【冬になったら】
"君はあの日の約束を覚えてる?
きっともう忘れてしまったよね。
だけど、それでもいいの。
だって私が全て覚えているんだから。
でもね、もし、もしも貴方が覚えてくれていたなら来て欲しい。約束のあの場所に。
"
今の賃貸の契約が終わるので、この際思い切って引っ越しをすることになり押し入れの掃除をしていたら、見つけてしまった。何年か前に届いた僕宛の手紙。差出人の名前は―
「知らないはずの人から届いたモノなのに、どうして未だに棄てられないんだろう」
この人の名前に身に覚えなんてない。でも、この人は僕のことを知ってる。忘れているだけ?いや、それならどうしてこんなにも胸が苦しく痛むんだろう。手紙にはこの人の名前だけでこの人の宛先なんかは書かれていない。
「…もう届いてから大分経ってしまった。この人だってきっともう諦めている」
だけど、もし未だこの約束を信じ、この"あの場所"で待っているとしたら?
「…」
きっと僕は思い出さなければいけないのだろう。この人は、多分僕を待っていてくれている。何となくそんな気がする。
何か手懸りがないかと押し入れの中を探ってみた。すると、奥にしまい込んだ段ボールの中から大学時代の時の写真が出てきた。
「…懐かしいな。…あれ?」
この娘。何処かで―
「久しぶりだな。まさかこの歳でここに来ることになるなんて」
あの後、写真に写っていた大学生の僕とひとりの女性。何かを思い出した訳ではない。ただ何となく気になって昔に通っていた大学、写真に写っていた場所に来てみた。
「懐かしい。まだあったんだ」
大学の裏の敷地。そこには立派な桜の木があった。春にはそれはもう見事に咲き、散り際は尚幻想的だった。今は枝だけがそこにはあった。
「よくここで花見とかしたっけ」
そっと木に触れた。
「そうね、楽しかったわね」
「!?」
誰もいないと思っていた。なのに背後から返事が返ってきた。驚いて声のした方を見た。そこには小柄な女性が微笑みを浮かべていた。
「…久しぶり。全然変わらない。」
その人は真っ直ぐに僕を見つめる。
"久しぶり"。その人はそう言った。だけど、僕にはその人がわからない。初めて会うのに、心臓は早鐘を打つ。
「会いたかった」
その人はそう言って、涙を浮かべた。
なのに僕には、何でその人が泣いているのかわからない。
それでも、その人を抱きしめなければいけないような気がした。気づけばその人を抱きしめていた。
「…ごめん。君とは初対面のはずなのに。」
「…いいの。私が貴方を覚えてる」
その人は笑った。どきどきした。離れたくないと思った。だけど、なぜそう思うのか僕には解らないままだ。
「わからなくてもいいの。ただ、ここに来てくれたことが嬉しい」
どのくらいそうしていたか。いつの間にか空は夕方の色に染まりつつあった。
「…暗くなってしまったわね。そろそろ帰りましょうか。」
「あ…」
その人は踵を返すと何事もなかったかのように歩き出した。どうしてだろう。それがとてつもなく寂しく感じるのは。
「あのっ、また会えますか?」
気づけばそう言っていた。その人は振り返り、微笑んだ。
「冬になったら、ここで雪だるまでも作りましょう」
「雪だるま…」
何だか拍子抜けしたけど、まぁ良いか。
冬になったら、また会えるのだから。
【はなればなれ】
何をするのも、何処に行くのも、ずっと私の隣は君だった。そう思っていたんだ。それなのに、高校生になった君は私の隣を嫌がった。同じ髪型。同じ洋服。同じ靴。ふたり向かい合えばまるで鏡に映った自分を見ているようで。君は繋いだ手を振りほどき、私をひとり残した。どうして一緒にはいられないのだろう。君の隣には私ではないどこかの可愛い女の子が君と手を繋いでた。今まではそこが私の場所だった、そしてこれからもそうだと思ってた。いつの間にか君は私の背を追い越し、長かった髪をバッサリと切り落とし、同じ洋服は一着もなくなり、足の大きさが変わり今までの靴は履けなくなった。ふたり向かい合っても私は君を見上げ、君は私を見下ろす。同じ顔なのに同じではなくなってしまった私達。もうあの頃のようには戻れない。さようならもうひとりの私。さようなら、私の初恋。
【子猫】
「はぁ…疲れたなぁ」
