"ないものねだり"
現実的に考えて手に入れられるもの以外は、欲しいと思ったり羨んだりしない。
どう頑張っても無理なものに時間を費やすのは無駄。
足りないものがあったら別の何かで補えばいい。
"好きじゃないのに"
最初は『こいつの声、なんか良いなぁ』とか『こいつが近くにいる時の匂い落ち着くなぁ』くらいで《好き》って言う程じゃなかったのに。
いつしか近くにいないと心がソワソワと落ち着かなくなって、近くにいると嬉しいけど照れるようになった。
それが《好き》という感情だと気付くのに時間がかかったし、向こうから告げられるまで気付かなかった。
いや、『気付かなかった』んじゃなくて『知らなかった』。
これまで誰かを気に入ったり好きになったりした事がなかったから、名前がある感情だと知るのに時間がかかった。だから年下に言わせてしまった。それに便乗するような言い方で告げてしまった。
ホント情けないしかっこ悪い。
何年経っても引き摺ってる。
"ところにより雨"
「そろそろ行くか」
時計を見てそう呟くと、立ち上がってジャンパーを羽織り、丁寧に折り畳んだマイバッグを手に取ってジャンパーのポケットに入れる。
スマホを操作して、天気予報アプリを開いて夕方の天気を見る。
【曇りところにより雨】という文字が躍っていた。
──折り畳み持っていくか。けど今吹いてる風じゃあ、耐えきれずに裏返りそう。けれど普通の傘を持っていって雨が降らなかったら、帰る時嵩張る。
どうするか悩み、机の下を覗き込んで水を飲んでいるハナを見る。
水を入れた皿から離すと前足を片方上げて丁寧に舐め、その前足で顔を拭き始める。
──普通の傘にしよ。
扉の傍に立て掛けていた傘を手に取って「行ってくる」とハナに告げて部屋を出た。
"特別な存在"
人気の無い場所や、自分達以外の出入りが無い室内のみ。
男の、ましてやあれだけ動くのに摂取カロリーが少ないせいで余計固い俺の膝枕の何がいいんだか。
よく所望されるが、本当に物好きだ。
足を閉じてやると、ゆっくり頭を乗せる。そして俺の顔を見上げる。
愛おしいものを見るような目で。
「……なんだ」
「いや、なんでも無い」
ふっ、と笑いながら瞼を閉じる。
──人の顔ジロジロと、そんな目で見て……言いてぇ事あんなら言えよ。
だが、言霊にはしない。
ゆったり流れる静寂な時間の中で、少しでも長く心身を休ませる為に。
"バカみたい"
誰かと話しているのを見ると、胸の奥が痛む。
仕事以外は点でダメなポンコツみたいな質《たち》だから、相手は殆ど仕事の付き合いで会話の中身は仕事の話で医療用語だらけ。
同業者だから用語は理解しているし平気だけど、科が違えば大意の専門分野も違う。
俺の知らない外科用語を散りばめて話していると、胸の奥が何かに刺されたようにチクリと痛み、次第にジクジクと膿んでいくように自分の黒い感情が広がっていくのを感じて、顔を背ける。
何年経っても消えない痛み。
これの正体が何なのかは知っている。
バカみたい。
俺なんかが、バカみたい。
見苦しいのに。
名前だけの──それらしい名前を付けただけの関係なのに。
この関係になれただけでも充分すぎるのに。
関係が何年も続いているのだって贅沢すぎるのに。
なんて自分は強欲なんだろう。
俺にそんな思いを抱いていい資格など無いのに。