夕暮れに吹く風に乗って便りが飛んできた。
象の屁みたいに途切れ途切の下手くそなロングトーンだ。
この時間まで残って練習するのは一人しか居ない。というかこんな下手くそが二人も三人もいてたまるかって話。
夕日差し込む教室という情景に、そのヤスリをかけたような高音は隠し味というかふつうに違和感しかないのよ。
いつしか怪談の一つになり得ないかヒヤヒヤするが、本人にとっては真面目なのがたちが悪い。
便りが来ないのはいい便り、と言うがこの音が聞こえなくなったときはそれこそ一大事になるだろう。
流れ星に夢を3回唱えれば、その夢は叶う。
そんな使い古されたスピリチュアルがある。けど実際、流れ星をみつけてから3回唱えるのは難しい。
だから最近はこんなふうに言われている。
「一瞬の流れ星に唱えれるくらい、その人は夢を追い続けているから叶えれるんだ」
チャンスを掴む人はチャンスをチャンスだと思える人なんだと思う。殆どの人は後から「ああ、あれはチャンスだったんだ」と知って後悔する。
流れ星に願いを叶える人はなにもない夜空をずっと見上げられる人だ。
その忍耐力とか、運とか、熱意とか、全部ひっくるめて「才能」って呼ぶのかな。
ルールは何のためにある。
ルールを遵守しても自分を守ってくれる保証はない。自分を幸せにはしてくれない。将来に安心なんてできない。
ルールを破る人が例外的に許されるこの世の中で、ルールを守ることは思考放棄だ。
ルールを守りたいと言うならそうすればいい。ルールを守るという慰めで自分を生かせるならそうすればいい。
ルールに縛られたくないなら守らなければいい。ルールに縛られない、責任とも自由とも言えるものが手入るのだから。
どうせルールを守ろうが破ろうが神様が決めたルールには逆らえないのだから。それなら最後まで後悔が少ない方を受け入れればいい。
ルールなんて人生を快適に動かすためのものでしかないんじゃないかな。
無数の氷柱から一滴の雫が落ちた。
僕はマフラーに顔をうずめながら、その雫音に耳を澄ませる。また一つ、二つ、四つと、どこか規則正しいそれはオルゴールのように音を立てていく。
空は快晴だというのに、口元からは白い息がもくもくと立ち上がる。陽射しは暖かくなってもまだまだ寒い。痺れるような冷たさはいつも僕を見ている。
鼻を啜ると鼻を突き刺すような痺れがやってきた。
冬は嫌いだ、寒いから。でも夏か冬かだったら僕は冬を選ぶ。冬は着重ねすれば耐えられるけど、夏は肌より上は脱げないからだ。
それでも寒いものは寒い。
また一つ、雫が落ちた。
あと何度、雫が落ちれば春がやってくるのだろう。
過去を変えるか未来を見るかだったら、私は迷わず未来を見る。宝くじ、競馬、株、ありとあらゆるお金の事を覗き見するんだ。
そして過去の思い出を真空圧パックに詰めながらその未来を暗記するんだ。
過去なんて見るもんじゃない。「今を生きろ」なんて言った瞬間、時すでに過去。だから未来しかないのだ。今を生きる者などは存在せず、ほとんどの人は次に来るであろう未来を思い描いて生きている。
つまり金だ。
金があれば思い描く未来を昇華させられる。金さえあれば無理難題も札束ひっぱたいて解決するんだ。
やっぱり金が一番。『運命の人』とか私からしたらくだらないね。
だって未来を覗き込んで、その未来の私の周りに誰もいなかったら、この先どうやって未来を思い描けばいいっていうのさ。