つぶて

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5/25/2023, 2:54:50 PM

雨に打たれていた。
溢れ出る涙が私の全てだった。
全身を濡らし、私という輪郭を保っている涙。
途切れてしまえば、私は私でなくなる気がして、
どうしようもなく溢れてくる。

乾いて砕け散るくらいなら、
このまま心ごと溶けて雨になってしまえばいい。
あの人のもとへ降る雨に。

だからどうかお願い。
いつまでも降り止まないで、雨。

5/24/2023, 2:00:57 PM

『不安なのは希望があるから。
 不安なのは努力したから。
 不安に思うことを恐れないで。』

「……先生、何してるの?」
「あら、見つかってしまいましたか」

夜の帳が下りた森の湖面に三日月が浮かんでいた。
私は愛弟子に微笑んで、水面に記した文字を示した。

「ちょっとした魔法の練習よ」
「これ、時空操作系の魔法。未来を観てたの?」
「いいえ。過去に残してたの」
「……そうなんだ」
「眠れませんか?」

大人びてきた彼女は肯定も否定もしなかった。緊張しているのだ。明日は見習いたちの卒業試験。年に一度しか開催されない、魔法使いの登竜門だった。

「この場所、私の特訓場でもあったのよ。あなたと一緒。卒業試験の前にここへ来てね、泣いちゃったの。不安で仕方なくて。またダメだったらどうしようって。怖くて仕方がなかった。それで、ここで未来を見ようとしたわ」
「それって……」
「そう。ほら、あなたにも見えるでしょう?」

私はそっと彼女の頭に触れる。
水面を見つめるその姿に、若かりし頃の私が重なった。

5/23/2023, 11:49:32 AM

力が欲しかった。
誰からも一目置かれ、畏敬される騎士になりたかった。
たとえ、闇に堕ちてでも。

だから俺は闇を眷属に従えた。人の心を喰らう魔物。一度取り込めば後戻りできないことなど全く意に介さなかった。俺なら使いこなせるという自負があった。

強烈な一撃を喰らって臓腑に熱が迸る。
地面に強かに打ち付けられると、激痛に意識が飛びかけた。もう顔を上げることすらできなかった。

「二度と俺の前に立つな」

遠ざかる足音。俺はなすすべなく夜の空を見ていた。
埋まらない力の差。歴然たる実力差。まるで敵わない。勝てる気がしない。

俺は、間違っていたのか。
そんな疑問がよぎって体が砕けそうになる。
視線を下げると、闇に侵蝕された右半身があった。
あの時の自分が下した、決意の呪縛。
じわじわと蝕む呪いがすぐそこまで来ている。
もう逃げることはできない。

俺は血の涙を流し、やがて意識を失った。

5/22/2023, 12:44:29 PM

時計塔から鐘の音が聞こえた。
僕はラボのソファで眠りこける女性に声を掛ける。

「先輩、起きてください。もう12時です」
「……ん……なに……」
「12時です。正午ですよ」
「……あ」
「どうしました?」
「……昨日と明日のまんなかだあ」

新事実を発見をした、みたいな満点の笑顔を浮かべた彼女は、ゆっくりと瞼を閉じる。僕は慌てて話を繋いだ。

「昨日と明日といえば……明日っていい響きなのに、昨日ってあまり響かないですよね。今日を基準にすれば同じ距離なのに」
「んー……そうだねえ」
「なんでなんでしょうね」
「それはねー、明日に向かって進んでるからだよ」

夢うつつで言った彼女は、まもなく寝息を立てはじめた。僕はぽかんとして、それからドップラー効果、という単語に思い当たった。救急車のサイレンが近づいてくる時は高く聞こえ、離れていく時は低く聞こえる、あの現象だ。

僕はそっと息をついて、上げたばかりのブラインドを落とす。理論や理屈が主食の先輩は、眠くなるとなぜか空想的になる。不思議なことだけど、僕はその感性を買っていた。

夢の中の先輩はどんなだろう。一度会ってみたいものだけど、それはそれで少し困る。先輩に対するこの感情を見透かされるような気がするからだ。


5/21/2023, 1:36:27 PM

展望台から望んだ池は水面に緑を映していた。
それがあまりにも綺麗だったから、
もっと近くで見たいと思った。

茂みに分け入り、薄暗いぬかるみを行く。
池のほとりに辿り着いた時には、
靴がすっかり泥だらけになっていた。

目の前には、澄みわたった静かな池。
そろりと覗き込むと、透き通った水の向こう、
ゆらゆら泳ぐ魚やキラキラ輝く石、
見たことのない神秘的な世界が広がっていた。

夢中になって眺めていた僕は、ふと展望台を振り返る。
遠く、写真を撮る人たちの姿が見えた。

みんな、どうして降りてこないんだろう。
この光景を見ないで帰るなんて。

僕は池の底に目を戻す。
なんだかもったいない気がした。

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