ミミッキュ

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1/26/2024, 1:10:18 PM

"ミッドナイト"

「今日満月だってよ」
 聖都大附属病院の、人通りの少ない箇所に位置する廊下に面する休憩スペースで、片手に持つスマホの天気予報に目を向けたまま、カップのホットコーヒーを啜って、テーブルを挟んで向かいに座る飛彩に向けて言う。
「しかも今夜は晴れらしい」
 そう話を続ける。だが何も帰ってこない。いつもなら「そうか」とか短くとも何かしら言葉を返してくる。何かあったのかと不思議に思い、視線をスマホから離して飛彩を見る。何やら物思いにふけっているようで、目は彼の手前に置いているカップの中だが別の、どこか遠くを見ているような目をしている。
──何か思い悩んでんのか?
 なんだか嫌な予感がした為、口を開く。
「おい」
 何も返事が無く、微動だにしない。気付いていない。これは相当だと見た。
「おい」
 今度は少し怒気を込める。耳に入ったようで、目の焦点が合い、その後すぐパッと顔を上げてこちらに目を向ける。「済まない」と小さく謝ると、ホットコーヒー──飛彩はカフェオレ──を啜る。
「何の話だ?」
「……どこまで聞いてた?」
「今夜は満月だ、という所まで……」
 やはり、そこまでははっきりと聞いていたようだ。更に聞き出そうと口を開いて再び問いかける。
「寝不足か?」
「違う。毎夜睡眠時間はしっかり確保しているし、夜勤での仮眠も適度に取っている」
 やはり違うようだ。あの虚ろな目は、明らかに睡眠不足から来るような目ではなかった。
「……満月に何か嫌な思い出でもあんのか?」
──当たりか。
 言いづらい事だろうとコーヒーをゆっくりと啜り、言葉を待つ。
 数秒程静寂に包まれる。そしてゆっくりと飛彩の口が開かれて、静寂を切るように言葉を発する。
「高校生の頃の事を思い出した。二年の時に、不思議な症状で運ばれてくる患者が出てきた」
「《無気力症》」
「そうだ。やはり知っていたか」
「当たり前だ。新聞記事に載ったり、ニュースになって、騒がれてたんだから、知らねぇって言う方が無理だろ。特に十二月とか、その二ヶ月後」
 当時、《無気力症》というものが突如流行りだした。初めはストレスから来る精神病だと思われていたが、《無気力症》の患者は日に日に増えていき、何かしらの陰謀が囁かれていたりした。
 医大で、勿論病院の近くという事もあり、授業中に救急車のサイレンが響き渡るのは普通だったが、午前の授業一つに何度も何度も響き渡る事まではなかった。
 最初は授業どころではなかったが、いつの間にか日常茶飯事となっていた。学年が上がった時、救急車のサイレンが時折響き渡る程度に戻った時は、不謹慎だが、ちょっと寂しさを覚えていたのを思い出す。
「あぁ。だが、父の言伝での印象だが、《無気力症》で運ばれてくる患者が、満月の次の日に多かったなと」
「あぁ……そういや……」
 当時の記憶を巡らせる。確かに、二月頃の比ではないが、満月の次の日の午前授業の時は特にサイレンの音が多かった。まるでコーラスのように、何度も重なって聞こえていた。その時が一番授業どころではなく、やむを得ず自習になったりして、その年の定期試験対策が大変だった。
「それと、妙な感覚があった」
「妙な感覚?」
 単語をそのまま聞き返す。すると「あぁ」と小さく頷いて言葉を続けた。
「はっきりとは覚えていないが……、確か……梅雨の時期、だった気がする。その時から妙な感覚が……」
 顔を伏せて、当時の記憶を思い起こしながら、つらつらと語り出す。
「具体的にどんな感覚だ?」
「ぼんやりとだが……なんだか、夜がとても長く感じた」
「夜更かししてっと長く感じて当然だろ」
 軽い口調で言葉を返す。すると首をゆっくり横に振って話を続けた。
「いや、高校生の頃は今より睡眠時間が長かった。夜遅くより朝の方が記憶しやすいからな。宿題と復習は夕飯前に済ませて、予習は朝の支度を終わらせてからやっていた」
「意外だな。てめぇなら夜遅くまで勉強してそうなのに」
「睡眠も生命活動の為に大切な事だ。それに高校生、成長期だ。身体の成長は睡眠時に起きる。早めに寝た方が身体の成長が早い」
 そこまで話すと「それより」と言葉を切って軌道修正し、続きを話し始める。「悪い」と小さく謝る。
「特に満月の夜は、窓から距離をとっていた記憶がある」
「距離をとっていた?」
「窓の外から見える景色は満月の夜もそれ以外の夜も同じだったが、満月の夜は……何故か窓に近づく事を身体が拒んでいた」
 そこまで聞いて「ふーん」とそれ以上は聞かずに残りのコーヒーを啜って嚥下する。
「そろそろ時間だ。変な話させて悪かった」
 そう言って立ち上がり、カップをゴミ箱に捨てる。立ち上がるのを見ると、飛彩は自身の左手首に巻かれている腕時計を見て「もう時間か」と小さく呟いて、飛彩もカップを仰り残りのコーヒーを飲んで立ち上がって、俺の後にカップをゴミ箱に捨てる。
「いや。こんな話をし始めてすまなかった。夜空を見ながら帰るのも、悪くないな。澄んだ空気のよく晴れた冬空に浮かぶ満月は綺麗だろうな」
 そう言うと、すたすた歩いて廊下に出る。その後ろに続くように、俺も廊下に出る。
「ここでいい」
「そうか。ではまた」
「おう。またな」
 そう言って、お互い背を向けて反対方向に歩き出して別れた。
──あいつが言ってた『妙な感覚』……。そういや、俺も似たような感覚があったような……。
 朧げに思い出したが、『考えても無駄』だと考えるのを止めて病院の外に出た。

