「………………」
「………………」
かれこれ十分、二人は見つめあったまま。
一言も発さず、呼吸さえ忘れたかのように。
睦言を囁きあっているのならまだ分かる。
人目もはばからずイチャつくバカップルとして断罪しよう。
喧嘩をしているならまだ分かる。
メンチを切り合い一触即発な雰囲気を打破し引き離そう。
が、
ただただ無言で見つめあっているのである。
周囲もどうしたものかと動けず、異様な空気のまま、今十三分が経った。
もう限界だ。
片方のツレが思い切って声をかけた。
「ちょっと」
彼の人生で一番嫌な「ちょっと」であったという。
その「ちょっと」で、二人は拍子抜けなほどあっさり視線を外し、距離を取った。
そうして、一言も交わさないまま各々の群れへと帰り、何も無かったかのように振る舞いはじめる。
さすがにそのままスルーも出来ず、お互いのすぐ隣の人間がごく当たり前のことを聞く。
「何をしていたんだ」
二人は同じように答えた。
「自分がどう映ってるかを見てた。手遅れだった」
#君の目を見つめると
ある画家が亡くなった。
高名というほどでは無いが、小さいながらも人気のあるギャラリーの一角を長いこと占領していたこともあり、固定ファンの多い御仁だった。
享年72。長年の不摂生がたたっての末路。酒タバコ、加えてギャンブル依存性。一言で言えば最低な部類の人間だった。
葬式では「金返せ」「せいせいした」と泣き笑う人間がチラホラいたとか。
ひと月後、晩年身の回りの世話をしていた女たちが、小さなお別れの会を例のギャラリーで開いた。
壁一面には彼の絵が掛けられ、各々が思い出の絵について語らう中、とあるご婦人が声を上げる。
――こちらは、初めてのお披露目では?
それは、F3号の小さな絵。
どことも分からぬ丘から空を見上げた構図。
暗い、暗い星空の絵。題は無い。
世話役の取りまとめを務める恰幅のよい女性が、困ったように笑いながら答えた。
――先生が、死んだら飾れと仰るものですから、本日のお目見えになりました。
しばらくはその無名の絵の話題で盛り上がり、酒も回った後は画家の悪口大会に見せかけた、誰が一番画家と仲が良かったか、誰が一番画家を理解していたかの静かな自慢大会。
そうして宴もたけなわ、1番のパトロンでもあった画家の旧友の感謝と追悼の言葉で会は締められた。
数人から例の星空を買い取らせて欲しいとの申し出があったものの、世話役の女も絵の預り主の旧友もけして首を縦に振らない。そうして口を揃えて言う。
――待っている人がいる。
無名の星空はその後、誰とも知れずギャラリーから姿を消した。
#星空の下で
――それでいいよ。
それでいいって、何だったんだろう。
デートの約束も、行きたいところも、やることも、食べたいものも。
全部アタシからで、全部に「それでいいよ」だった。
我が強いのは自覚してるし、従ってくれることを優しいとも思ってた。
「それがいいよ」とは一回も言ってくれなかった。
びっくりするぐらい自分が無いんだなって気づいたのが先なのか、気持ちが冷めたのが先なのか分からない。
でもさ、「別れよう」に「それでいいよ」は無くない?
引き止められるなんて思ってないけどさ、「それでいいよ」は無いわ〜。
腹立つより呆れて笑えちゃう。
いいよ、アンタはずっとそれで生きていけばいいよ。
アタシはこの先も「それがいい」で生きていくから。
……アンタのことも「それがいい」だったから、告白したんだけどね。
#それでいい
「ひとつだけ、聞いてもいい?」
「いいよドンと来い」
そういう所が嫌いだった。
いっつもいっつもふざけてて。
真面目な話してたってニコニコにこにこ。
大げさな身振りと話し口調。
ずっと遊んでるのかずっと真剣なのか分からない。
誰も特別じゃないのに、誰も離れさせない。
そういう所が嫌いだった。
「この世界は、楽しかった?」
「もちろん」
なら良いや。
なら良いよ。
僕も、楽しかった。
#1つだけ
旅人さん、旅人さん。
あなたがまるで竹馬の友のように大事になさっている、その、ええ、その箱です。
旅人さん、一体全体その箱の中身は何で御座いましょう。
いえね、あなた様がこんな夜更けにこの宿へ飛び込んできてからずぅっと気になっておりまして。
お客人の荷を探るだなんて不躾な真似を、どうぞご容赦ください。
ええ、ええ、その罪過は十二分に承知しておりますが。
なにせこんな山深く、常に薄やみの中にございます、吹けば飛ぶような小さな宿。野盗やならず者がすぐ傍でいびきをかいているような場所故、人よりも臆病者でなければやってはいけませぬゆえ……。
なに、教えて下さりますかっ。ははぁ、お優しい方だ、お大尽さまだ。ありがとう存じます。
………………大切なもの、で、ございますか。
いやいやいや、悪いお方だ、とんだペテンを仕掛け為さる。この老いぼれを落胆させて笑うとは。
……ただの大切なものではない。それは一体。
はあ、はあ、ふむ、中を覗いた者にとっての「大切なもの」が見える箱、にございますか。
そのような手妻なる箱、一体全体何処で。
代々おうちに。やぁ、さぞ立派なお家柄なのでございましょうな。
……なに、わたくしに覗いてみろと?
泊めてくれた礼にと。宿屋の古狸に何を仰りますか。疲れた旅人さんに一夜だけの癒しを施すことが生業ゆえ、礼など要りませぬ。
しかし、ふむ、確かに気になります。大切なもの。
大方の予想はつきますゆえ、覗くこともやぶさかではない、が。
辞めておきましょう、旅人さん。
わたくしはまだ、もう少しこの宿屋の主人でいましょう。
覗いた先に後悔の欠片があってはならない。あってはならないのです。
どうぞ旅人さん、お眠り下さい。お眠り下さい。
あなたの大切なものを抱いて、お眠り下さい。
#大切なもの