"夜景"
聖都大附属病院の屋上、秋の夜風を浴びながら夜景を背にフルートを構えている。
今日は午後の予定が無く、やる事も特になかったので「じゃあ…」と、再びあいつの思いつきで開催が決定した演奏会。あの時より曲数が格段に増えていたからあの時よりやり甲斐あるよ、と言われ何も言えなくなっていたらいつの間にか今日の夜中にこの場所で再び開催される事になった。
──俺は別にいいけど、こいつら大丈夫なのか?業務とかまだ残ってるはずだろ。
まぁ、決まってしまった以上俺は演奏するしかないので、決まってからここに向かうまでの短時間にセットリストを決めて、更に練習までしてと慌ただしかった。
空には綺麗な月が登っている。あの時は夕日がスポットライトだったけど、今回は月がスポットライトだ。スゥ…、と息を吸い、演奏を始める。
夜闇と秋の澄んだ空気にフルートの音が溶けていく。空気が澄んでいるから、あの時よりも音がどこまでも伸びていくよう。その感覚がとても心地良くて、少しずつ音が弾んでいく。楽しい。凄く楽しい。
そして曲数を重ねるごとに、興奮で体が熱を帯びて熱くなっていく。その熱を夜風が奪っていって、風に撫でられる度に気持ちいい。終わりたくない。ずっと音を奏でていたい。
けれど物事には終わりがある。だからしっかり、綺麗に終わらせなきゃ。音をどこまでも伸ばしながら、秋の夜に音を溶かして、この演奏会を終わらせる。
拍手を一身にうけ、照れながらフルートをケースに仕舞い、照れ隠しにさっさとそれぞれの持ち場に戻るよう言い放ち、屋上を後にしようと皆の後ろを歩いていると
「そういえば、あの曲はやらなかったな」
いつの間にか俺の横にブレイブが来て「何故だ?」と聞いてきた。
「いいだろ別に。そもそもあれは指を解す為の、いわば指の準備運動の曲だったんだ。そんな曲をやったら意味ねぇだろ。」
立ち止まってそう答えると、フッ、と笑って俺に笑みを向けながら
「なら、あの曲は俺達だけの秘密だな」
胸が、トクン、と鳴った。秘密…。2人だけの…。
「お、おう…。そう、だな…」
返事をすると、ブレイブが歩き出した。慌ててそのあとを着いていき、院内に戻った。
"花畑"
「おぉ……」
「これは壮観だな」
午後はお互い空いていたので、近くの花畑に来ていた。
「まさか、近くにこんな花畑があるとは…。こんな場所、よく見つけたな」
驚いた声で聞いてきた。
「んなの、たまたまだよ。たまたま」
少々得意げに言う。けど、それは嘘。近くに秋の花が咲く花畑があると聞いて、見つけたのだ。秋に咲く花は綺麗なのが沢山あるから、ほんの一部でもこうやって一緒に見たかったから。
「…そうか」
と、目を伏せながら微笑み、正面を向く。そして深呼吸をして、秋の花の香りが漂う空気を吸い込む。
「良い香りだ…」
それに倣って俺も正面を向いて、深呼吸をする。秋の空気と共に秋の花の香りが鼻腔をくすぐって、何だかとても落ち着く。
「そういえば、貴方は秋生まれだったな」
「あぁ…、そういやそうだな」
不意に自分の誕生日について振られて驚いて頷く。確かに暦の上では秋だ。…冬よりの秋だけど。
寒い地域だと俺の誕生日はすでに雪が積もっていたりするから、そっちの方の人達からしたら俺は冬生まれと言われるかもしれないなぁ。なんて考える。
「この中に、貴方の誕生日まで咲いている花があるのだろうか?」
「はぁ?無理無理。今から11月の下旬まで咲いてる花は、いくらなんでも流石にねぇよ」
あったらとんだ異形だろ、そんな花。んなゲテモノの花、絶対見たくねぇ。…見たら夢に出てきて魘されそう。
「冗談だ。そんな目で見るな」
じゃあ言うなよ。お前が言ったら1ミリも冗談に聞こえねぇよ。
「…目で語ってくるようになったな。視線が痛い」
「はっ、そうかよ。…じゃあいつか目でバグスター倒せるようになったりしてな」
