"冬になったら"
「…へくしっ!」
ぶるり、と寒さに震え、くしゃみをする。すると足元から「みっ」と小さな鳴き声のようなものが聞こえた。驚いて机の下を覗き込んで足元を見る。
居室のケージに入れていたはずの子猫が何故か足元にいて俺のくしゃみに驚いたらしく、目を見開いて俺を見上げながら固まっている。
「お前っ!どうやって出てきた!?…けど、驚いたよな?悪ぃ…」
子猫に謝り、キーボードの脇に置いている箱ティッシュから1枚摘み取って鼻をかむ。
きっと先程、替えのボールペンのインクを取りに居室に行った時だろう。布を被せてケージを覆っているので、中にいたかどうかは分からない。つまり、あの時既にケージの外に出ていて、それに全く気付かず部屋を出た時に滑り込むように扉の外に出てしまったのだろう。
だが幸いか、それ以降患者が来ることはなかった。
こいつの脱走対策をこれからどうするかは、今は置いといて…。
少し前より着込んでいるし、ストーブもつけているというのに、まだ寒さを覚える。やはり日に日に寒くなってきている。
街を歩いていても、街路樹の葉がはらり、またはらりと道に落ちて、歩道はまるで赤や黄色の鮮やかな絨毯が敷き詰められているようで、木の枝は葉がほんの数枚程度で寂しい様子のものが幾つも。
まだ少し先だが、天気予報で雪マークを見るようにもなってきた。
冬はもうすぐそこまで来ているのだと実感する。
──これぐらいなら、もう少し厚手のものを出すか。……でも…。
足元の子猫を見る。元の調子に戻ったらしく、自身の背中をせっせと毛繕いをしている。
──俺は着込めば平気だけど、こいつは……。
子猫は、
体温調節が上手く機能しない。それに、冷気は下に集まる。平気な顔で毛繕いをしているが、地面に近いところを歩く子猫にとっては堪える寒さだろう。
「……」
──隙間風とか、対策しなくちゃな…。
ひょい、と子猫を両手で持ち上げ、シャツの裾をたくし上げて子猫を服の中に入れて、Vネックの襟元から顔を出させる。
一先ず、応急処置でなるべく高いところに、それと俺の体温で少しでも暖を取れるように、と服の中に入れた。
余程ぬくいのか、先程から気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
良かった…、と胸を撫で下ろす。…が。
──まだ業務中……。
昼休憩まで、まだ約一時間ある。今患者さんが来たら…、恥ずかしくて消えたい……。
「みゃ」
子猫は今の状況などつゆ知らず、短く鳴いた。
「全く…困った奴だな、お前」
ため息混じりに呆れた声で、俺の顔の下で呑気に喉を鳴らす子猫に言う。だが
「みゃあ」
と一蹴される。その鳴き声に、はぁ…、とため息を吐いて肩を落とす。
「仕方ねぇか…」
と、子猫を服の中に入れたまま、デスクに向き直り業務再開。
──ケージの扉の鍵少し強くするか…。いや、扉以外から出た可能性もある。ケージ周りも軽く見て、隙間があったら閉じないと…。あとタオルケットも、もう何枚か追加で入れてやらなきゃ…。
カタカタ…、とカルテに打ち込みをしながら、昼休憩にやる事を頭の中でリストアップしていった。
"はなればなれ"
離れるのは、いくつになっても嫌なもの。
親密さや共にいた時間がどうであれ、少なからず寂しい。
けれど進むには、別れは必然。進むには、何かと別れなければいけない。
出会いと別れを繰り返して、進んでいく。
別れは【新たな一歩を踏み出し、進む為の試練】かもしれない。
《生きる》とは、ただ息をする事ではなく《歩み続ける事》だから。
だから、どんなに辛い別れだろうと歩みを止めず進み続ける方を、俺は選ぶ。
どんなに拙い歩みだろうと、進む事を止めたくない。
"子猫"
「みゃー」
「はぁー…」
しゃがみながら、しきりに擦り寄る子猫にため息を吐く。
