誰かのお気に入りにはなりたくないな。
熱病みたいにもてはやされたりお菓子の空き缶に仕舞われたりするくらいなら。
(お気に入り)
去年の三月、食べ終えた文旦の種をなんの気なしに庭にまいた。オレンジの木の下だった。大きく張り出した枝の真下で、強い日差しも雨もオレンジの葉が適度にやわらげてくれそうな場所だった。
ひと月後、芽が二十個ほども出た。ふたつみっつ出ればいいかな、くらいにのんびり構えていたので驚いた。期待せずに植えたせいでかなり込み合っている。まずい。慌ててそこら辺の鉢やポットに分散させた。ほったらかしにするという選択肢はなかった。芽が出た以上、責任を持って育てなければと思った。
そこからは手探りの毎日だった。まず虫。なにもしないとアゲハの幼虫やエカキムシにすぐ葉を食べられてしまう。ハダニも来る。柑橘特有の病気もある。あまり農薬は使いたくなかったのでお酢由来のスプレーを買った。暑さには強いらしいがなにぶん生まれたてなので油断はできない。冬は冬で防寒対策が必要とのことで、ホームセンターで買ってきたわらを敷いたり玄関に取り込んだり。狭い鉢で根詰まりをして枯らしてしまったときはかなり落ち込んだ。
そんなこんなで今は八本になった。一番大きいのは四十センチほどの背丈がある。つやつやの葉は健康的な緑で、翼(よく)と呼ばれるハートの部分がなんだかかわいらしい。
実を収穫するには二十年かかるとか受粉樹が必要だとか言われたけれど、育てているだけで楽しいからかまわない。食べたければスーパーに行く。
そんな十二月も終わりに近づいた頃。オレンジの木の下になにかあるのに気づいた。草にしては太めの茎。文旦の芽だった。きょうだいたちから遅れること九ヶ月。この寒さのなかよく出てきたものだと感心した。
誰よりもちいさいその文旦を、新しい素焼きの鉢に植え替えた。
(誰よりも)
風にのって、賑やかな笛の音が届く。明日は町で豊作を願う祭りが開かれるのだ。
森の外れで相棒と暮らす彼女のもとにも、かすかな喧騒は聞こえてくる。若い男女が贈り物をし、愛の告白をするのだという。父の跡を継いで猟をなりわいとする彼女の暮らしに、町娘の彩りは必要ない。壁にかかったサシェでさえ、虫除けのためのもの。彼女は猟銃をかかえ、罠を張り、相棒はその耳と牙で彼女を助けるだけ。
「広場に焚いた火のまわりで夜通し踊るんだって」
すてきね、とも、くだらない、とも思わない。絵本のなかの舞踏会のようにそれは遠い景色だった。
暖炉の前に寝そべり、パタリと耳だけで返事をする相棒は、聞いているのかいないのか。ヨモギとコンフリーで作った石けんで手早く顔を洗うと、鼻のよい相棒は嫌そうに顔を背けた。
明くる朝。彼女が身支度をしていると、勢いよく玄関のドアが開いた。
振り向くと、背の高い男が立っている。
粗末な猟師のいでたちだが、ふしぎと卑しさのかけらもない。薄いグレーの目が彼女を見ている。
こんな人、町にいただろうか。移民かもしれない。近頃多いと聞いたから。
「あの、どちら様でしょう」
男はなにか言いたげに口を開けたが、言葉を発することはなかった。
代わりとばかりに突き出したのは、無骨な手に似合わない可憐な花だった。反射的に受け取ってしまう。ふわりと甘い香りが広がり、男が顔をしかめた。
--カモマイル。この季節に、どこで。
問いかけようとしたとき、しかし、男の姿はなかった。
玄関先に棒立ちになり、しばらく声も出ない。
「……お祭り、行ってみようか」
ポツリと呟く。踊れなくてもいい。ただもう少し近くで、その賑わいを感じてみたくなった。
彼女はきびすを返し、姿の見えない相棒を探すことにした。用心棒にしろエスコートにしろ、彼が必要だった。
(バレンタイン)
コーヒーの味はなにをしながら飲むかで変わると思う。
目覚めの一杯は苦くて頭がスッキリする。食後の一杯はおいしい。資料とにらめっこしながらの一杯はほんのり酸っぱい。誰かを待ちながら手持ちぶさたに飲むコーヒーは、少しだけ、まずいと思う。
(待ってて)
時々、ハワイのシロクマのことを考える。
梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」に出てくる言葉。読んだのは読書感想文を書くための本を探していた頃だから、おそらく小学校低学年だったと思うのだが、よくまあ覚えているものだ。
学校になじめないヒロインに、おばあちゃんが語りかける。“シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、誰がシロクマを責めますか。”
楽な道を、あるいは自分に向いている道を選んだとして、誰もそれをとがめることなどできない。どうしても折り合いがつかない場所で、つらい思いをし続けることはない、と。
この言葉をそっくりそのまま、あの頃の私がかけてもらえていたら。
私はずっと、ハワイで生きられないシロクマのままだ。
(誰もがみんな)