と、わざとらしい言い方で言い返す。
「倒せはしないだろ。…だが動きを止めるくらいはできそうだな」
「真面目に考えんなよ。あと俺を遠回しにメデューサ呼ばわりすんな」
「フッ、済まない。…ひとまず、あの辺りを見て回るか」
この野郎…。けど折角来たんだ。普段見る事の無い花だって幾つもある。季節を感じながらゆっくり見て回ろう。気を取り直して
「おぅ」
と、返事をして、2人並んでゆっくりと歩きながら秋の花々を見て回った。
"空が泣く"
昼頃、ラジオでニュースを聞きながら作業をしていると、朝から曇天だった空から、パラパラ、と弱めの雨が降った。
そのニュースは、俺が小さい頃親に何度か連れてかれた動物園の動物の訃報だった。寿命的に有り得ないと思うが、もしその動物が、俺が行く度に見ていた動物だったらと思うと悲しくなって一瞬手が止まった。そしてそれと同時に雨が降り出した。
まるで俺の心情を察した空が泣いたようで、少し微笑ましくなる。
──大丈夫だよ。だから、泣かないで。
窓の外を見上げて、心の中で空に向かって励ます。
なんて子どものような事をしているんだろうと、視線を逸らして作業を再開した。
"君からのLINE"
【なぁ】
空いた少しの時間に居室に入り、机の上に置かれたスマホに手を伸ばしアプリを開いて、たった二文字のメッセージを送る。ポコッ、という送信音に、はっ、と我に返る。何?何でこんなの送った?ていうか何で此処に?
疑問が幾つも頭に浮かぶが、そんな事はどうでもいい。これに続くメッセージを送らなくては。それか送信を取り消さなければ。一番簡単に済むのは、送信を取り消して無かったことにする。
よし早く消そう、そう思って、先程送ったメッセージを長押ししてタブを表示して《送信取消し》をタップしようとするが、はたと指が止まる。
なんだか、消してはいけない気がする。何故か分からないが、心のどこかで『消しちゃダメ』だと言っているような感じがして、タップする事が出来ない。そうこうしている内に、既読が付いてしまい取り消せなくなってしまった。どうしようどうすれば、と思考を巡らせていると
〖どうした〗
と、簡潔にこちらに問いてきた。どうしたと聞かれても…。何も答えられない。ただ自然と指が動いた、なんてバカバカしい事言えるか。けど一応事実なので完全否定はできない。けれど、体が自然と動いてこうなったという事には、このメッセージを送った事に何か意味があるはずだ。少し思考の海に浸かり泳いで考える。
「あ…」
すぐに答えが出た。メッセージを送る。
【明日そっち行くんだけど】
【お前明日いる時間あるか?】
答えはシンプルで、簡単だった。
会いたい。声が聴きたい。温もりを感じたい。同じものを見たい。同じものを聴きたい。
なんて傲慢なんだと自分でも思うが、どうかこんな我儘な恋人を許して欲しい。
〖11時から2時までいるつもりだ〗
返信が来た。すぐに
【わかった】
とメッセージを送ってアプリを閉じる。ネットだし、周りが見たら『素っ気なさすぎ』と文句を言われるだろうが、久しぶりに会話できて嬉しくて胸がいっぱいになる。
昼頃か、ならお昼も持って行ってついでに済ますか。と、考えながらスマホの画面を消して机の上に戻す。そして、今にもルンルンと飛び跳ねそうになる気持ちを、グッ、と抑えて居室を出る。
"命が燃え尽きるまで"
「はぁーっ、今日は早めに片付いたなぁ…」
完全に日が落ちてはいるが、アナログ時計は午後6時半頃を指している。まだ暑い日は続くが最近日が短くなってきて、今暦の上では秋である事を感じる。先程印刷した書類を纏めたファイルを棚に仕舞い、棚の前に立ったまま、これからどうしようかと考える。
明日の業務の準備は印刷中に済ませてある。医療機器の点検もこの間やってあって、どこも異常は見当たらなかった。
「あと思い付くのは…」