三十分くらい前の事。閉院時間になり、正面玄関の扉を閉めようと白衣のポケットから鍵を取り出すと扉の外から微かな動物の鳴き声のようなものが聞こえた。外に出てみると、扉の横の壁際に一匹の小さな子猫が元気よく鳴いていた。白に黒いブチ柄の子猫。俺の姿を見るやいなや足元にやってきて、すりすりと擦り寄ってきた。
それからずっとゴロゴロと喉を鳴らしながら俺の足に、しゃがむと腰にまですりすりと頬を擦り付けてきて、軽く拘束されて困っている。
──どうすっかな……。
いまだに擦り寄ってくる子猫を見ながら考える。
──寒くなってきたし、このまま野放しは……。けど、うち病院だし……。
ひょい、と両手で持ち上げる。
「みゃー」
へその緒は付いていない。一先ず緊急で動物病院に連れて行く必要は無さそう。
「みゃー!」
「うおっ」
急に一際大きな声で鳴いてきて、目を見開いて驚きの声を上げる。
──こんなに元気なら、里親すぐ見つかるだろう。里親見つかるまでの少しの間だけ、居室で面倒見るか。
立ち上がって子猫を胸に抱く。
「みゃー」
──……ふわふわ…。
小さくて柔らかくて、暖かな感触が伝わってくる。
──小さな命が、俺の手の上に…。
すると、胸をよじ登って喉を鳴らしながら頬に擦り寄ってきた。
「うおぉっ。ちょ、やめろ落ちるぞ…」
急に、ビュウ…、と風が吹いてきて、少し身震いする。
──そろそろ中に入って鍵閉めないと…。
扉を開けて中に入り、ポケットから再度鍵を取り出して扉の鍵を今度こそ閉める。
「みゃーあー」
身を翻して居室に向かおうとすると、今度は甘えた声で鳴いて口元を、ざらざらとした舌でぺろぺろと舐めてきた。
「うおぉ…や、やめろぉ、くすぐってぇ…」
子猫相手に無駄だと思うが、不満げな声色で抗議する。やはり、全くやめる気がしない。
「あーもう…。やーめーろぉーっ!」
"秋風"
最近、数日前より冷たく乾いた風が吹くようになってきた。
もう十一月中旬、そろそろ冬めいてくる頃。もうそろそろ本格的に冬物を出す頃だ。
たしかに最近、外に出るのにカーディガンやストールを羽織っても少し肌寒くなってきた。ダウンジャケットとか引っ張り出してクリーニングに出そう。手袋、どこに仕舞ったっけ。
服だけじゃない。居室や院内のストーブもつけなきゃ。起きるのに少し辛くなってきたし。けど、つける前に近々軽く点検して、つけても大丈夫か見なきゃ。
そういえば、ポットの取っ手が最近ちょっと危ない気がするんだよなぁ。お湯沸かして持ち上げる時ちょっと冷や冷やするっていうか。見た目は大丈夫だし今の所問題ないけど、念の為新しいの買っておくか。
あぁ、あと加湿器。寒いと乾燥してくるし、空気の乾燥が原因でインフルエンザとかになる可能性が出てくる。あと単純に喉がカサついてくる。一度点検して、使うのは洗ってからだな。
乾燥といえば、リップクリームとか、ハンドクリームも買っておかなきゃ。ハンドクリームは香りを嗅いでリラックスしてるから冬じゃなくても使うけど、やっぱり冬の方が品揃え豊富だし、新しいのも出る。リップクリームは、唇が切れるのが痛くて嫌なだけ。シンプルな無色のやつ。
そういえばこの前、リップバームっての見かけたけど、あれどう使うんだろ?用途はリップクリームと同じっぽかったけど。今度行った時試そうかな。
"また会いましょう"
『また会いましょう』なんて言われてもテキトーにあしらう事しかできない。正確には、それ以外の言葉が思いつかない。
そういうのは社交辞令なのは分かってる。正直言って、そういうの本当だるい。あと、たとえ社交辞令でも《俺なんかともう一度会いたいとか、物好きなヤツ》って呆れる。
けど自分の周りの世界って案外狭い。会いたいかどうか正直どうでもいいと思っててもまた会うし、会いたくないと思っててもやっぱりまた会う。
まぁ、聞きたい事がある時とか一時的なのは向こうから来る事はあるけれど。
本当にもう一度会いたい人には会えないのに。