やっぱり聞こえてた!」
女の子は青白い顔を真っ赤にさせて怒る。
「もう、本当に今の若者ったら。言っても無視する、
言ったら怒る。まるでアンドロイドのように冷徹だわ。私の時代はねぇ…」
私は22歳。10歳以上年下の彼女に言われたくない。
この幽霊は美桜。私のアパートにいるのだ。
どうやら、どちらかが成仏するまで取り憑かれるとのこと。
「さっさと成仏してよ!」
「いやだも〜ん。私のメガネを見つけるまで帰らないも〜ん」
迷惑なことに、生前のメガネを見つけるまで天国へ行かないと言うのだ。
トントン、とノックされる。
「小鳥遊さん、妄想ごっこもほどほどにしようじゃないか。知り合いに精神…コホン、失敬。ハートを治す医者がいるから、紹介しようか?」
「結構です!」
隣の佐々城じいさんは最初は優しかったのに、最近はハートを治す医者の話しかしない。
最近は美桜が勉強を邪魔するから、成績も良くないし…。
どれもこれも、こいつのせいだ。
「本当に、反省してよね! ねぇ、聞いてる?」
耳元で美桜が囁く。
小鳥遊の幽霊生活、続行。
情熱。
熱いもの。
注ぐもの。
静かなもの。
燃えるもの。
燃やすもの。
いつかは枯れるもの。
なのかもしれない。
ずっと、注いでいたい。
ずっと、燃やしていたい。
静かに、静かに。
「いや! ちーちゃん、自転車乗りたくない!」
私の娘、千華(ちはな)が駄々をこねる。
「もう! 恵菜ちゃんも紗奈ちゃんも補助輪なしで乗れるでしょ! いいかげん、補助輪なしで乗れるようになりなさい!」
と怒鳴ってしまってからこうなのだ。
怒鳴ってしまって悪かったが、千華はもう6歳。
乗れてもいい年齢なのに、補助輪と支えがないと無理なのだ。
「まあまあ…。とりあえず、補助輪なし、支えありでやってみようよ」
夫が嗜める。
それでも千華はやるつもりがないようだ
「いやぁぁぁぁぁ!」
とジタバタしている。
「ほら、とりあえずやるよ!」
夫と協力し千華を自転車に乗せる。
ギーコ、ギーコ、とこいでいると千華が転んでしまった。
「なんで後向いたの?」
「だって、ママがちゃんと支えてるか、不安になって…」
疑り深い娘だ。
私もよく「疑いすぎ」と言われるから、私の血を受け継いでいるからだろうか。
「はい! もう一回やるよ!」
1時間後…。
「支えてるよね!」
「支えているよ」
振り向かず、千華が言う。
「支えてるよね」
「支えてるってば」
気づかれないように、手を離す。
「支えてる?」
「支えてるよ〜」
いつか、こうやって一人で歩いて行くんだろうな。
「支えてるよね〜」
「うん」
私の支えや、補助輪なしで。
「絶対支えてるよね!」
「もちろん」
そうなるまで、私がこの子の補助輪なんだ。
「支えてるよね〜!」
千華の声が、小さくなっていく。
遠く遠くなっていく声が。
そうやって、大空に羽ばたくんだ。
私の娘は。
『遠くの声』
君がまた
戻ってこない
こんなにも想っているのに
「こんにちは」の一言で
全て終わってしまう
恋然るべき
夜半の月はもう
隠れてしまって
姿が見えない
この春恋は
終わった方がいいのだろうか
この春恋は
いつまで続くのだろうか
今日は中学の卒業式だ。
「よう、雅人。また遊ぼうな」
「おう。そっちも高校頑張ってな」
幼馴染の泰介とも、これでしばらくお別れだ。
父さん…浩人も通っていた中学校。僕は父さん似で、当時の先生にたまに間違えられる。
桜海中学校は古びた校舎で、あまり魅力がないが、それでも別れるのは寂しいものだ。
「みんな…。また会おう!」
担任の浅井先生が一人ずつハグしている。
浅井先生は体育会系の熱血教師で少しウザかったこともあるが、担任との別れもかなり堪える。
…待てよ。このままだと浅井先生にハグされるのか。
浅井先生も悪気はないのだが、力んでしまうことが多々ある。
4月下旬の1時間目で
「『友』と言う漢字は、二人が支え合う字なんだ!」
とチョークで大きく黒板に描き、チョークが割れた。
他にも、女子がキャラもののペンを持って来たとき、怒りながらそのペンを折った。
僕は小柄だから、浅井先生にハグされたら危ない。
僕はさっさと逃げることにした。
校舎裏のベンチでお茶を含む。
空を見上げながら物思いに耽っていると
「すみません」
と声が聞こえた。
知らない女子だった。長い前髪のショートカットの小柄の子だ。
「なんですか?」
迷ったのだろうか。いや、3年の名札をつけているからありえない。
「第二ボタンを、ください…」
第二ボタン。つまり、僕のことが好きなのだろうか。
「は、はい…」
第二ボタンを取り、渡す。
「ありがとう…」
風で彼女の長い前髪の下の瞳が見えた。茶色の瞳だ。
「浩人」
そういうと、彼女は消えていった。
そういえば、父が話していたことがある。
中学生の頃、両思いの女子がいたと。
しかし、玉突き事故の巻き添えで死んでしまった。
「もちろん、母さんが好きだ。だけど、彼女とまた話したいなぁ」
と父はたまに言っていた。
校舎裏にはシダレヤナギや桜が咲いている。
シダレヤナギには幽霊が現れるとかなんとか。
「なるほど…」
桜がひとひら、舞い落ちた。
(季節外れですみません…)