「夫婦っていいものですかー?!!
私、結婚する勇気がなくってー!!」
夕暮れ時、海の中にある夫婦岩に向かって、
何を思ったか若い女性が叫んでいた。
ヤバいやつだと皆遠目に見ているが、
本人は一向に気にしていない。
夕陽が岩と砂浜の女を赤く染める。
「夫婦って、窮屈で不便だと思いませんかー!?」
「なんでも二人で解決しようなんて考えなければ、
なんとかなるよぉう」
私は低い声で叫んで、車に逃げた。
がんばれ若者。
どうすればいいのか、
だいたいそう自分に問う時点で答えは
出ていることが多い。
しかし一度だけ、真摯に自分にこの問いを向けた
ことがある。
それは、先に言ってしまうと、
下痢に襲われた時だった。
汚い話でごめんなさい。
その時は高速道路上で
私は助手席、運転手は異性だった。
あれ…
と思ってから冷や汗が出るまでが早かった。
やばい、これは…
というころには、私は全力で肛門を閉めていた。
次のサービスエリアまでは10分だった。
10分…。
この長さは経験した者にしか分からないと思う。
どうする、どうする、どうする私!?
私は自分に何度も問うた。
肛門の筋肉は耐えられても40秒と聞いたことがある。
それは困る!
40秒後にもう一度力を入れ直してみればいいのか?
ビニール袋は?ない!紙おむつもない!
どうする、どうする…どうする私。
意識の大半が黄門様に注がれているためか、
だんだん問いが本質からズレてくる。
さっき食べたなか卯の牛丼のせいか?
ここで爆破した場合、この異性のリアクションは?
二人の未来は?
幸い今日はスカートだから、着脱時の刺激は少なそうだが、待てよ、
着いてからトイレまで、走れるか?
そこで誤爆した場合…?
車は最後の急カーブにさしかかった。
ああ、もうダメかもしれない。
なぜ女性に生まれたんだろう…
最後はもう訳の分からない問いになっていた。
なんとか着いて、なんとかなった。
水戸様には感謝してもしきれない。
どうすればいいのかって?
ワシにまかしておけばよいのじゃ、
フォッフォッフォッ。(水戸様の声)
高速道路は要注意です。
思い返すと、人生の節目節目で
自分を支えてくれる言葉をもらった。
高校生の時、なにかと不安定だったが、
周囲にそんな素振りを見せられない私は
常に気丈に振る舞っていた。
雨の降る学校からの帰り道、
たまたま一緒になった
クラスの男子が、雨を見ながら何気なく、
あなたは頑張り屋で、何でも白黒つけようと
するけれど、
世の中のことはほとんどグレーなんだよ。
だから肩の力を抜いたらいいよ。
と言ってきた。
私はふいに向けられた言葉の的確さに
驚いてしばらく沈黙し、
その言葉の底に優しいものがあることに気づいて、
泣き出してしまった。
泣き止んだころに
雨が上がって、二人で笑った。
私にとっての宝物は
そんな思いやりに満ちた言葉たちと
それを投げかけてくれる人々だ。
私もそんな言葉の使い手になりたい。
冬になったら
昔聞いて今も忘れられない話。
冬になったら、父に会えると思っていたの。
ほら、私母子家庭なんだけど、
父は近所に住んでいて。母の他に女がいたのね。
母は毎晩泣いて、朝になると弁当を作って私にもたせるの。
父のところに持っていくようにって。
私は毎朝自転車に乗って、
その女の家に停めてあるママチャリに弁当を置いた。
ある日たまたま酔っ払った父が出てきて、
冬になったら帰るから、と言ったの。
漠然としているけど、小学生の私はその言葉を信じて待った。
それまでは、貧乏で半袖しか着られないから
冬が大嫌いだったのに、急に待ち遠しくなった。
ずっと寒ければいいのにと思った。
もちろん父は帰って来なかった。
三十になって、父が死んだと言う知らせが来て
葬儀にかけつけたら、
父の娘は私以外に3人もいたの。
もちろん、そんなの知らなかったわよ。
向こうの人たちも、露骨に嫌な顔をしていた。
弁当を届けることが嫌じゃなかったか?
全然。時々、摘んだ花なんかも添えたりして笑。
父を憎んでいないのか?
私は今でもすごく父が好き。母もそれは変わらなかった。どうしてかって聞かれても…分からないけど、
おかげで私の人生に冬は来ないのよ。
今日はミニラブストーリーに挑戦💖
舞台の紫雲出山は香川県にある山です。
紫雲出山の山頂に来た。
見下ろす紺青の海は遥か下で光り、
波の音は届かない。
もともと静かな内海だが、
今日は頑なに押し黙って
私たちの息遣いを聞いているようだ。
その静けさのせいだろうか。
山頂は、柔らかな初春の陽光の中で
浮いているようだった。
天国とはこういうところだろう。
別れることの決まった恋人と手を繋ぎながら、
私は思った。
もうここが天国でもいい。
「島が多いなー。ちいさい島が。」
恋人が続けて言う。
「知ってる?昔瀬戸内海は陸地で、そこに
海水が流れてこんな景色になったんだよ。」
そうか。この小島たちも昔は山として
並び、手を繋ぎ、陽を浴びていたのか。
その山々の間に海水が侵入し、
離れ離れになるところを私は想像した。
私たちもこれから、「恋人たち」を終えて徐々に
個々の人間になる。
でも、この島々は海底では繋がってる。
「いい景色になったもんだ。」
私は自分に出せる一番の明るい声で言って、
握った手を離した。