仕事が終わり帰宅する。上着のポケットから鍵を取り出す。鍵を回し、玄関を開けても迎えてくれるそいつはいない。電気を付け、ソファーに上着と鞄を置く。
蒸し暑くなってる部屋の窓を開けた。見上げれば月が綺麗な色をしていた。
途中コンビニで買ったビールとつまみを袋から出す。ビールの缶を開け一口喉の奥へと流し込んだ。ビールのほろ苦さと薫りが口と鼻を刺激する。
「ふぅ…」
ひと息つくと、煙草を取り出しライターで火をつけた。
もう一度空を見上げる。今夜はよく晴れていた。
そいつと出会ったのは酷く雨が降っていた夜だった。
「くっそ!雨が降るなんて言ってなかったよな!」
この日は、残業で家に帰れたのはもうとっくに深夜を過ぎた頃だった。
「あっの、糞部長!てめぇの仕事くらいてめぇでケリつけろよ!たくっ」
土砂降りの中、悪態を吐きながら家路を走った。もう全身、靴の中までグショグショだ。気持ち悪すぎるだろ。
「ハゲ散らかせ糞野郎」
雨の音が激しさを増すのをいいことに日頃の鬱憤を吐き出し、もうすぐ家に着くと言う時―
―…ッ、ニャー…―
「…ん?」
何やら微かに動物の鳴き声のようなものが聴こえた気がした。
「どこからだ?」
気にしなければそれでよかったんだが、この日はなぜだが足を止め、鳴き声に耳を傾けた。
「…」
何も聞こえない。
「気のせいか?」
そう思い、再び駆け出そうとしたその時。
「ニャー、ニャー」
やはり鳴き声がする。何処だ?
俺は辺りを見回し鳴き声の主を探した。
そして、
「…いた」
そいつは電柱の影にいた。子猫だ。それも黒猫。天気の悪さもあって電柱の影と同化して見つけるのに時間がかかった。
「おい、大丈夫か?」
俺が抱き上げると暴れる元気もないのか逃げ出そうとはしなかった。子猫の身体の体温は冷たく、かなり震えていた。
こんな時間じゃ動物病院もやってない。取り敢えず、家に連れ帰ることにした。
「ただいま」
と言っても独り暮らしの俺には帰ってくる言葉もないのだが…。虚しすぎるだろ!それはさておき。
「連れてきたはいいけど…どうすっかな」
スマホを取り出し検索をかける。
「…うーん、病院は明日連れていくとして、まずは―」
と何とかかんとか試行錯誤でやった。
「あとは、里親か…」
一応あの後片っ端から友人、知人、同僚、家族に電話をして宛を聞いては見たが今だ連絡来ず。
「…」
肝心の子猫はすやすやと健やかな寝息をたてていた。
「お前は呑気で良いよなぁ」
そっと気持ち良さそうに眠るそいつの頬をつついてやった。するとくすぐったそうに一声鳴いた。
あの後、友人の友人家族が引き取ってくれることになりそいつは俺のもとを去った。1ヶ月共に暮らしたというのにそいつは俺への恩義も忘れ、すんなり新しい家族を受け入れた。何だか、初めての彼氏を連れてきた娘の父親の気持ちがわかったような気がした。
「あれから、1週間かぁ。」
早いもんだな。少ししんみりしつつ、ビールを呑み込んだ。
「まぁ、元気ならそれで良いか」
そう思い直し、つまみの袋を開けた。
【秋風】
秋はどうしてこうも人をしんみりさせるのが好きなのか。秋に吹く涼やな風はなんだか肌恋しくなる。会話の中で貴方が私の名前を呼ぶ、たったそれだけで私の心は温かさに染まる。
【また会いましょう】
月明かりに照らされて君はくるくるくるくる。
湖の上をまるで背中に羽があるかのようにくるくるくるくる。
手を伸ばせば君に触れられる距離。
それなのに―
「…っ」
どうしてこんなにも息が詰まる程、君は美しいのか。
あぁ、もう帰ろう。これ以上君を見続けるのは憚れる。本当は君に近づきたい。その身に触れたい。全てを奪ってやりたい。彼女から溢れる色香に思考が支配される。いくつもいけない考えが浮かんでくる。やはり、彼女は妖女なのだろうか。肌は透き通るように白く、髪も風になびくような白髪。瞳は光に照らされ瑠璃色がキラキラと煌めき、唇は深紅に濡れていた。それならば早くここから立ち去ろう。その瞳で微笑まれたら、俺の魂はきっと君に呑み込まれる。そう思い立ち、俺は踵を返した、だが…
パキッ―
「ッ(しまった!)」
うっかり足元に転がっていた小枝を踏んでしまった。彼女に気付かれてしまっただろうか?
