「虹の橋を渡った」
という表現はあまり好きではないので、竜巻に乗ってオズの国へ行ったんだと思うことにしている。
そしていつか私が追いついたら、一緒にエメラルドシティを目指すのだ。
(遠くの空へ)
うららかな日差しを照り返す小川沿いの桜並木はいままさに見頃だ。
ソメイヨシノ。エドヒガン。ヤエベニシダレ。赤茶色の葉のヤマザクラ。うす緑の葉と一緒に咲くオオシマザクラ。マメザクラにカワヅザクラにカンヒザクラ。少し離れたところには淡い黄緑のギョイコウや花びらが百枚もあるケンロクエンキクザクラなんて珍しい品種も咲いている。
360度、見渡す限りの春爛漫。まさに絶景。しかもこの眺めを独り占めできるなんて!
「いやー、今年も見事な咲きっぷり!」
私はすっかり満足してゴーグルを放り、ソファに大の字になった。
向かいでお茶をすするおじいちゃんは渋い顔になる。
「まったく近頃の若いもんは。わしがおまえくらいの歳には自分の足でなあ」
そう言ってくどくどとしみったれた昔語りを始めた。
うるさいな、せっかくの気分が台無し。
「アンインして!」
瞬時にかき消えるおじいちゃん。
今度はもっと静かなやつオーダーしよ。
(春爛漫)
誰よりもずっとでなくていいから、誰かよりずっとでいさせて。
(誰よりも、ずっと)
それで私のちっぽけな自尊心と虚栄心はおなかいっぱいになるから。
甥っ子の誕生日祝いに絵本を贈ろうと本屋に立ち寄ったときのこと。平積みの色とりどりの絵本のなかで、見憶えのあるタッチのイラストに目が留まった。
『ぼくはふね』
懐かしい! 『きんぎょがにげた』の五味太郎さん、新刊が出てたのか。なんでも画業50年記念作品なんだとか。
ぱらぱら読んでいく。ちいさな船が嵐で陸に乗り上げ、もうおしまいだと嘆いていると、「その気になればどこにでも行けるよ」とほかの船にアドバイスをもらう。船はその言葉を信じ、“水の上をぷかぷか浮く”という決めつけを捨てて、山や街を自由気ままに進み始める……。
一冊は絶対これにしようと決めた。
シンプルでスッと胸に飛び込んでくる文章がいい。濃いめの水彩画みたいな温かみのあるイラストも。
気に入ってくれるかな。
いいものはずっと受け継がれる。月並みな言葉だけどまさにその通りだ。素晴らしい絵本ってどれだけ時が経っても色あせない。手放して久しいのに、タイトルも内容も、どんな終わりかただったかも、まざまざと思い出せるんだから。
ぐりとぐら。「ぐり、ぐら、ぐり、ぐら」の口癖が移った。
おばけのてんぷら。めがねの天ぷらが気になる。
グリーンマントのピーマンマン。私はピーマン好きだけどな。
サンタのなつやすみ。サンタもバカンスしたいよね。
はらぺこあおむし。虫はこわいけどこれは好き。
ノンタンシリーズ。病院の待ち合い室でいつも私を慰めてくれた。
ほかにもまだまだたくさん。
あなたはどんな絵本を読んで大きくなりましたか?
(これからも、ずっと)
ぐりとぐらが森で作った黄色いたべもの。カステラだのホットケーキだの玉子焼きだのオムレツだの、人によって記憶が違うの面白い。
夕暮れのラストシーンが印象的な小説はいくつもある。日没は一日の終わり。だから物語の幕引きに似つかわしいのかもしれない。
私が好きなのをいくつか。
夕焼けのむこうの国。そこでは、時計はいつも日暮れで止まったまま。(竹下文子『木苺通信』)
那須湖畔に雪も凍るような、寒い、底冷えのする黄昏のことである。(横溝正史『犬神家の一族』)
見る間に、太陽はぶるぶる慄えながら水平線に食われていった。海面は血を流した俎のように、真赤な声を潜めて静まっていた。(横光利一『花園の思想』)
(沈む夕日)
きれいな夕日を見るとスペシャルサンドを連想します。