1/25/2024, 2:18:46 PM

"安心と不安"

 たまに、二つの正反対な感情が心の中に同時に存在して、綯い交ぜになる事がある。
 例えば、『これができた』という安心と『じゃあこっちはどうすれば』という不安。
 その《安心》と《不安》が綯い交ぜになって、それが漠然とした焦りに変わって、自分の心なのに、何から手を付ければいいのか自分でも訳分からなくなる。
 そういうのがたまにあるのが地味に困る。
 俺が心配性なせいなのもあると思うけど。
 俺の悪い癖なのもあると思うけど。

1/24/2024, 12:56:11 PM

"逆光"

「みゃーう」
 皿の中を空にしてそう鳴くと、水を数口飲んで窓辺に飛び乗り、窓の外に視線を向ける。
──食い切るの早……。
 そう思いながら手に持ったお握りと机の上の、剥がされたお握り二つ分の包装と四分の一程減ったペットボトルの麦茶を見る。
 食べ始めたタイミングがほぼ同時で、診察室のパソコンと共有しているファイルを開いて確認、時折麦茶を飲みながら食べていたのにもにも関わらず、その時点ではようやく一個食べ切った所だった。
 ちらりとパソコンの時計を見て逆算する。時間に換算すると、五分か十分くらいだろう。
 子有り余る体力とは言え、睡眠や食事等で回復する必要がある。その上育ち盛りだ。人間の子どものようによく食べよく寝て、少しでも身体を大きくさせる事が仕事のようなものだ。けれど、そうだとしても……。
──もうちょいゆっくり食え……。
 開けたばかりのお握りを一口齧って咀嚼しながら、窓越しに外を眺めるハナを見る。
 はらはらと舞い散る雪を背景に外を見ているハナ。ハナの小さな身体に、舞いながら降ってくる雪の影が写る。その様がとても幻想的で、気付けば手を止めて引き出しの中からスマホを取り出して──仕事中は居室の卓上の引き出しの中に入れている──、電源をつけてカメラを起動していた。
──そういえば、ハナの写真、まだ一枚も撮ってなかった。
 画面にハナと窓を写した時に気付く。
 ならばこれからシャッターを押して撮る写真は、ハナとの大切な思い出の、最初の一枚になる。
──もっと大きくなれよ。
 願いを込めながら、シャッターを押す。今撮った写真を確認する。
「あっ……」
 外は綺麗に写っているが、肝心の被写体であるハナが逆光でシルエットのようになってしまっていた。かろうじて輪郭周辺の白い体毛部分は青白くなっているので写っているのは動物で、それとシルエットが相まって猫である事は認識できる。
──けど、幻想的な雰囲気で、芸術作品のようで、綺麗。
 そのままスマホの電源を切って、机に向き直って卓上の引き出しの中に戻し、残りのお握りを食べ始めた。

1/23/2024, 11:49:51 AM

"こんな夢を見た"

──ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……
 目覚まし時計の音に意識を引っ張られ、瞼を上げ目だけを動かして辺りを見回す。
──夢……か……。
 上体を起こし、胸に手を当てる。
──ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……
 耳の奥に響く拍動と共に、シャツ越しに胸に当てている手が激しく上下する。心做しか、息も荒い。
 恐らく、先程まで見ていた夢のせいだろう。
 断片的にだが、黒い《何か》に追われ、その《何か》から走って逃げている夢だった。《何か》の正体は分からないが、その《何か》に漠然とした恐怖を抱いて逃げていた。
 だが、息が荒くなっているのは、恐怖によってだけでは無いだろう。
 俺は《何か》から必死に逃げていた。知らない場所で、全力疾走で逃げていた。──夢の中だが──物理的な酸欠状態からの息切れもある気がする。
──どっちにしろ夢見悪すぎ……。
「みゃ〜ん」
 横から、するり、とハナが現れ、毛布越しに俺の太腿の上に乗って丸まると喉を鳴らして、前足で交互に押して太腿をこね始めた──つまりフミフミしてきた──。
「……」
 ゴロゴロ、という音とフミフミされている感触のリズムに身を委ねていると、動ける余裕が出てきて、ハナの背を撫でる。
「なんだ、朝っぱらから甘えたか?」
「みゃあん」
 喉を鳴らしながら返事をすると、ころん、と転がって腹をこちらに向けてきた。ふわふわの腹を優しく撫でると、ゴロゴロが少し大きくなった。
「お前……」
 呆れの声を漏らしながらも数分戯れる。
 ふと、先程までの息苦しさが無くなっている事に気付いた。
「……」
 ハナの頭を撫でる。
──ありがとな。
 ハナを抱き上げて、顔を洗いに洗面所に向かった。

1/22/2024, 12:45:51 PM

"タイムマシーン"

『過去に行って事の顛末を変える』
 大体の人はそう言うだろう。俺にだって変えたい過去はある。
 けれど、その《過去》を変えてしまったら、《今》にどんな影響があるか分からない。
 どんなに些細な事でも、大きな影響を与えかねない。そんな事はしたくない。もしかしたら《今》の大切な《何か》が 消えるかもしれない。
 だから俺は《未来に行って、今自分がやっている事の顛末を見る》。
 どんなに小さな事でも、未来に良い影響を与えていると知れば、それがモチベーションとなって継続の力となる。

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