傷口に塩

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8/20/2024, 4:25:42 PM

『さよならを言う前に』


「もう時間だ」
彼はにっと笑みます。

私は「もう行っちゃうのか?」とか「まだここにいろよ」とか、伝えたい言葉が喉に突っかかって、そのまま目を伏せてしまいました。

生ぬるい風が頬を撫でて、ひぐらしがカナカナと鳴いて、落陽のオレンジに夜が溶け込み始めていました。
肌に張り付く湿気も、これから降るだろう雨の匂いもしました。でも、この時間だけは、この夕日は、彼を照らし続けていて欲しいとさえ思いました。

私が「さようなら」を言いかけた時、
「ちょっと待って」と彼が口を開きます。



「最後に…、見ておきたい。忘れないように」



と、こぼした彼は、先程までふざけたように笑っていた面影をなくすほど、突如、神妙な面持ちになりました。

息をしたら顔にかかってしまいそうな距離で、身動ぎしてしまいましたが、なんとも真剣に私の顔を見つめるのです。

まるで…もう私たちは二度と会えないようでした。
私は、彼の底知れぬ、しんとした黒い瞳が恐ろしくなって目を逸らしました。そして、なんだか悲しくなって、胸の奥底が冷える気がしました。
理由は聞いてはいけない気がしました。

暫くすると、彼のいつもの明るい雰囲気が戻ってきました。戻ってきたと思ったら、こんなことを言うのです。



「あほ面」



彼はまた、にっと笑むのでした。


さようならを言う前に、笑ってくれたおかげで、
私の記憶の中の彼は、ずっと笑顔なのです。

2/23/2024, 3:25:05 PM

橙色に染った海。
朝焼けなのか、夕焼けなのか分からない。
いつものように浜辺で、二人で立っていた。
彼はお気に入りの貝殻を見つけたようで
嬉しそうにしているようだが、背を向けたまま。
私は彼の名を呼ぶ。

さざなみが聞こえた。

彼は一瞬こちらを振り返った。
でも、逆光で表情は分からなかった。

他の音は奇妙な程に何も聞こえなかったから、
波と波がぶつかって、砂と砂がぶつかる音の些細な音のひとつひとつが聞こえている気がする。

もう一度、声をかけた。

私は彼の名を呼び、付け加えて「帰らないのか」と聞いた。

海は揺れるたびに光を反射した。
こんな景色久しぶりだ、と思った。

二人は海を見つめたままだった。




彼は、今、どんな表情で海を見ているのだろうか。



さざなみの音だけが、ゆっくりとした等間隔で二人の間に流れた。


─目を覚ました。
目覚まし時計はあえて鳴らさなかった。
彼がまたせめて夢の中でも会いに来てくれるのを願って。

『Love you』