行かないでと、願ったのに
息子は、遠くの地へ旅立った。
人生色々ある。進学や、就職。夢や都会への憧れ。息子は夢と憧れであろう。
団塊jr世代の僕は、団塊とZ世代、両方の考えを持たなければならない。少なくとも当時は、団塊寄りだった筈だ。しかも就職氷河期世代なので、まぁまぁ、凝り固まっている。
「夢を追ったって食ってけないし」
「行ってからどー生きるの?」
「進学して……」
こーなると、家庭氷河期時代突入だ。
自分も夢を諦めた一人だ。
気持ちは痛い程わかる。
僕は就職を選ばざるおえない雰囲気で、選択した。
親として、子のために、言わざるおえなかったのだ。
家庭での会話が無くなり、僕以外での家族会話は進む。
寂しいから、僕も「1回試しに…」なんて言葉が出てきた。
妻は、「やらせてみたら世間がわかるよ」 度量というか、なんというか、広いなー。
僕は心の中では、いつも「行かないで」と願っていた
時代は変革を求め、考えも変わってきた。
仕事でもなんでも、考えを良くなる方向へ変える時代。
まぁ、何が良いのかはやらないとわからないのだが。
息子はパパっ子だ。と、思う。時々電話で話す様になり、近況報告を聞けるようになった。
「とりあえず、生きてるよ」が最初の会話だ。
でも、バイトの少ない生活費で、大変だろうと思っていたが、会話から笑顔が見えてくる。
そうなのだ。自分の幸せは、どうだ?
生活は少し楽かもだけど、精神的に満たされているか?
笑顔は最近しているのか?
息子の選択に正解か、不正解かは、わからない
だけど、本人が笑顔を出せるまで選んだ道だ。
僕は、仕事の後輩にいつも言う事がある。
無駄な事は何もない。無駄とその時知っても、いつか必要になるし、糧になるし、全ては自分のものになる。
行かないでと、願ったのに
今は、応援している自分がいるのが、少し笑えた。
tiny love
先日書いた、サッカーコーチのお話です。
息子も所属している事もあり、サッカーのパパさんコーチを引き受けた時のことです。
田舎の部活は、今もそうですが、担当する先生がすごく忙しく、部活に出られないと、よくある話です。息子も入っていた事もあり、子供達から「練習見て」と、保護者的にいる事になりました。
これが、みんなかわいいんです。
目をキラキラさせ、「絶対優勝だ!」と毎日毎日頑張っていました。
ただの雑談のようなサッカーノートをみんなで回し書きするようになり、みんなで練習方法を考え、「俺、いらないんじゃね?」といつも思っていました。
田舎の部活は、1試合勝つのが大変でしたが、運が良いのか何故か、上手な子供達が集まっていた時期でもあり、準優勝で次の大会にも出場するなどあり、こんな僕にも「コーチ」と呼んでくれるようになりました。泣きそうな程、嬉しい記憶が蘇ります。
息子には当たり前ですが、最大の愛がありましたが、人様の子供には、かっこよく、同じくらい愛してるとは、言えません。でも、こんな僕に「コーチ」と呼んで、毎日接してくれると、愛が芽生えます。
決して平等の愛にはいきませんが、一人一人に小さな愛を持って、僕も頑張りました。
多分、人生の中で、一番充実した時かも知れません。たくさんの子達からも少しですが、愛を教えてもらったのですから。
これが僕のtinyloveでしょう。
全国は、行けませんでした。当たり前ですよね。僕がコーチですから。でも、みんなと最後記念写真を撮った時の子供達の笑顔。これが、僕の唯一の人生に残せたものなんだろうと思います。
まだまだ僕は死にませんが 笑笑
今は、愛と感じる生活はなかなかありません。でも、今の生活の中で、探したら小さな小さい愛は、きっとある筈です。
人生、変えられないなら、愛のかけらを集めて、いつか、また、周りの人達の、あの時の様な笑顔を見てみたい。
小さな小さなtinyloveが、いつか、大きな愛を感じられる様に。
そして、僕の人生、無駄では無かったと思える様な。
そんな愛を探して、
みなさん、今日も頑張りましょう!
