8. 花咲いて
祖父母宅のトイレの壁には、知っている限りずっと変わらず1枚のカレンダーが貼ってある。2006年のカレンダー。自分が生まれた年だ。書道家が各月に一言書いているもので、やはり生まれた月の言葉は目に留まる。
笑顔の種蒔けば、〇〇の花が咲く
漢字二文字が思い出せない。それがこのお題を見たときのことだった。
翌日から体調を崩し、数日間の多くの時間を布団の中で過ごした。そのときに思い出したのだ。
笑顔の種蒔けば、健康の花が咲く
このお題は「花咲いて」だった。花が咲いたら種ができて、また土に蒔かれる。
私は今まで、あれは健康に重きを置いた言葉だと思っていた。
今まで、健康を目指しては適切な運動、バランスの良い食事、十分な睡眠が出来ないと自分を責めてしまうこともあった。
しかし、今思い返せば、健康は花であり、すなわち過程なのだ。ゴールは笑顔や幸福なのに、それを忘れていた。
私がするべきことは、種蒔きだった。笑顔でいれば、健康は付いてくる。そしてまた笑顔がもたらされる。意外で、しかし優しいメッセージだ。
祖父母が18年も遅れたカレンダーを依然貼り続けている訳が少し分かった気がした。
7. もしもタイムマシンがあったなら
タイムトラベルと言ったらメン・イン・ブラック3(MIB 3)を思い出す。引かないでほしいのだが、昨日アニマル・ボリスのモノマネをして遊んでいた。「ただボリスと、そう呼べ。」
映画もドラマもアニメもほぼ見ないが、好きな洋画を聞かれたら迷いなくMIBと答える。あのノリ、テンポ感がたまらない。俺みたいなバカでも存分に楽しめるのはありがたい。
MIB 3にはタイムトラベルのシーンが何回かでてくる。タイムマシンと言えば乗り物を思い浮かべる人が多いと思う。しかしそのマシンは掌に収まる程の大きさしかない。どう使うか想像つくだろうか。ぜひ映画を観て確かめてほしい。当てた人は天才。
さて、もしもタイムマシンがあったら使うのだろうか。多分自分のためには使えないな。それをやり始めたら切りがない。
しかし持っているだけでも、ああすれば良かった、こうすれば良かったと色々思い出してしまいそうだ。だから机の引き出しに閉まっておこう。物を失くす天才なので、そのうちどこに閉まったか忘れる自信がある。
時間旅行への興味が薄すぎるので今日はこれくらいで終わろうと思う。明日はMIBを見返そうかな。
1つだけ付け加えると、タイムトラベルはしたくないが、タイムマシンを使う動作だけ再現してみたい。絶対楽しいので。
6. 今一番欲しいもの
欲しいものを聞かれても答えられない。
そして必ず
「お前は贅沢だ。小さい頃から何もかも与え過ぎた。」
と返ってくる。
その通りだと思う。
食べるものも、住むところも、着るものにも困らなかったし、勉強道具も与えてくれた。
両親と一緒に暮らせている。
遊び相手にも困らなかった。妹が生まれてから、家に一人という状況はなかった。
高校を選ぶときも好きにすればとしか言われていない。大学も。
これらを支えているのは親の労働と良心だ。その苦労を考えたこともなく、これが当たり前だと思って育ってしまったから、これから先が不安だ。
何が不安かというと、それだけこれから失っていくものが多いというのが不安だ。
父は何度も入院して手術を受けている。最近金遣いが荒いのは、もう長くないと思っているからではないか。憶測ばかりして何も聞けずにいる。
一番醜いのは、死なないでほしいという気持ちの中には、お金が無くなったら困るという最悪の理由が含まれていることだ。なんて親不孝なのか。
更に、欲しいものが浮かばないということは向上心がないことを意味している。
例えば、かっこよくなりたいという心持ちがあれば、筋肉がほしい、洒落た服がほしいなどあるはずだ。
向上心があるから、必要なものがはっきりする。
堕落しているから、何が必要か分からない。
今も指定校推薦に引っかかればいいやと堕落した生活を送っている。
だから、強いて言えば向上心が必要だ。欲しいわけではないが。
5. 私の名前
中学まで、名前が嫌いだった。
クラスの自己紹介で毎年言っていたのが名字で読んでくださいだった。中々絡みにくいヤツだ。
成人したら改名したいとすら思っていた。
ところが高校に入って、名前嫌いが徐々に無くなってきている。皆が皆名前で呼び合う学校だった。何故かは分からない。ただ、内部生も先生もそうしているから段々そうなっていく。
最初は名前で呼ばれるのは違和感そのものだった。
しかし、クラスメート、尊敬する先生、苦楽を共にした委員、腹割って話せる友人、そして部活の後輩までもが呼ぶもんだから、俺の名前はもう俺だけのものではなくなってしまった。となると、それなりに愛着が湧く訳だ。一応成人したが、名前を変えるつもりはない。
どうやら名前は、呼んでくれる人の気持ちが注がれる容れ物に過ぎなくて、その中身が肝心みたいだ。
だから、俺も人を呼ぶときは気持ちを込めて呼ぶ。もちろん良い気持ちを。
4. 視線の先には
金魚。金魚を飼っていた。名前はつけなかった。どの名前もしっくり来なくて。それに、呼ぶことがない。話しかけるときも声は心の中で留めているし、必ず金魚を見ているときだったから。
私は今まで何度もその金魚を見た。君ってこんなに気持ちよさそうに泳ぐんだね。
おはよう。ただいま。おやすみ。まだ起きてたのか。ご飯だよ。水換えするから掬わせて。今日も泳いでるね。
いつからだろう。
鱗の様子がおかしいよ。苦しいね。薬だよ、これで良くなるといいね。辛いよな。こっちの薬のほうがいいかな。
気分は看護係だった。休日は治療法を調べて比べてみて、平日は部活から帰る足が何だか速くなっていた。エラが動いているのをこの目で見たかった。
「ただいま」
おかえり、と言われると同時に水槽に向かう。
ああ、良かった。大丈夫。
金魚は長いこと戦い続けたが、もう泳ぐ力も残っていないようだった。私は自分の無力を嘆いた。もはや餌をやることもできないほど弱っていた。
ある朝、いつものように水槽を覗くと視線を感じた。こちらを見ている。私もそちらを見ている。
初めての出来事に不思議な気持ちになっていると、君は泳ぎだした。それはかつて私の目を何度も奪ったあの優雅な泳ぎだった。そうだ、君はこれから元気を取り戻して、また一緒に穏やかに暮らすんだ。見惚れていると、あっという間に時間になっていた。行ってきます。
授業中も金魚の泳ぐ姿を反芻していた。帰り道もいつもより上機嫌だった。
「ただいま」
「今日ね、」
「ん?」
「死んじゃったの、金魚」
私が金魚を看取ることはなかった。亡骸も母が見えないように「処理」して「捨てた」という。悲しみや寂しさよりも突然顔でも叩かれたみたいな衝撃が私の心を支配した。
翌朝、いつも通り水槽のもとへ向かうが水槽はない。そうか、昨晩洗って仕舞ったのか。私の手は取り残された餌の袋へ向かう。浮いたり大粒だったりは食べづらそうだったからいつも小粒の沈殿タイプ。美味しそうに食べてたよね。
久々にジッパーを開けて中を覗く。
ああ、食べさせてあげたかった。
気付けば全て口に流し込んでいた。