あなたが振り返る。
薄明の丘に僕ら二人。
あなたの顔は薄闇で見えない。
「何が見える?」
あなたの声がゆっくりと体に染み渡ってゆく。
「何が見える?」
光と闇の狭間で、悪魔が翼を広げる。
すべてあなたの手のひらの上だった。
「あなたが」
僕は無意識に答えていた。
指先の痺れが酷くなる。
「いい子だ」
また、あなたが微笑んでいる。
夕陽の最後の光が閃いて、そして、すべてが闇に沈んだ。
あなたの伸ばした指先が届かない距離。
それが僕とあなたの正しい距離。
近づこうとするあなたと離れようとする僕の、妥協の距離。
後ずさりしたくなる恐怖を必死に押し留める。
僕をよく知っているあなたは、わずかに口の端を引き上げていた。
今にも壊れそうな君の頬に手を添えて、私は語りかける。
ほら、泣かないで。
私が見えるかい。
涙を溜めた瞳が、動揺を浮かべて揺れている。
わななく唇で、必死に言葉を紡ぐ。
あなただったのか。
君の青い眼差しが、まっすぐに私を射抜いた。
あの日震える手で触れてくれた君は、今私に銃口を向ける。
全部知ってしまったんだね。
期待以上だ。
微熱も、終わらない悪夢も、君の純粋な瞳の前では崩れ去り、隠された真実をあらわにする。
私がそっと差し伸べる破滅を、君はいつもすんでのところで突き返す。
ああ、それでも君のすべてが私を惹きつける。
私はもう一度、君に呪いをかけることにした。
君に見えているのは現実かい?
君の迷いが手に取るようにわかる。
何が現実で何が夢か、わからないんだろう。
泣かないで。何も怖くないさ。
君には私がいる。
私だけが君の真実だ。
力なく下げられた銃口。
とても、とても愚かで愛しい君は、また私の罠に落ちてきた。
「やはり冬のはじまりは寂しい」
君はそう言って、ホットコーヒーに角砂糖を落とした。
かっこつけて丸眼鏡。
黒いコートのポケットには古い文庫本とペンと手帳。
昭和の文学青年気取りでひなびた喫茶店に入り浸っている。
「ブラックは飲めないのか?」
「いずれ飲めるようになるさ」
レポートの締め切りが近いのに、いつも僕を付き合わせる。
そりゃあ嫌みの一つも言ってやりたくなる。
僕の精一杯の毒を涼しい顔で受け流し、君はまた角砂糖をぽちゃんと追加した。
「寂しいなら友だちでも作ればいいじゃないか」
「いらないよ。やつら、どうせ退屈な話しかできないんだから」
「失礼なやつだな」
自分は他の人間とは違うとでも言いたいのか。
昔から君はそういう冷ややかな眼差しで世間を見つめている。
いつまでも10代の少年のようなとげとげしさと鮮やかさで夢を語る。
なぜか僕だけに寡黙な口を開く君が、僕はけっこう好きだ。
「僕の貴重な時間分、奢れよ。早くレポート書かなくちゃいけないんだから」
「冬は金運が下がるから無理だ」
「バイト辞めたからだろ」
ため息をついて、僕は伝票を掴んだ。
終わらせないで、この悪夢を。
君の熱を帯びた甘い匂いで 私は酩酊する。
なんて美しく純粋な君の心。
私は泣きそうな君に囁く。
このままもっと深くまで、二人で沈んで行こうか。
私を見上げる君は不安気に、掠れた声で呟く。
微熱に浮かされた私に気づかず。
…もう何もわからない。
それでいいさ。
怯える君の目を優しく塞いで、ゆっくりと耳に言葉を流し込んでやる。
何も心配いらない。私は君の味方だ。
君の口角が安心したように上がった頃。
私の悪夢が君を侵食し始めた頃。
私は麻薬のような君を抱きしめた。
躊躇いながら背中に回される君の腕を感じて、途端に胸が幸福感で満たされる。
君が死ぬときは、できれば私のせいであってほしい。
それ以外はどうでもいいと思えた。