おもてなし
おもてなしって、難しいです。
僕は、気を使い過ぎ!って、よく言われる。
でも、気を使っているのではなく、相手が何を求めてるのかを考えて、先に動いてしまう。でも、今までの人間関係で上手くいかなかった事は、この先読みで、相手に不快感をもたらしたようだ。
仲間なんだからー。友達だからー。
気を使い過ぎてなんだって!絶対疲れてるよね。
わかるんだ。わかるんだけど、性格なのだ。
おもてなしのために、僕はしているのだ。
せっかく遠方から来るのだから、食事の場所や観光名所を調べたり、 と、そこまではいいのかも知れないが。
なんか、アレルギーや嫌いな食べ物あるかな?
アクティブ派?インドア派?
何時出発?じゃ、こっちに〇〇時着かな?観光の順番は…
聞いてしまう……
僕に悪気はないのだが、相手は疲れてしまう。
でも、僕も、楽しませようと、行動やその人の奥まで考えてしまう。
そう考えると、気を使い過ぎなのかも知れない。
おもてなし って、難しいなあ
でも、これで生きてきたからなぁ
人との付き合いは、 苦手だ。
やっぱり……疲れてるよな、そういう時。
そういう事らしい
拙い小話で お粗末でございました。
消えない焔
息子と共に成長したこの思いは、消えないだろう。
小さい頃から、よく息子とサッカーをした。
キャプテン翼が流行った僕の世代は、多分、息子にサッカーを教えるのが楽しみの筈だ。僕の息子にも幼稚園からボールを触らせて、少年団に入団させ、高校卒までサッカーを続けてくれた。
家では、お手製サッカーゴールや、自然を使ってのドリブル練習など、一緒によくしたものだ。休日は、知り合いに頼んで遠くの別チームに登録して、試合経験も積まさせてもらった。
そういう経験からか、僕も、よくいるパパさんコーチとして、一時期コーチデビューした。ただの全体保護者だったが。
息子はストイックだ。夜も電気をつけて練習し、お陰で都会のサッカー強豪校にも入学出来た。
息子との最後の思い出は、お手製ゴール脇に書いた「世界を目指せ」だった。
今、息子は社会人サッカーをしている。世界も目指している。サッカー選手ではなく、サッカー関連?としてだ。
無理なのもわかってる、笑いながら書いた「世界」を、息子と時々話している。
状況は、だいぶ変わったが、息子と共に心の「消えない焔」はまだ、燻っている。
サッカーでなくてもいい、行かなくてもいいから、息子との共通の「世界」を話題に酒を酌み交わしたい。
燃え盛る事はできないが、永遠に燻る僕等の「消えない焔」を、いつまでも、大事にしたいと思える、そんな自分でありたい。
息子よ
健全な精神は、健全な肉体に宿る
お前は、お前でいいんだよ
「消えない焔」は、どんな形でも生き残っていくから。
僕等の心が繋がっている限り。
終わらない問い
若かろうが、年だろうが、男だろうが、女だろうが
人の数だけ悩みがあり、誰もが人生で1つは「終わらない問い」に悩み、苦しむ時があるだろう。
人生の悩み、心身の悩み、精神的な問題。人間関係。そして、性格的な悩みと、人間とは、絶えず何かしら悩み苦しんでいる筈だ。
僕にも終わらない問いがある。
仕事と、家族。お金、休み、ひとときの楽しみ。それが絡み合う未来像の悩みだ。
何回も文面にも記載したが、「人生これでいいのか?」を問い、結局、終わりが見えない問いだ。
自分はどうしたいのか?1個人の悩みとすれば、行動すれば解決するが、家族が絡み合うと、答えが出せない。「変革」を求めるには、歳もとり過ぎた。
第二の人生で済まされるなら、答えはわかってくる。だが、全てを捨てる覚悟が出来ない。
10年前までは普通の幸せだった。だが、幸せは長く留まらない。
選択を間違えたのかも知れないが、どこに分岐点があったのかすらわからない。まあ、見ようともしなかったのかも知れない。いや、見たくなかったのだ。
唯一、終わらせる問いにするには、今までの事を全て無かった事にして、新たな選択肢を選ぶしか無い。でも、その選択を選べないから、「終わらない問い」なんだろう。
いや、この問題もあーだのこーだの理由をつけ、現状でなんとか生きようと、「終わらない問い」にしているのかも知れない。
ビールを飲みながら、「終わらない問い」をつまみにして、
とりあえず、アニメ見るか? と、また、周りを見えなくする自分が
今日も、ここにいる。