「もし。その様なところにいらっしゃらないで、此方に来なさいませ。」
「…」
終わった。俺の魂は妖女に呑み込まれ永遠にこの世に戻ることはないだろう。
「そう、怯えなくともあなた様に危害など加えません。どうか、普通に振る舞いください」
彼女は俺の顔を真っ直ぐに見つめ微笑みをくれた。
「…何が目的だ?」
俺は警戒した。気を抜けば、一発で妖女の腹の中だ。
「目的だなんて。その様なもの私にはありません。ただ」
再び彼女は微笑むと。
「ずっと私を見ていらっしゃいましたよね?」
「…ッ!?」
言葉が出てこなかった。覗き見に気付かれていたのだ。
「あぁ、別に責めてはいないのです。」
そう妖女が付け加えた。
「どうでしたか?」
「は?」
妖女はうつむき、両指を動かしている。
「私の舞いは、あなた様から見てどうでしたか?」
妖女は顔を上げ俺を上目使いで見つめる。その表情は不安げに揺れている。
「…」
俺は少し動揺した。まさか、こんな展開なろうとは。答えなければ俺はどうなるのか。いや、答えたとうてどうなるのか。
「…はぁ、そうですよね。」
「え?」
俺が答えあぐねている間に妖女はひとり納得して俺に背を向ける。
「私、次の満月の夜、月の国の繁栄、豊穣を願っての祈りの儀式を命ぜられそこで民皆の前で一夜舞い踊るのです」
「あんた…やっぱり」
「ええ、人ではございません。私は月の御使い。神子なのです」
「月の…あんたもしかしてあの伝説のかぐや姫か!?」
俺は目を丸くした。目の前の神子様は微笑む。
「その姫様に使えるのが私なのです」
そう言って神子様は愛おしむように半分欠けた月を見上げる。
「失敗することは許されません」
そう決意するように神子様は掌を握りしめる。よく視るとその手は朱く爪の傷跡があった。何度その掌を握りしめたのか。努力と決意のあとがそこにはあった。
「なら、あんたの舞いは申し分ない程見事だったよ」
「え、?」
俺はそっと神子様の手を取り、懐から手拭いを出しそれに巻き付けた。
「だからあんまり気負いすぎるな。せっかく綺麗な指なのに」
「あ…」
神子様は俺の手拭いが巻かれた掌を見つめた。そして、
「ありがとう」
何度もらったかわからない微笑みを今度は素直に受け取ることが出来た。
「…じゃあ、盗み見て悪かったな。あんま無理すんなよ?じゃな」
と、会話が途切れ、急に照れ臭くなった俺はこの場にいるのがいたたまれなくなり今度は違う意味で立ち去ることした。
「あ、あのっ!」
「は!?」
背中を向けた俺に神子様が勢いよく上衣を掴んだ。俺は顔だけを向けて間抜けな声を出した。
「また来てくださいますか?」
「え?」
「貴方に見てていただきたいのです」
そう言う神子様の頬は少し赤らんでいた。
「…だめ、ですか?」
そう言って今度は上目使いで俺を見上げる。そんな可愛い顔で見られたら男は―
「…俺でよければ」
こう言わざる終えない。俺がそう言えば神子様はぱあぁっと瞳を輝かせ、俺にこう言った。
「それでは、明日の晩。今宵と同じ時刻に―」
"またお会いしましょう"