と、戸棚の扉に目を向け、扉に手を伸ばして開ける。フルートが入ったケースと、そのケースの上のノートがあった。ケースの上のノートに手を伸ばして扉を閉める。
そのノートには、学生が使うような罫線が印刷されたノートではなく、五線譜がページいっぱいに印刷された楽譜ノート。パラパラと捲ると、今までアレンジした曲名と、音階を記した手書きの楽譜が何ページも埋めていた。記号など、そもそも自分しか見ないのでほとんど書いていない。書いているのは音階を表す音符とブレスを表す記号(『v』)のみ。
そしてまだアレンジ中のページを見る。もう大体形はできていて、あとは実際に吹いてみて音階やブレスの位置を調整するだけ。だけど
「珍しくこんな早く終わったんだし、折角なら新しいの見つけるか…」
そう思い立って、椅子に座りデスクの上に置いていたスマホを手に取って動画サイトを開く。なんか良いのねぇかなぁ…。と、幾つか聴きながら探していると気になる1曲を見つけた。女性バンドなのに壮大な曲調で圧倒された。
「こういう曲もありかも…」
と、音楽アプリを開いて検索タブに曲名を入れて検索し、ダウンロード。そして歌詞を見ながら曲を再生する。
イントロはさっき動画サイトで聴いたのと同じ。やっぱり壮大でかっこいい。そして気になるは歌詞。冒頭からすでに胸に刺さっている。
『躍動してゆけ 私に宿った信念
大地に根を張り 天を揺さぶるように
絶望のときこそ 強く輝くときよ
世界は 此処から始まった
この場所で 戦うと 誓った あの日』
あの時の自分を想起させる歌詞。あの、独りよがりの一匹狼だった自分…。他人から与えられた場所や地位や名声は、ちょっとした切っ掛けで脆く儚く崩れ去る。だから全て、自分の手で、誰の手も借りずに居場所を作り、闇医者として裏社会に入った。全ては、あの時のリベンジの為、あの時成し遂げられなかった事を遂行する為。その為の力を付けるのに必要な要素を全て、自分の手で掴んだ。
『闇を知るからこそ 光を抱いていられた』
「……」
言葉にならないが、なんか引っかかるな…。そう思いながら、デスクの傍らに置いていた開封済みのプロテインバーの箱の中から1本取り出し、ゆっくりと一齧りし、モソモソと咀嚼する。
『全てを想い 全てを受け入れ
此処にいるの』
その後はモソモソと、プロテインバーをゆっくり齧りながら曲を一通り聴いていく事にした。
『他人から見れば たとえ愚かであっても
私は私よ 存在は誇り高く
唯一の宿命 轟け』
また1口齧ろうとした手が、ピタリ、と止まる。
『この場所で 生きてゆく 命の 限り
血潮は 熱く共鳴して』
なんか、チクチク刺さるのばっか…。プロテインバーの箱の横に置いてあるマグカップに手を伸ばして、まだ中に半分以上残っているコーヒーを、ズズ…、と啜る。
『雨に濡れても 陽を浴びることを諦めず』
確かにあの日雨だったし、再戦を望んでずっと力を積み上げていた。
もうあの時の俺じゃない。あの時は完全にレベルの差を見せ付けられたけど挫けず立ち上がって、お前と同じ所まで来たぞ、と。そして、一時的でも1人じゃないことの心強さを知った。
…なんでこんなチクチク刺さるやつばっか選んじまうんだ、俺…?
『全てを掛ける覚悟があれば(きっと)
どんな幕開けも 燦然と咲いていられる』
またコーヒーを啜り、そのまま曲の終わりまで聴き入った。
全てを掛ける覚悟、か…。
一通り聴いて思った事は先ず、ブレスの位置が難しい。最初は大まかな場所に置いて、吹いてみながら位置を動かしたり増やしたりして調整するか。あと運指。音程の高低差が激しかったので、きっと楽譜以上に時間がかかりそうだ。
指つりそうだな〜…、指の筋トレするか?なんて事を考えながら、残りのプロテインバーを口に放り込み、ペン立てからシャーペンと小箱から消しゴムを取り出し、再び曲を再生して、アレンジを始めた。