風にのって、賑やかな笛の音が届く。明日は町で豊作を願う祭りが開かれるのだ。
森の外れで相棒と暮らす彼女のもとにも、かすかな喧騒は聞こえてくる。若い男女が贈り物をし、愛の告白をするのだという。父の跡を継いで猟をなりわいとする彼女の暮らしに、町娘の彩りは必要ない。壁にかかったサシェでさえ、虫除けのためのもの。彼女は猟銃をかかえ、罠を張り、相棒はその耳と牙で彼女を助けるだけ。
「広場に焚いた火のまわりで夜通し踊るんだって」
すてきね、とも、くだらない、とも思わない。絵本のなかの舞踏会のようにそれは遠い景色だった。
暖炉の前に寝そべり、パタリと耳だけで返事をする相棒は、聞いているのかいないのか。ヨモギとコンフリーで作った石けんで手早く顔を洗うと、鼻のよい相棒は嫌そうに顔を背けた。
明くる朝。彼女が身支度をしていると、勢いよく玄関のドアが開いた。
振り向くと、背の高い男が立っている。
粗末な猟師のいでたちだが、ふしぎと卑しさのかけらもない。薄いグレーの目が彼女を見ている。
こんな人、町にいただろうか。移民かもしれない。近頃多いと聞いたから。
「あの、どちら様でしょう」
男はなにか言いたげに口を開けたが、言葉を発することはなかった。
代わりとばかりに突き出したのは、無骨な手に似合わない可憐な花だった。反射的に受け取ってしまう。ふわりと甘い香りが広がり、男が顔をしかめた。
--カモマイル。この季節に、どこで。
問いかけようとしたとき、しかし、男の姿はなかった。
玄関先に棒立ちになり、しばらく声も出ない。
「……お祭り、行ってみようか」
ポツリと呟く。踊れなくてもいい。ただもう少し近くで、その賑わいを感じてみたくなった。
彼女はきびすを返し、姿の見えない相棒を探すことにした。用心棒にしろエスコートにしろ、彼が必要だった。
(バレンタイン)
2/15/2024, 7:52:14 AM